(3)
私は今朝も一人礼拝を終え、いつもの裏庭へと足を運んだ。
「今日もいない……か」
誰もいないその場所にある岩に腰をかけ、空を見上げた。
朝日が教会の屋根を照らし輝いているのに、私の心は暗いままだった。
ローファルがここに姿を現さなくなってから、もう十日も経っていた。
それとなく、僧侶を統括している僧長などに、ローファルのことを尋ねてみるが、皆「ローファルなんて僧侶は知らない」と答えた。
彼がここで孤立していたのは事実のようだ。
でも、確かに彼はここにいたんだ――裏庭でただひたすら剣を振るっていた姿を思い出す。
彼は一体どこへ行ってしまったのだろうか? 何かの事件に巻き込まれたのだろうか?
胸が――苦しい。
「ローファル……」
その名を呼んでも、私に声をかけてくれるその人はいない。
この沸いてくる感情が何であるか、私には分からなかった。
たくさんの書物を読んできたのに分からない。ただ分かるのは、無事な彼に会いたい。ただそれだけ。
「書物……そうだ、本を読めば何か分かるかもしれない」
神隠しにあったように消えた彼を探す手がかりでも見つかればと思い、私は朝の礼拝の鐘が鳴っているにも関わらず、そちらに背を向け、離れにある書物庫へと向かっていった。
私が向かっているこの書物庫は、一般の信者では立ち入ることすら許されない場所だった。
ここへ来れるのは、異端審問官や学者など、教会内でも地位を認められている者だけだ。
私は神殿騎士としてはそこまで高い地位にはいないが、天才魔道士――という肩書きが、魔法の研究をするため、という名目での入室が許可された。
(まさかこの肩書きを有難く思う日が来るとはな……)
いつからそう呼ばれるようになったか――私は昔を思い出していた。
多くの騎士を輩出する貴族の家に生まれた私だったが、身体はあまり丈夫ではなく、家で祈ることが日常だった。
剣を持つことすら出来ぬとまるで女のように扱われた私にとって、魔法を学ぶことは自分を認めさせる手段だった。
たくさん努力もした。努力し多くを学べば、神はきっと私を認めてくれると信じて。
そしてその結果、「アカデミーきっての天才魔道士」と誰もが認める人間になることができた。
でも、私の心は満たされなかった。
確かに皆、私を天才として尊敬の目で見てくれる。でも、私を一人の人間として対等に付き合ってくれる者はいなかったのだ。
私から離れたところで、同級生達が遊ぶ話をしている。笑っている。でもそこに、私はいない。
私から近づき話しかけても、気さくに応じてくれる人はいない。教師ですら、天才と畏怖する目で私を見る。
神殿騎士に入っても同じ。賞賛の声は多くあれど、私の内面に触れようとする人は誰もいなかった。
私の心を聞いてくれるのは、昔も今も、聖アジョラのみ――人間として私はずっと一人だった。
……彼に会うまでは。
(そうか。私はローファルに自分を重ねていたんだな……)
僧侶の中で、孤立していた彼。
それを一人修行に励むことで、忘れようとしていた彼。
身分こそ違ったが、彼は思いのほか聡明で、私の話も嫌な顔ひとつせずに聞いてくれた。
彼と話をしたい。声を聞きたい。
私の名を呼んで、私を見て欲しい……彼に会いたい。
(馬鹿な、何を考えているんだ私は)
再び痛み出した胸を押さえ、そんな変な感情は忘れてしまおうと大きく深呼吸し、私は書庫の扉を開いた。
「ロー……ファル?」
書庫に入って奥にいた先客の姿に、私は目を疑った。
今までの粗末なものではない鎧と、フードのついた青いローブを身にまとった背中――でもその背中を見間違えるはずがなかった。
「ローファルなのか?」
今度は呼びかけるつもりでその名を呼んでみると、その背中の人物はゆっくり本を閉じ、振り返った。
「クレティアン……?」
「生きていたんだな……良かった」
疑問に思うことは多くあったが、何よりも彼の無事が嬉しかった。しかし、目の前にいる彼の表情は曇っていた。
「その格好、神殿騎士に入隊していたんだな、いつの間に? 一言知らせてくれたら、お祝いしたのに」
「でも入隊したのに会わないものだな。忙しいのか? 今何をしているんだ? ……探しものなら手伝うよ」
私の言葉に、彼はただ視線を逸らすだけだった。私の声だけが、ただ書庫に響くばかりだ。
「何故……ローファル?」
どんどん笑顔が無理矢理なものになって、とうとうそれが消えたのが自分でも分かった。
何がという訳ではないが、以前の彼とは何かが違う――遠い存在。そんな気がした。
「何か隠しているな……?」
「……」
「話してくれ」
「……断る」
やっと出た彼の言葉は、拒絶だった。
私の頭がかっと熱くなって、彼の胸倉を掴んだ。
「……何故! 話せッ!!!」
「断ると言った!」
ローファルが私の腕を掴み、そのまま投げ捨てられるように私は床に身体を叩きつけられた。
「どうして……」
もう我慢できなかった。泣くつもりなどなかったのに、涙が頬をつたっていた。
叩きつけられた肩よりも、胸の痛みに耐えられない。
でもいくら泣いても、差し伸べてくれる手はない。ただ、無表情に私を見下ろすだけだった。
「この本でもなかったか」
「ローファ……」
「私は今、ヴォルマルフ様の元にいる」
「……どういう、ことだ?」
「我々に関わるな……お前のためだ、クレティアン」
そう言って彼は本を戻し私の横を通り過ぎ、書庫の入口へと向かっていった。
「ま、待て……!」
立ち上がって彼の後を追おうとしたが、書庫を出るとそこにはもう彼の姿は見えなかった。
ローファルが戻した本を手に取り開けてみると、古代文字のみが書かれた古い書物で、解読すらできなかった。
(ローファル……)
彼の冷たい瞳を思い出すだけで、胸が苦しく、涙が止まらない。
(ああ、そういえばアカデミーの時に……)
女子が教室で話していたことがあったな、こんな話――誰が好きだとか、隣のクラスのあの人がどうとか。
本当はうっすらではあるが理解していた。でも、心のどこかで否定しようとしていた。
なぜならこの感情は、神に身を捧げる者としては「罪」だと言われていたものだったから。
同性ならばなおさら、抱いてはいけない――初めて抱く、この気持ち。
(これが……これが恋か)
書物を閉じ本棚に戻した私は、涙をぬぐって書物庫を後にした。
(4)
書類の整理は苦手だ。だから、私はいつもよりも苛立っていた。
そんな時に限って、面倒な来客があるものだ。
「ヴォルマルフ様、お話したいことがあるのですが」
「……何用だ」
机越しに立つ若い魔道士に視線を向けることなく、私は書類に目を通したまま答えた。
クレティアン・ドロワ――天才的な魔法の実力と、信心の深さで有名な男だ。教会の幹部からも、将来有望と期待の声が高い。
神殿騎士とは言っても、いつもは穏やかに本を読み魔法を教えているこの魔道士が、何を私に話したいと言うのか。
「お前とアポを取った覚えはないし、お前ほど待遇面で恵まれている術士はいないのだが?」
「私のことではありません……ローファル・ウォドリング、ご存知でしょう?」
魔道士の口から出たその名前に、私は初めて顔を上げた。
「もちろん? 私の補佐をしてもらっているが?」
「どちらでお知り合いに?」
質問の意図が読めないが、ローファルのことは教会の幹部達からも最近よく聞かれるようになった。
まあ、当然だろう。どこの名門の出身でもないのに、いきなり神殿騎士団の団長である私が連れまわしているのだから。
おそらくこの男も同様だろう。幹部らと同じように、答えてやった。
「地方の教会に実力のある者がいると聞いたのでな……スカウトしたのだよ」
「ヴォルマルフ様……何故嘘をつかれるのですか」
「……何?」
確信めいた口調と視線に、自分の眉間に皺が寄ったことが分かった。
魔道士は、言葉を続けた。
「彼はここの僧侶でした」
「聞いたのか?」
「いえ。むしろどの方に聞いても、彼のことは存じていなかった……」
「ならば何故嘘をついていると?」
軽く睨み付けてやると、魔道士は若干ひるんだ様子だったが、息を呑んで、そして私を睨み返すように視線を合わせてきた。
「私にとって彼は友人でした。毎朝、起床時間の前に会っていました。貴方と会うまでは、ですが。……ちなみにこの事は誰も知りません」
「……嘘をついていたことは謝ろう」
あの男は異様に知り合いが少なく、誰もが外から来たと思い込んでいたくらいだったが、まさかこの天才魔道士と知り合いとは。初耳だった。
「平民出身の僧侶をいきなり格上げしては色々面倒なのだよ。だから上層部にはそう言って誤魔化している」
「そうですね……」
「友人だと言うなら分かるだろう? あれは中々に優秀な男だ」
最初はキュクレインに言われて仕方がなく飼うつもりだったが、予想以上に与えた力の使い方も上手く、あっという間に私の右腕となり得る知識を身につけた。
優秀で忠実――きっと今後の計画にも欠かせない部下となるだろう。
「なんだ? もしかして私にローファルがとられたことが面白くなくて喧嘩を売りに来たのか?」
「い、いえ、そういう訳では……」
私の言葉に、魔道士は言葉を詰まらせた。
このまま適当にはぐらかしておくか……と思ったのだが。
「は、話を変えます……実は昨日、彼に会ったのですよ。一部のものしか入れない書庫で……会いました」
「……それで?」
まだ何か言いたいことがあるのか、と私は相手にバレない程度に舌を打った。
「彼は貴方の命令で学者でも読めない本を読んでいました。それに噂では、貴方と同様に剣技を扱うとか。確かに彼は聡明で剣の腕もあった……でもそんな簡単に身に付けられるはずのないものでしょう?」
「何が言いたい……?」
なるほど、そういうことか――相手の意図しているものが見えたのと同時に、私の中の本性に怒りの火がついたのが分かった。
どうやらそれは表面にも出始めているようで、目の前の男の顔が青ざめ、恐怖を感じているのが分かった。
しかし、この男は言葉を振り絞るように、私にとっては彼を殺さざるを得ない決定的な一言を口にした。
「あれは本当にローファルなのですか? それに貴方も……ヴォルマルフ様……」
怒りが限界まで達し、私は机を乱暴に叩き、立ち上がった。制服の中に入れた聖石が、私の心に反応し輝いた。
「……!」
「貴様のような剣も持てぬ非力な魔道士が! 私を脅すと言うのか! この愚か者めッ!!!」
「ヴォルマルフさ……うっ……」
私が手をかざしたのと同時に、目の前の魔道士は床に倒れた。
(殺すのは容易いが……面倒だな)
床に転がる男を見下ろして、私は舌打ちした。
ローファルの時とは違い、教会内で目立つ男だ。ここで殺害するのはさすがに後々面倒になるだろう。
(まあ、事故なり魔法の暴発なりに見せかけて始末すればいいか……)
暫くは人間ヴォルマルフでなければならない。本当はもっと残酷な死を与えてやりたいところだが、仕方がないだろう。
とりあえずこの場から隠しておくか、と彼に触れようとしたところで、扉の叩く音がした。
「誰だ」
「私です、ヴォルマルフ様」
落ち着いたその声は、つい先ほどまでの口論の元凶にあたる男のものだった。
「入れ……」
倒れた魔道士の姿をひとまず消し、私は入室を促した。
「何用だ」
「はっ……聖石カプリコーンの居所が、判明した次第でございます」
私は、再度椅子に腰掛け、部下のさらなる報告を促した。
「どこにある?」
「ガリランド士官アカデミーの学長宅。家宝として扱われていると、敬虔な信者である学者からの情報です」
「なるほど? しかし家宝となると簡単に手出しできんか……まあ良い。手段は任せる。兵が必要ならば言うがいい」
聖石は我らの仲間の召喚には必要不可欠だ。
聖天使の宿るヴァルゴが本命ではあるが、手元にあればあるほどいいのは間違いない。
しかし、教会の上層部にバレぬように動かねばならず、強奪すればいいという訳にもいかない。
「ヴォルマルフ様、そのことでご提案が」
「言ってみろ」
「教会の方針として聖石を集めるよう、提言してはいかがでしょうか?」
さすれば今回のように要人が所持している聖石を献上させることも簡単になりましょう、と彼は続けた。
「文献では、聖アジョラもゾディアックブレイブを結成し優秀な人材と聖石を集めていたとか……それを我々も実践するのです」
「良い案かもしれんな。教皇のジジイも、信者が増えるとお喜びになるだろうよ」
早速今度の幹部会議で提案してみるか、と私は満足げに微笑んだ。
確かにそれだけの力を与えたのは私だが、身内も深い付き合いの者もいないこの男には人間として捨てるものがなく、その力を十二分に発揮してくれている。
いい拾い物をしたものだ、と私はのどを鳴らした。
(いや、そういえば一人いたか……この男にも)
先程眠らせた魔道士を思い出し、同時に私はその処遇をどうするか、いい提案を思いついた。
この優秀な部下を、さらに深い闇に落としてやれ――私の中の魔物の本性が囁いた。
椅子から立ち上がり机の向こうで膝をつく部下の前に立ち、屈みこんで彼の顎を取った。
「ローファル、お前は本当に可愛い男だ。まだ半月ほどしか経っていないが、私の右腕となるのも時間の問題だ……」
「有難き幸せ……」
「可愛いお前には褒美を与えねばならないのだが……残念だ、お前は一つだけミスを犯した」
私の言葉に、ローファルは質問の意図が分からなかったのか、ただ私を見つめるだけだった。
私はローファルから手を離して立ち上がり、手をかざす。そして先程消した魔道士をこの場に引き戻した。
「……! クレティアン!?」
ローファルが声を荒げ、その魔道士を抱きかかえるように起こし、そして私の方へ再度振り返った。
「ヴォルマルフ様! これは一体……!?」
「初めて狼狽したな。死にかけてもあれ程冷静だったお前が……そうか、それがあの時言っていた死なせたくない者か」
孤独なこの男のことだから、その場の出任せか、もしくはチョコボか何かかと思っていたが……ローファルの反応から、それが図星だったことが見て取れた。
そういえば、あの魔道士の方もそれらしいような態度を取っていたか――と今更ながらに思う。
神聖な職につく聖職者同士であるにも関わらず、罪なことだ。私には関係のないことだが。
「お前の様子がおかしいと、あろうことか私の正体まで疑ってきたのでな……。ああ安心しろ、今は眠らせているだけだ」
「どう……されるおつもりですか? 彼のことを……」
「困ったものだ。可愛いお前のことを思うと、この場ですぐに殺せなくなってしまったのだ」
私はおどけるように笑い、ローファルの肩を叩いた。
「だからこの男の処遇はお前に任せることにする。殺してもいいし、壊してもいい。いっそお前の人形にするも良し、好きにしなさい。ただし……」
「ただし……?」
「何もせず逃すことと、貴様の自害だけは認めん……」
その場合は、我が配下の悪魔の中にこの男を放り込み、骨の髄、血の一滴まで犯させる――と、手に力を込めて続けた。
「ヴォルマルフ様。どうか……どうかお許しを……」
「許していてお前を可愛いと思うからこそ、お前には何もしないし、この男のことだってお前に任せると言っているのだ……ローファル」
嘆願するローファルのフードをそっと下ろし、私は口の端を吊り上げながら、彼の頭を優しくなでた。
「報告は明朝に聞く。その男の身体を持って、例の礼拝堂へ……分かったな?」
私を青ざめた顔で見つめるだけのローファルにそう言い残して、私は部屋を後にした。