(5)
人目につかないよう時空魔法を使い、私を人間ではないものに変えてしまったこの場所、古びた礼拝堂に行った。
そして、横抱きにしていた未だ目覚めぬ親友を、祭壇の前に横たえた。
(クレティアン……)
彼は、ヴォルマルフ様の術によって、死んだように眠っている。私は罪悪感で、押しつぶされそうな気持ちになった。
夕暮れを過ぎて教会は薄暗くなっていたが、明かりを点ける気になれない。
明かりをつければここに人がいることを悟られるだけでなく、闇に堕ちきった自分と、まだ美しいままの彼……という現実を、さらに実感させられるだろう。
そして、それを悟ってしまえば、自分の中の魔性は彼を自分の下へ落としてしまおうと、そう考えるに違いない――それが怖かった。
――殺してもいいし、壊してもいい。いっそお前の人形にするも良し、好きにしなさい
ヴォルマルフ様の言葉が、頭の中で再び蘇った。
静かにクレティアンの身体に覆いかぶさるようにまたいで膝を立て、腰に差していた短剣を抜き、その矛先を彼に向けた。
(今なら、何も知られることなく殺せる……穢してしまうくらいなら……)
「う……ん……」
床の上で眠っていたクレティアンが身じろぐのを見て、私は慌てて剣をおろし身体の後ろへ隠した。
「ここは……」
「気がついたか」
「ローファル……?」
ゆっくり開けられる瞳が私の顔に向けられたあと、身体を起こそうとしたが、彼の身体はすぐに床に沈んだ。
「無理をするな……まだ起き上がれる身体ではないはずだ」
「……? そうだ、私はヴォルマルフ様のところへ行って……」
眠らされる前のことを意識の覚醒とともに思い出したのだろう。
そこまで言いかけて口を閉ざし、少し怯えたような表情で私を見た。
「何故私はここにいるんだ? それに、貴方は……」
「巻き込みたくなかった……すまない」
「全て話せ。貴方に何が起きた。今何をしている。そして何よりも……貴方は本当に私の知るローファルなのか」
どうやらヴォルマルフ様と会って、いや、書室で私と会った時か――何かを感づいたようだ。
つまりそれは、何事もなかったように隠し通せないことを意味する。
何よりもクレティアンの視線から逃れることが、今の私にはできなかった。
私は知る限りを彼に伝えた。
たまたまヴォルマルフ様の正体を知ってしまったこと。
その時に殺されかけたがヴォルマルフ様に力を与えられ、そしてヴォルマルフ様の影として暗躍してきたことを。
私の目的――かつて人間であったアジョラにとりついた聖天使の魂の居場所を探し現世に復活させること、そしてその配下にあったルカヴィも聖石を通じて現世に――
「………馬鹿な」
「事実だ。実際にヴォルマルフ様は人間を超越した存在……そして私も人間ではない」
「何故」
「私は誰にも必要とされない人生を送ってきた。そんな空虚な人生を、ヴォルマルフ様は変えてくださった……ルカヴィの配下として」
「ローファル……」
信じられない、という様子が、クレティアンの揺れる瞳から伝わってきた。
当然だろう。彼は幼いころから敬虔に教会と、教会の教える聖アジョラを信仰してきたのだ。
その力が「伝説の悪魔」と称されるルカヴィと繋がっていた――私の言葉はクレティアンの最も大事な「信仰」を否定し奪うものだったに違いない。
だが、クレティアンが尋ねてきたことは、アジョラに関するものではなかった。
「貴方は今の状態で満足なのか。自身の意思でそれを?」
私は深くうなずいた。
きっかけは彼――クレティアンを殺されたくないからではあったが、与えられた力は私の人生を変えた。
今まで必要どころか認識されなかった私の存在と力が、ヴォルマルフ様のおかげで世に出るようになり、それが世界を変えることすらできるかもしれないと思うと、その力に飲み込まれてしまっても良いとすら思った。
だが、そのために今ここで私は……
「そうか。それならいい。貴方の意思で殺されるなら……」
「!」
「身体の後ろにあるナイフはそのためなんだろう?」
「気づいていたのか……」
「起きてすぐに分かったよ。いや、ヴォルマルフ様の元へ行った時から……覚悟はしていた。ヴォルマルフ様は以前のヴォルマルフ様ではなく、問い詰めれば殺されるかもしれないと、心の何処かで」
「……だがお前は私にとって」
そこで口を閉ざし、ずっと覆いかぶさっていた身体を離した。勢いで言いかけてしまったが、これだけは全てを話せと言われても言ってはいけないことだ。
ヴォルマルフ様には感付かれてしまったが、彼にだけは知られたくない。
信仰と命を奪うだけでなく、彼の聖者としての清い心と身体を穢してしまうことだけはしたくない。
「ローファル、ひとつ頼みがある」
クレティアンが、起き上がり礼拝堂にあるアジョラ像を見上げて言った。
「最後にここで、祈りを捧げたい。滑稽だろう? 全てを知ったうえで捧げた祈りは、どこへ行くのか分からないが……それでも私にはそれしかできないんだ」
「クレティアン……」
「終わったらそのナイフで一思いに殺してくれ。それで貴方が救われるなら、きっとこの命も無駄なものではないはずだ」
そう言って、クレティアンは私に背を向けてアジョラ像の前に跪き、両手を顔の前で組んで静かに祈りを捧げ始めた。
本人の言うように、全てを知ってしまった彼に信仰心などあるのだろうか。あるとすれば、その信仰心はどこへ行くのだろうか。
それでも、殺意を向ける私にさらす無防備な背中は、まさに聖者そのものであり、美しいとしか言いようがなかった。
目を閉じたまま一寸も動かないその様子に、私はナイフを握ったまま彼を見ることしかできなかった。
それから五分ほどして、クレティアンが目を開け、アジョラ像を再度見上げてつぶやいた。
「あなたが偽りの神であるなら……本当の神はどこにいるのか。私はそれを知ることすら、叶わないのか」
――ただ、もしも現世に復活できる力ある存在が真にあるのなら……どうかこの私の御霊をもって、禁忌であると分かっていながらも愛してしまった者を赦し幸を与え給え――
そして組んでいた手をほどき静かに立ち上がり私の方へ振り向いた彼の目から、一筋の涙が伝った。
きっと今の言葉も、この涙も、私に聞かせ見せるつもりはなかったのだろう。それくらいに力なく、自然なものだった。
涙を流し終えた瞳は「全てを失った」かのごとく何も写していないように見えた。
私がすべてを失わせてしまった――そして終わらせなければならない。これ以上はただ彼を苦しめるだけだ。
私はナイフを強く握り全てを失った彼にナイフを突き立てようとした。
しかし、その刃は彼に届く一歩前のところで止まり、私の手からナイフが床に落ちた。
「……無理だ、できるわけがない」
「ローファル……?」
気が付いたら、クレティアンを強く抱きしめていた。
「すまない、これ以上もう……私の気持ちも隠せない。お前に死なれたら私は……例えヴォルマルフ様の命じたことでも、唯一愛した者を殺すなど出来るはずがない」
「……!」
「ずっと好きだった。人の心も持たなかった、そして存在すら人を超越してしまった、しかしなお、クレティアン、お前の事だけは……」
「ローファル……」
クレティアンが軽く私を押したことで、互いに見つめあう形になる。そして、どちらかとでもなく唇が重ねられた。
「……ん……ローファルっ」
唇を離し身体を離すと、クレティアンが落ちたナイフを手に取った。
「……貴方の神は残酷だな。何もこんな時に、願いを叶えてくれなくてもいいのに」
「何を……!」
「我々がいかに愛し合おうとも、私が生きていたら貴方はヴォルマルフ様から与えられたものを失ってしまうのだろう? それは私が困る」
「クレティアン……」
「ローファル、貴方に……神の加護があらんことを」
クレティアンが両手でナイフ掲げ、魔法を詠唱した。
白魔法独特の優しい光。だが、その力は癒しのものではなく、穢れた存在を消し去る、清らかで激しい光――クレティアンが最も得意とする魔法。
「止せ! やめてくれ!」
私の声にクレティアンがかすかに微笑んだ。
この状況でその魔法を用いて何をしようとしているのか……明白だった。
「汚れ無き天空の光よ、血に塗れし不浄を照らし出せ……ホーリー!」
その時だった。
突然アジョラ像が強く輝き、クレティアンの放った魔法はその輝きにかき消され、そしてアジョラ像が音もなく粉々に砕け散った。
像があった場所で聖石――ジェミニが輝いていた。
「なんだこれは……ローファル、一体何を?」
驚きを隠せない様子でナイフを落としたクレティアンに、私も首を横に振った。
何もできないうちに、輝いていたジェミニは再び光を失い、砕け散った像の上に転がり落ちた。
先程一体何が起きて、そして今何がどうなっているのか……人ならざる知識も得たにもかかわらず予想すらできなかった。
(まさかクレティアンは"ふさわしい肉体"を? いや、それとも何かが違う……)
「この石は確か。ここに安置されていたゾディアックストーン……」
クレティアンがジェミニを拾い上げると、それに反応するように弱く短く、光を発した。
「……聖者よ、そなたの願いは聞き届けた。そなたの一寸の穢れのない信仰の光と愛をもって、偽りの神を捨て聖天使の統べる世界を求める黒き極光となれ。我にふさわしい肉体を探し出せ」
「クレティアン?」
「分からない……そんな声が聞こえたような、気がした。同時に……」
「貴様の願いに、その石に閉じ込められた"奴"の魂が目覚めたのだ」
「……! ヴォルマルフ……様」
礼拝堂の入り口から声がしたのでそちらを見ると、クレティアンを殺せ、と命じたヴォルマルフ様が立っていた。
険しい顔つきでこちらに向かいながら、ヴォルマルフ様は続けた。
「まさか貴様が奴を目覚めさせるとはな……残念なことに"ふさわしい肉体"ではないようだが」
「……どういうことですか」
「聖石が貴様に告げただろう。奴が貴様を認めたのなら、私もそれを無下には出来ん」
「……」
ヴォルマルフ様が落ちたナイフを拾ってからクレティアンの前で止まり、もう片方の手でクレティアンから聖石を取り上げた。
そして、ナイフの刃がクレティアンの首に触れた。
「貴様も聖石の声と共に、おおよそのことを知ったはずだ。無下にはできんとは言ったが、こちらもまだ雌伏の時……秘密を知ったからには無事に解放するわけにはいかん」
「おやめください、ヴォルマルフ様!」
「……分かりました。元々死のうと思っていた身……どうぞ一思いに」
「クレティアン!」
私の叫びに、ヴォルマルフ様もクレティアンも動こうとしなかった。
触れた刃がクレティアンの皮膚を傷つけ、そこから血がにじんでもクレティアンはヴォルマルフ様を見続けて、そして静かに言った。
「ヴォルマルフ様。私はローファルを愛し、そして彼は私を愛している。ゆえに彼にその手を汚させては、彼は貴方の部下ではいられなくなるでしょう……」
「……そうか」
「ですからどうか、貴方の手で殺め、この血をもってローファルのことをお許しください。そして、真のアジョラ――聖天使がこの世に君臨することを望みます」
「……ふっ……ふはははは!」
ヴォルマルフ様がナイフを下げ、声を上げて笑った。
「ヴォルマルフ様……?」
「貴様らそろいもそろって面倒なことだ。クレティアン、貴様……先程の言葉は真か。本気で今までの信仰を捨て、聖天使の復活のために全てを捧げることができるか」
「……?」
「折角手に入れた優秀な部下が使いものにならなくなっては困るのでな。それにローファルには私に代わってやってもらいたいことが他にある……書物を読ませている暇などないのだ」
「まさかヴォルマルフ様……!」
「貴様の方が書物庫にいて違和感もない。永遠に聖天使に従うことを誓うか、望み通りに今聖天使の為の生贄となるか、選ぶがいい!」
ヴォルマルフ様の提示した選択に、クレティアンは淀みなく答えた。
「真実の神を信仰することに、何のためらいがありましょうか……私の愛する心だけはもう捧げることができませんが、それ以外のすべてを捧げましょう。身も心も、命も、聖天使の想いのままに」
その姿は、延命のためのその場しのぎでもなければ、力に呑まれて穢れてしまったわけでもなかった。
恐ろしいまでに清廉で、美しいまま堕ちていく――自分の今までの信仰心を疑うほどに、クレティアンの信仰心は完全なるものだった。
「だが貴様には古文書を読む力しか与えん。ローファルか貴様、どちらかが裏切るそぶりを見せれば……クレティアン、貴様の命はないと思え」
「はい」
「ローファル、それでいいな?」
「……は、はい。有難たき幸せ……」
「これから先も私の手駒として精を尽くしてもらうぞ。あと、貴様ら愛しあうのは勝手だが……表向きの立場はその時が来るまでわきまえろ」
そしてヴォルマルフ様は礼拝堂から姿を消した。
「……クレティアン」
「これで私も、貴方と一緒……になれたのかな」
「すまない」
「なぜ謝る」
クレティアンが私に近づき、身を寄せた。
「言っていたな、空虚な人生が変わったと……私もずっとそうだった。ずっと……どこか寂しかった」
「……クレティアン」
「貴方のおかげで真に求めるものと、永遠に愛せるものを手に入れることができた。有難う」
「……」
「愛している。だから互いの命が聖天使に捧げられる、その日まで……」
クレティアンが私の首に手を回し、それに応えるように私は彼の唇に自分の唇を重ねた。
この日から私達は新たな人生を歩むことになった。
彼はそのゆるぎない信仰心ゆえに。
私は自分を変えてくださったヴォルマルフ様のために。
だが、それを支えるのは、互いを愛し合う……信仰も超越した力も超える、それぞれの真実の心――世界が崩壊し例え互いの命すら尽きたとしても、変わらないものだと思った。
あとがき
ローファルがなんで人間やめたのかなヴォルマルフ様に橋の下で拾われたのかな、という妄想からはじまり、気が付いたらBLが生まれてました。ロークレと表記したけど、クレティアンの方が攻めているような気がしなくもない。
他の方が書いたヴォルマルフの長年仕えている執事のようなローファルも素敵だし、こういう孤児でヴォルマルフに拾われてなかったら何も影響のない人物でも萌える。クレティアンはエリート街道まっしぐらで、世の中を上から見ている感が態度に出ているので、信仰以外はどうでもいいっていうか、高潔すぎて変な人だと思ってます。だからアジョラが自分の今まで信仰してきたアジョラじゃないと知っても絶望することなく、むしろ真のアジョラを信仰してあんなところまで行ったのかなと。
クレティアンが人間やめてないのは、レベル99ソーサラーのステータスがあまりにも弱くて人間やめてなさそうな感じだったので、そういうことにしました。