Igtenosの描く風

 

 何事もスマートに――真面目で知的。あらゆる情報を緻密に計算し、熱血や努力といった言葉を好まない。口数は少なく結果で語る仕事人。
 イクティノス・マイナードの評価は、彼が地上軍の軍人として過ごした何十年の間、ほとんど揺らぐことはなかった。
 そんな彼の性質が、自分――その人格を投影したソーディアン――にも強く投影されたのだと思う。


 あれは地上軍が天上の王、ミクトランを倒してから十日ほど経った頃。
 ソーディアンチームが地上軍指令のリトラーと開発者のハロルドによって会議室に呼び出され、「ソーディアンを天上軍施設と共に海の底に封印する」と言われた時のことだった。
 最初に声をあげたのは、ディムロスだった。「何故そのようなことをするのか」とその場にいる全員の感情を代弁する形で声を荒げた。
 ソーディアンにも人格がある、彼らは共に戦った戦友だ――ディムロスに続いてマスター達が声を上げる。それはソーディアンである自分にも強く響いた。
 しかしハロルドは無表情のまま淡々とした声でソーディアンの危険性を一同に語った。

 天上軍がなくなった今、それを倒したソーディアンという強大な力の存在は新たな争いを生む可能性があること。
 ソーディアンに限らず、神の目をはじめとしたレンズによる兵器はすべて凍結させることがリトラーの方針であること。
 そして、ソーディアンが人格を持っていることへの危険性。
 マスターは年を取り、ソーディアンは今のまま変わらない。つまり年月を経れば経るほど、マスターとソーディアンの人格が一致しなくなり、それはマスターの精神に強い負担を強いる可能性があること。
 しかしソーディアン・ベルセリオスが持ち主であったカーレル・ベルセリオスの死に強く反応し人格が死んだように、ソーディアンの感情も変動を生じ、最悪の場合、ソーディアン同士の意見の不一致による争いが起きる可能性もあること。

 ハロルドの説明に、なおも反対を述べる者はいなかった。
 なぜなら、ハロルド自身が兄だったカーレルの死とともに自分の人格を投影したソーディアンの絶望も知り、それでもなお冷静に研究と分析を続けてきた結果だと分かったからだった。

 しかしハロルドは、その説明の後にもう一つ、提案をした。
 それが、"一本だけ、この平和を維持するために封印措置をとらず地上に残す"というものだった。
 いつかミクトランのような者に神の眼を発見された場合に、他のソーディアンを目覚めさせるためだとハロルドに代わってリトラーが説明した。

「分かっているかもしれないが、残されたソーディアンのマスターにも生涯を通じて多大な負担を強いることになる。もちろんソーディアンにも……明日の朝もう一度ここに集まってくれ」

 その日、イクティノス・マイナードは、ソーディアンチームのリーダーであるディムロス・ティンバーの元に訪れた。
 呼ばれたわけではなく、何となくディムロスと話すべきだと思った――とイクティノスはディムロスと話した後で、自分にそう語っていた。

「よく来てくれたな、イクティノス……ちょうどお前に相談しようと思っていたところだ」
「今日のハロルドとリトラー司令の話……ですね」
「ああ。司令は明言しなかったが、ソーディアンを封印しないということは、そのマスターは地上軍に残らねばならない。そして死ぬまでに新しいマスターにソーディアンを託す義務がある。……間違っていないな?」
「ええ。そして残されたソーディアンは、何十年……いや、もしかしたら何百年、この地上で使命を背負うことになるかもしれない」
「先程まで我がソーディアンと話をした。これはリーダーである私が負うべき使命ではないのかと……だがイクティノス。お前にだけ、本音を言わせて欲しい」
「……どうぞ」
「怖いんだ。私が地上軍に残ること自体は構わない。だが寿命を超えて、たった一人で変わっていく時代を見守ることなど、私にできる気がしない。ソーディアンも分からないと答えた。当然だ。私に分からないことが、私の人格を映したソーディアンに分かるはずがない」
「それは誰であっても同じこと。司令もハロルドも一晩考えてくれと言ってはいたが、私か貴方か、そう思っているでしょうね」

 きっと、最初はその役をハロルド自身の人格を投影したベルセリオスにやらせるつもりだったのだろう――ディムロスとイクティノスはそう話した上で、ソーディアンを扉の近く、聞こえる場所に置いたまま話し合った。

 地上軍でもきっての古株であるクレメンテであれば、その重責を理解した上で平静に使命を全うできるだろう。だが、この戦いが終われば隠居を考えていると決戦前から語っており、実際に老年で地上軍にいられる期間も短い。
 そして残された二人。まず、アトワイトは優しすぎる。もしも未来に天地戦争とは関係ない紛争が起きた場合に、彼女は恐らく最善を尽くそうと心を痛めるだろう。それではベルセリオスと同じようになってしまうかもしれない。
 シャルティエは論外だ。まだ若く人格が未成熟な彼では、先ほどハロルドが言っていた「マスターとソーディアンの人格の不一致」に耐えられない可能性がある。
 そして――

「本音を言わせてくれ、イクティノス。私もはっきり言って……自信がないんだ。世界を守りきれる自信がない。お前は分かるだろう? 私はこうしてお前に縋っていないと決断できないような弱い人間なんだ」

 ソーディアンチームのリーダーで、地上軍の英雄、ディムロス・ティンバー。卓越した剣の才能と戦闘のセンスを持ち、どんな状況でも最前線で兵を率い、その先頭で勇敢に敵陣へ突っ込む将兵。通称・核弾頭。
 地上軍での彼の評価はおおよそそんな感じだったが、本来のディムロスは、優しく、それゆえに周りの犠牲を恐れる繊細な男だった。
 ほぼ同じ戦歴を持ちながら少し年上であるイクティノスは、彼にとって最も本当の悩みを打ち明けやすい人物だったようだ。仲の良さだけならカーレルという幼馴染もいたが、彼はディムロスにとって年下で守るべき対象でもあり、そしてミクトランと相打ちになり帰らぬ人となり、"守れなかった"親友だった。
 カーレルの死は、ハロルドだけでなくディムロスにとってもまだ乗り越えきれないものなのだろう。ディムロスの本来の繊細さを知るイクティノスは、それを十分に理解していたはずだ。
 それでもディムロスは、その結果イクティノスに強いる犠牲を天秤にかけて踏み切れないようだ。イクティノスから目を反らしたまま、気まずそうに口を開いた。
 
「だからその、イクティノス……申し訳ないのだが……」
「ディムロス中将。私が何故この地上軍で戦うことを決めたのか、分かりますか?」

 決定的な言葉を淀ませるディムロスをさえぎる形で、イクティノスはディムロスに尋ねた。ディムロスは黙って、イクティノスに視線を移し次の発言を待った。

「十年以上前。新兵の情報兵として、ダイクロフトに潜入したことがあります。あの時に初めて、太陽とその下に吹く風の息吹を感じた」
「……風?」
「日の光がさえぎられた地上に吹く風は雪や塵を巻き込んで鋭いのに、日の下にある風はとても優しく穏やかだった。確かにミクトランやり方によって天上人は今その風を感じているのかもしれない。だが、それでは本来あるべき地上は永遠に戻らない。地上が死に絶えれば支えを失ったダイクロフトも長くはない。だから天上軍は間違っている……そう思った」
「そうだ。だから我々は戦った」
「そして今天上が落ちれば、地上に残り続けている粉塵はいつか舞い上がり日の光のもと、穏やかな風が吹く日が来る。だが、完全に戻るまでハロルドの計算だと百年以上かかるらしい。それでもソーディアンならば、その世界を直接見ることができるだろうな」
「イクティノス……」
「俺自身は確かにあと何十年以内には死ぬのだろうが、永遠の生を得られるならその世界を見てみたいと思う。本当にソーディアンが俺の人格を狂いなく投影したというのなら、同じ事を思っているはずだ。だからディムロス、お前にその気がないのなら俺を選べ」
「すまない……」

 頭を下げたディムロスに、イクティノスは「謝るなよ」と穏やかに苦笑した。自分が知る限りで、最も優しい声をしていた。


――正直言うとね。最初から選ぶならアンタしかいないと思っていたわ。分かるでしょう? アンタが死んだら、そのソーディアンはマスターを何人も変えていくことになる。もしかしたら誰もマスターのいない時期もあるかもしれない。心を許したマスターの死と孤独を何回も味わうのは……ベルセリオスの人格でも無理だったかもね。兄さんが死ぬまでは、そんなこと考えたこともなかったけど――

 他のソーディアンを封印したあとで、開発者であるハロルドはそうイクティノスに語っていた。そしてイクティノスは、その日を境に、自分に直接話しかけることをやめた。


 それから二十年ほど経ち、本人が軍を退役する数年前。イクティノスは信頼できる部下の一人に、自分を託した。イクティノスを除く他のマスター達はすでに様々な事情により地上軍にはおらず、その部下も自分の声を聞くことができない人間だった。彼に対してイクティノスはいくつかのことを話した。

 ソーディアンは年月を重ねれば重ねるほどに使い方次第で歴史を狂わす兵器となる可能性があること。
 与えられた使命を忘れず、そのために平静を保つこと。
 ソーディアンに感情移入しないこと。
 
 これらの言葉はすべて、彼を通して自分に言っているのだと理解した。
 何事もスマートに。感情を表に出さず、あくまでひとつの道具として務めを果たせ――最後に感じたイクティノスの手から伝わった。
 そして退役後のイクティノスがどのように過ごしたかは分からなかったが、託された部下がある日、イクティノスの死を人づてに聞いたと語った。なんとなく「イクティノスらしいな」と他人事のように感じ、自分の声を彼が聞くことはできないのは分かっていたが、「そうか」とだけ答えた。




 さらに年月が流れた。
 徐々に地上に光が戻り、暖かくなった大地に植物が芽吹く。澄んだ水が流れ、その上に穏やかな風が吹く。

(これが……イクティノス・マイナードの憧れた景色か)

 その時のマスターと共に見た景色に感動を覚える。レンズ兵器は廃れ文明レベルはあの頃よりもずっと落ちてしまったが、今生きている人間達はその頃を知らず、不便を不便と思わないまま、穏やかな風のもと平和に暮らしていた。
 天地戦争の話は昔話として伝わっていたが、誰もが神の眼などおとぎ話が作り出した偶像だと思っていた。自分のマスターにしても、あの頃の話やソーディアンとしての力の引き出しは、出来る限り相手と場所を選んでいた。神の眼を手にしたミクトランのように、高度な文明や力は、時に人を野心に目覚めさせ、変えてしまう。良い人間に自分が渡り続けるよう、真に信頼できるマスターにはソーディアンの使命を伝えていたが、そんなマスターであっても、必要を超えた相談や知識の伝授をしないよう努めた。

 そんな時代の流れの中で、あるマスターが国を作った。ファンダリア――かつて地上軍の拠点があった場所と奇しくも近い場所に建てられた城は、寒い地域ではあったが穏やかな風の吹く場所だった。
 そのマスターはとても聡明でかつ人望があり、ディムロスを彷彿させるような"英雄"の名にふさわしい人物だった。彼には全てを話してもいいのかもしれない――そう思い、イクティノスの手から離れて以降あまり多く語らなかった自分の力と使命の全てを話した。

「ただの剣じゃないのは分かっていたが、まさか天地戦争時代の遺産とは驚いた。分かったよ。君が使命を全うするためにも、このファンダリアを長く続く素晴らしい国にしなければならないな」
『信じるのか、俺を。騙されているかもしれないとは思わないのか』
「そんな果てしない話を騙し文句に使うなんて、そんなの君らしく……スマートじゃないだろう?」

 それからは、ファンダリアの国王の証として代々伝わる剣となり、歴代の国王をマスターとすることになった。
 その中で風の噂でソーディアンらしき剣が遠い異国で発見されたという話を聞いたが、「特に何事もなければ構わない」という意向だけを伝えた。それ以外も昔と変わらず多くは語らないよう努めたが、初代の国王が掲げた『強大な力は有事の際に使うべし』という教えは子孫代々引き継がれ、必要以上に自分を頼ろうとするマスターも現れることがなかった。

 そして――

『ウッドロウ、この際だから話しておきたいことがある』

 さらに年月が経ち、天地戦争が終わって千年もの時が過ぎた日。今まで多くの出会いと別れを経て、ついにあの頃懸念していた「神の眼を悪用する者」が現れ、再びダイクロフトの浮上とともに地上は闇に包まれた。
 ディムロス達も目覚め、シャルティエとそのマスターは失ったが、世界を救うべくマスターと共にソーディアン研究所に訪れ、来るべき日のためにとハロルドが作り上げたプログラムの中に、今のマスターであるウッドロウと共にいた。

『イザークのこと……本当にすまなかった』

 イザークとは、自分にとっては先代のマスターであり、ウッドロウにとっては父親だった。グレバムが教会によって保管されていた神の眼を持ち出し、ファンダリア王国に攻め入った。彼らが流した根も葉もない情報に踊らされた国民が王国に反乱をおこすべく武器を取り、それに対処しているところを攻め入る、卑劣ながらも巧みな手段だった。イザークは自分を手に取り戦ったが、グレバムによって奪われる。グレバムは自分の力を引き出し、あろうことか自分を用いてイザークを殺害したのだ。

「イクティノスが悪いわけではない」
『違う……イザークを斬った感触、浴びた返り血。絶命する瞬間は、返り血に遮られて見ることすら叶わなかった。それでも俺は何もできずグレバムの言いなりになり、ディムロス達にも矛先を向けた。あの時痛感したよ……俺はやはり"兵器"でしかないのだと』

 思えば今までずっと、不在の時こそあったが契約したマスターは良い人物に恵まれていた。作られた当時から、自分は人間の感情を持っていたとしても道具であるというのは理解していた。だが、自らの力でイザークを殺してしまった時は心が引き裂かれそうになり、その後グレバムによって神の眼のエネルギーを直接注がれた時はこのまま壊れてしまってもいいとすら感じた。

『それだけじゃない。俺は元々、有事の際に皆を目覚めさせるためにずっとこの世に残ってきた。それにも関わらず、結果はこの通り。使命を果たすどころか、グレバムの暴走の片棒を担ぎ、合流したのも最後。シャルティエのことも聞こえていたのに、言葉ひとつかけることもできなかった……』
「イクティノス……」
『強いつもりでいたのに、情けないソーディアンだよ』
「そんなことはないさ」

 ウッドロウが剣先をなでながら、微笑んだ。

「ディムロス達は自然にお前を受け入れた。それだけお前が変わっていなかったということだ。千年間意志を貫き変わらないことは、今までの世が安泰だったとディムロス達を安心させたことだろう。だからこそ、この有事に立ち上がるべきだと、こうして今意志を統一させることができた」
『ウッドロウ……』
「それにファンダリアにとってもお前は必要な家臣だった。お前が不動である限り、自分は間違っていないのだと、我が先祖たちは勇気づけられてきたはずだ……私もマスターとなった今だから分かる」

 ウッドロウはまだ年若いが、自分が思っていた以上の傑物たる存在だった。彼は父の死もその意志力で乗り越え、国を守り、世界を救うために戦っている。

『ウッドロウ。お前はとてもいいマスターだ。お前ならばこの力、最大限に引き出すことができるだろう。だからお前に頼みたいことがある』
「何だ?」
『ミクトランを倒したとして。もしもそれで収拾がつかなかった場合は……率先して俺を手放せ』

 天地戦争が終わった時は平和のために使う可能性も考慮して、ソーディアンと同じく神の眼をそのまま封印した。
 だがこの現状を見る限り、やはりこのような大きすぎる力は必要ないのだと痛感した。今度は神の眼も壊さなければならない――同じレンズのエネルギー体であるソーディアンの力を結集すればそれも可能だと、ハロルドがかつて語っていたのを思い出す。
 他のソーディアンマスター達は良くも悪くも感情的だ。ディムロス達も。だからその時が来れば少なからず躊躇するはずだ。
 だが王の資質を持つウッドロウならば、感傷を乗り越えて決断することができるだろう。そしてウッドロウも自分の意図を理解した様子で、目を閉じて「分かった」と短く答えた。

 そんな時、目の前にひとつの人影が現れた。
 金髪で長身の男――その人影は自分と同じ形をしたソーディアンを手にしており、何も言わず強い視線だけをこちらに向けながら歩いてくる。

『イクティノス・マイナード……』
「あれが……?」
『ああ。俺の初代のマスターだ』

 もう別れてから千年も経ちあれから多くのマスターと出会い別れてきたにも関わらず、その顔はまだはっきりと覚えている。彼は自分のすべての基礎となる人物であり、この長すぎる使命を自分に託した張本人だ。
 
「自分自身に再会した気分はどうだ?」
『永く眠りについていた他のソーディアンはとにかく、俺にとっては千年前のマスターだ……と言いたいが、こうして見るとやはり特別な人間だな』

 あの時はほとんど自分と同じだったから当然と受け止め何も思わなかったが、誰よりも長く地上軍に残ることを望み、こうしてソーディアンを通してでも未来に吹く風を夢見た彼は、今の世をどう思っているのだろうか。遠い未来に別のマスターに従う自分をどんな感情で見るのだろうか。
 不甲斐ないと自分を責めるのか、それとも今までよくやったと誉めてくれるのか――だが、イクティノスは何も言わないまま、ソーディアンを構えた。それを見て、そういえばそうだった――と昔の自分を思い出してウッドロウに再び話しかけた。

『ウッドロウ。戦う前にもう一つだけ打ち明けたいことがある』
「なんだ?」

 イクティノスの幻影が、ソーディアンを無言で突き出す。何も言わず戦え――鋭く冷たい視線が、ウッドロウに刺さった。

『イクティノス・マイナードは確かに無口だったが、本当はディムロスと同じくらい熱くて……とても優しい男だったよ』
「……そのようだな」

 ウッドロウは口元に笑みを浮かべ、戦いの姿勢を取る。それに満足したように、イクティノスの幻影が微かに笑った。

「共に世界を救うため……行こう、我がソーディアン・イクティノス」
『……ああ!』

 世界を頼む――戦いの後、イクティノス・マイナードはただそれだけを言って、優しく微笑んだ。
 何事もスマートに――真面目で知的。あらゆる情報を緻密に計算し、熱血や努力といった言葉を好まない。口数は少なく結果で語る仕事人。
 イクティノス・マイナードの地上軍軍人としての評価は生涯変わらなかったが、ディムロスなど、彼に近い人間は違う評価も持っていた。
 誰よりも熱く、優しく。本当は饒舌なくせに、大切なもののために言葉と感情を殺すことができる男――だから仲間たちは彼を信頼して未来を託した。ソーディアンである自分とほとんど話をしなかったのも、死を迎えた時に自分を悲しませないため、これからの孤独にも耐えられるための、彼なりの優しさだったのかもしれない。
 それは自分が、千年経ち多くのマスターと接してきた今だからこそ分かることだった。
 イクティノスが抱えた辛さと、それでも使命を全うしようとした強さ――一人では何もできない、ただの兵器でしかない俺を支えてきたのは、優しい風が吹く未来に憧れた彼の鉄の意志に他ならない。

(イクティノス・マイナード、我が人格の礎にして永遠のマスターよ。ウッドロウ、そして今の俺と共に戦う仲間たちは素晴らしいだろう? これがお前の夢見た未来だ)

 本来の彼の人格とコアレンズに投影されたこの人格は、もう千年間景色を共有していない。とっくに違う人格になっているはずなのに、それでも本来の今の地上を見れば彼は喜んでくれるだろうと、プログラムの中で微笑んだ彼を見て思った。
 そして彼のためにも、今のマスター達と共に再び優しい風の吹く地上を取り戻したい――そう感じた。

 例え自分がその先の未来を見ることができなかったとしても。




 グレバムの騒乱、オベロン社による事件、ミクトランとダイクロフトの復活――相次いだ大きな事件が収束し、一年の時が経った。
 そんなある日、ウッドロウは城のバルコニーに立ち、いつものように城下町を見下ろしていた。
 城に戻り内政に腰を下ろしてからは、こうして城下町と空を見ることが、ウッドロウにとっての日課となっていた。

 あれから世界は平和に――と言いたいところだったが、落ちたダイクロフトの外郭によって、ダリルシェイドを始めとしたいくつかの都市や地域に甚大な被害が及び、そうでない場所でも、待った粉塵によって光が届ききらず、ダイクロフトによって完全に遮光された時期も相まって農作物の被害は大きく、まだまだやるべきことの多い状態だった。
 だがウッドロウのいるハイデルベルグは幸い被害そのものが少なく、グレバム騒乱の際に追い打ちをかけたレジスタンス達は王家に積極的に協力し、彼らのおかげもあって復興への道は徐々に開けようとしている。

「今日は風が暖かいな。来ているのか、イクティノスよ」

 風のソーディアン、イクティノス。千年前の地上軍でソーディアンチームの一員として世界を平和に導いた者の人格が投影された、意志を持った剣。
 創国の頃からファンダリア王家に仕え、それよりも前からずっと、この世界の平穏を見守ってきた存在。
 本人は己の無力を嘆いていたが、あの時自分が話したように、この時代に騒乱が起きるまで世界が平穏であり続けたのは、彼――ソーディアン・イクティノスが自らは中心に立たず世界の裏方に徹し、人を信じ、平和な世界を愛し続けていたからだと、ウッドロウは思った。
 空を見上げると、晴れた空だったがどこからか雪が流れてくる。風によって静かに運ばれてきた雪がウッドロウの手のひらに落ち、ゆっくりと溶けて消えていった。

「ソーディアン・イクティノス、ファンダリアの優秀な家臣にして我が相棒よ。今はまだ本当の平和には遠いのかもしれないが、お前の信じた未来は美しいだろう?」

 これがお前の守り続けた世界だ――そう言ってウッドロウは空に向かって微笑んだ。
 するとまるでウッドロウの言葉に答えるかのように、風が穏やかにウッドロウの頬を撫でた。冬空に舞う風は冷たいようで優しくあたたかい。ウッドロウはそんな風に対して言葉をかけた。

「お前の意志は風と共に未来へ継がれていくことだろう。だからこそ願いたい……ソーディアン・イクティノスの魂に、安息あれと」

 

 

戻る


あとがき

 イクティノスの設定って新作くるたびに人間の姿ごと変わるし、テイルズを書かなくなって大分経つんですが、D1のインテリだった頃のイクティノスも、D2の30代と判明したディムロスの副官的な茶髪イクティノスも、リメDで一人称俺になって敬語もほぼ消えた金髪イクティノスも、どのイクティノス好きだなぁと思いながら、私が思う全イクティノスを書きました。イクティノスの魂に安らぎあれ。

2018年9月19日 pixiv再掲

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system