ディムロスは、先日あった任務の報告書を片手に、イクティノスの部屋に向かっていた。
情報部に報告書を提出するのは本来部下に任せるような仕事なのだが、先程イクティノスと同室のシャルティエから、
『少将、この一週間くらい仕事終わって部屋に戻ってからもふつーに仕事しててほっとんど寝てないんですよ! おかげで僕も気を遣っちゃってストレスが!』
と愚痴をこぼされ、ちゃんと休んでいるのか気になっていたので、自らイクティノスのところへ向かおうと思ったのである。
現に、「報告書を提出する」と連絡を入れたら「自室にいるから持ってきてくれ」と返ってきた。
そうこう考えているうちに、イクティノスの部屋の扉の前まで来たので、ノックする。
……が、返事がない。いないのだろうか、とディムロスはイクティノスの名前を呼びながら、もう一度ノックした。
「いないのか? ……ん、扉は開いているな。入るぞ?」
そっと中を窺いながらディムロスが扉を開けると、部屋の電気がついており、目の前のデスクに人影があった。
「なんだ、いるんじゃないか。返事くらい……」
振り返りすらしない後姿に向かいながら、ディムロスはそこまで言って口を閉ざした。
イクティノスは、椅子の背もたれに身体を預けて、静かに寝息を立てていた。
イクティノスの横まで来て、ディムロスは今の状況をうかがった。
降ろされた左手の下の床に、資料が散らばっている。
「目が疲れないように」と作業しているときにたまにつけている眼鏡はかけたままで、パソコンの画面には細かい数字が詰まった計算表があった。
どうやら資料を片手に、随分と細かい仕事をしていたようだ。
(……まあ、一週間もこんなことをしていたらそうなるか)
とりあえず床に散らばった資料を拾い、自分が持ってきたものとあわせてイクティノスのデスクに置いた。
休め、と言いに行ってみれば当の相手が本人の意思によるものではないにしても休んでいるのである。
このまま寝かせてやろう、とディムロスは思った。
ちょうどここはイクティノスの部屋なのだ。このまま寝かせておいても問題はない。
(しかしこの状態じゃ風邪ひくな)
これがアトワイトであれば抱きかかえてベッドに連れて行くところだが、それをするにはイクティノスは体格がありすぎる。
やってできなくはないだろうが、間違いなく起こしてしまうだろうし、起こしてしまえばイクティノスのことだから再び仕事にとりかかるだろう。
仕方なく、ディムロスはイクティノスのベッドから毛布を持ち出し、それをゆっくりかけた。
『報告書は置いておくから。ちゃんと休め』
とメモを書いて先程デスクに置いた報告書の上に添え、ディムロスは立ち去ろうとその場から音を立てないよう慎重に去ろうとした。
「……!?」
立ち去ろうとしたときに不意に手を取られ、ディムロスは振り返った。
取られた手に視線を落とすと、イクティノスがディムロスの手首をつかんでいる。
「起こしてしまったか……?」
そう尋ねてみたが、反応はない。どうやら寝たまま無意識に掴んでいるようだ。
このままだと立ち去れないのでディムロスはイクティノスの手をほどこうとしたが、
「……ディムロス。行くな、……まだ行っては……駄目だ」
普段ほどではないにしてもはっきりとそう聞き取れる寝言と共に、ディムロスの手首をつかむ手に力がこもった。
眉間に皺を寄せ少しうなされているような雰囲気に、ディムロスはその手をほどくことができなかった。
(夢の中でも私はお前に心配かけてるのか……)
どんな夢を見ているかは分からないが、どうやらディムロスを引き留めているようだ。
その様子に、ディムロスはこのまま立ち去るわけにもいかなくなり、屈んで掴まれていないほうの手をイクティノスの手に添え、顔を見上げた。
「……分かった。行かなければいいんだろ」
そう言うと、夢の中にもそれが伝わったのか、徐々にイクティノスの表情が安らかなものになり、身体の力が抜けるのが分かった。
掴まれていた手に込められた力も抜けたところで、起こさないようゆっくりイクティノスの手をほどき、膝の上に降ろした。
(それにしても……初めて見るかもな)
そう思いながら、屈んだままイクティノスの顔を見上げた。
少し長めの前髪に隠された整った眉、眼鏡の下にある睫毛は長く、形のいい唇からは規則正しい寝息が漏れている。
長身で、細身ではあるが貧相ではないスタイルの良い体格。
イクティノスの部下にあたる情報部の女性らが噂するのが聞こえるが、確かに男の自分から見ても相当な美形だ。
そして、同時に「美形だけどクールすぎ」と評される通り、表情の変化も多くなければ、仕事ぶりも卒なくスマートで、とにかくスキがない。
そんなイクティノスが、ここまで無防備に自分に寝顔を見せている上に、寝言まで聞けるなど、長い付き合いの中でも初めてのことかもしれない。
でもディムロスは長い付き合いの中で感じることはできた。
冷たいようにも見える瞳には、自分以上に「この世を平和にして地上に光を取りもどす」という意思が込められていることを。
だからこそ、いつでも冷静でいられるのだろう、ということを。
「……ディム……ロス」
「!!」
先ほどとは明らかに違うトーンで名前を呼ばれ、ディムロスは自分の心臓が跳ね上がるのを感じた。
長い付き合いの中でも聞いたことがないくらい、その声は優しく甘く感じた。
(こ、今度はなんの夢を見ているんだ……?)
若干イクティノスの容姿に見惚れていたのもあるのか、甘えるように自分の名前を呼ばれてディムロスは動揺が隠せなかった。
(このままここにいればどうかしてしまいそうな気がする……)
そう思いつつも、ディムロスの手は、自然とイクティノスの顔に伸び、かけっぱなしにしていた眼鏡を外した。
そしてもう一度イクティノスの顔を覗き込んだ。
「んっ……」
「おおっ!?」
「ディムロス……?」
少し顔を近づけたところで、イクティノスがゆっくりと目を開けた。
そして視線が絡み合ったのと同時に、ディムロスも我に返った。
(あああああ! 何をしようとしていたんだ私は!?)
「……どうしたディムロス」
「あ、ああ、えっと……そうそう資料を届けに……だな」
「ああ……この毛布は……眠っていたのか、俺は?」
「す、すまんお前の夢を邪魔するつもりは……」
「夢?」
しどろもどろになっているディムロスに、イクティノスは怪訝な顔を向けた。
寝ていたのだから当然だろうが、ディムロスが来たことも、寝言でディムロスのことを呼んでいたのも、それにディムロスが反応していたことも、一切知らないようだ。
「もしかして、俺が何か寝言で言ったのか?」
「い、いやその……」
「悪いことでも言っていたか? だとしたらすまない。どんな夢を見ていたか自分でも覚えていない……」
ディムロスの反応で、自分が何か寝言を言っていたのは理解したらしい。
少し恥ずかしそうに視線をそむけて、ディムロスに謝罪の言葉を述べた。
「そういうのでは……むしろ謝るのは俺……」
「……それにしても、仕事中に寝るなんて我ながら情けないな」
ため息をつき、ディムロスから眼鏡をぶんどって再度パソコンに手をかけようとするイクティノス。
それを見て、ディムロスは本来の目的を思い出し、強引にその手をとめた。
「……?」
「うたた寝するほど疲れてるんだろう。今夜は休め」
「だがディムロス……」
「これは命令だ。少将」
名前ではなく階級で呼んだのは、さっきまで動揺している自分を封印しようととっさに感じたからかもしれない。
だが、そのおかげかイクティノスも、
「了解……」
軽くため息をついて、それに応じた。
「ああ……良かった」
素直に休むことを決めてくれたイクティノスがパソコンの電源を落として資料を片付けるのを見届けて、部屋を出たディムロスは大きく息をはいた。
しかし……
「何が良かったの?」
「!!!!!!?」
不意に声をかけられて、ディムロスが慌てて声の方を向くと、ニヤニヤとした顔で自分を見つめるハロルドがいた。
「お、お前……い、いつから……」
「アンタが部屋に入ったとこから。ねえねえ、何が良かったの? イクティノスが休んでくれたこと、だけじゃないっしょ~?」
「まさか見ていたのか!?」
「見てたも何も……ドアあけっぱなしにしてたの、気づかなかったワケ?」
「あ……」
ハロルドの言葉に、自分がイクティノスの部屋に入った時に扉を閉めなかったことを思いだした。
同時に今までの状況を思い出し、青ざめたか赤面したか分からないが、自分の表情がかなり動揺に包まれたことを感じた。
「アホねアンタ。大丈夫、気を使って途中で扉はほとんど閉めておいたし~アタシ以外誰も通らなかったし~」
「ほ、本当だろうな!?」
「ホントよ~? 安心しなさい、誰にも話さないわよ。イクティノス本人にも、もちろんアトワイトにもね~」
「アトワイトは関係ないだろう!!!」
「そのかわり……ちょっと血液を……」
「人の話を聞かんか!!」
扉の前で注射器を出すハロルドに抵抗するディムロスだったが、少しして扉が開き、二人の手が止まった。
開いた扉の向こうでは、イクティノスが無言でこちらを睨みつけていた。
「……き、聞こえていたか?」
「アトワイトが何とか……という貴方の声が」
「……えっと……」
「人に休めと言っておいて、その部屋の扉の前で騒ぐとは……どういうつもりですかディムロス中将?」
わざとらしい敬語と敬称に、表情には出していないもののイクティノスが相当怒っているのを感じた。
「やーんディムロス怒られた~!」
「あ、おい待てハロルド! す、すまないイクティノス!」
ふざけたようにその場を離脱するハロルドに便乗して、ディムロスもその場から逃げるように去った。
「少しでも感謝したんなら、アタシの実験に手伝ってくれるわよね?」
その後ハロルドにそう言われて「やられた……」と思いつつ、ずっと動揺しぱなっしのディムロスは気づかなかった。
ハロルドと共に逃げ去ったディムロスを見ながら、
「あんな夢を見るなんて……」
と、赤面しながら口元に手をやるイクティノスがいたことに。
あとがき
Twitterで少しディムイク再熱して書いてみたけど、昔とそんなにノリが変わっていないって感じの作品です。
2013年11月9日 pixiv投稿