(1)
――数か月後 ベオルブ家――
その日のベオルブ邸は、とても静かだった。
いつもであれば使用人が働き騎士達が出入りするのだが、家長のダイスダーグによって、入口の一部分を除いた場所は家族以外入らぬようにと、人払いされていた。
何故そのような状態にしたのか。それは、騎士として最高位の称号“天騎士”を戴く偉大なる勇者――バルバネス・ベオルブが、その日最期の時を迎えようとしていたからだった。
「父上、もうすぐザルバッグがアルマを連れて来てくれますよ」
「ラムザは……」
「あれの行きそうなところを探って便りは出していますが……」
ザルバッグは変わらず北天騎士団をまとめており、アルマはティンジェル家に嫁ぎミュロンドで生活をしているが、あれからラムザだけはどこにもとどまらず、畏国を巡っては相変わらず様々な事件に巻き込まれているらしい。風の噂でラムザの活躍を聞いては、誰にも縛られず自分の正義を貫き通す弟の姿を想像し、兄として家長として困りながらも、どこか羨ましいと病床の父と共に語る日々だった。
「父上、お体の具合はいかがですか?」
「……多忙なところ、すまないな」
「何をおっしゃいます。父を看るのは、息子の大事な務めでありましょう……前にもこんなことを話しましたな」
ダイスダーグは思い出す。過去に病床の父とこうして二人になり、父と話したことを。あの時は他でもない自分自身が、明確な殺意をもって父に毒を盛り続けることで父を床に伏せさせていた。あの時に比べて今は顔色こそ思わしくないが、なんとなく穏やかな表情に見えた。
(違うな……変わったのは私の方だ)
あの時の自分は、父への殺意と自らの野心に縛られており、父の感情を思う余裕も優しさも持ち合わせていなかった。今でもベオルブ家をさらに高みへ、という気持ちもあるが、あの時のように「全てを利用し蹴落としてでも」という程の暗い野心は自分の中にもはやなかった。
「ふふっ……まったく私とあろう者が、家の事を顧みないあんな未熟者に毒気を抜かれるなど。父上はこの未来を予見されていたのですか」
「まさか。だが私は信じていたよ……お前達ならば、この畏国を平和にすることが……ごほっごほっ」
「……お身体に触ります。あまり喋られない方が」
「いや……大丈夫だ。ダイスダーグよ……お前にひとつだけ……皆が来る前に」
「……はい」
バルバネスは咳ばらいをし、ダイスダーグの袖を掴んで視線を向けた。
「ダイスダーグ……我が誇り、ベオルブの名を継ぐ者よ……そろそろ自分を許してやってはどうだ?」
「……」
「わしのことは、このままわし自身が墓まで持っていけば良いだけのこと……だからダイスダーグよ、これからはお前自身の幸せのために……生きて欲しい……」
「父上、何をおっしゃるかと思えば。私のような悪人など、ベオルブの道具であれど象徴にはなれませぬ」
父の言葉にダイスダーグは首を横に振った。畏国を平和にしその中でベオルブ家を繁栄させる――そのために手を尽くしてきた結果、ダイスダーグは自分がベオルブに相応しくないのだと考えていた。様々な陣営から疎まれようが異端者になろうが、自分だけが矢面に立つことで、ザルバッグやラムザが守られるのならばそれで良いのだと。
「誉れ高き天騎士が、私のような親不孝者の幸せを願ってはなりませぬ」
「天騎士である前にわしはお前の父。父が子の幸せを願うのは当然であろう……それに」
バルバネスはダイスダーグの服を掴む手に少しだけ力を込めて続けた。
「感謝している……お前のおかげで、わしは平和な未来を、夢ではなく現実として見ながら逝くことができる……」
「……」
「失礼します」
部屋の扉が開き、入って来たのはザルバッグとアルマの姿だった。
「ザルバッグ、アルマ……よく来てくれた。顔を見せてくれぬか……」
バルバネスはダイスダーグから手を離し、ベッド脇に立ち顔を覗き込むザルバッグとアルマを見て微笑んだ。もうすぐ父が天に召されるのだと感じたアルマが、涙ぐんで口元を抑えた。
「お父さま……」
「泣くな、娘よ。ティンジェル家での生活は順調か?」
「はい。みなさん、とても良くしてくださってます」
「それは良かった……イズルード殿と幸せになりなさい。ザルバッグ、お前も自らの家庭を大事にするのだぞ」
「勿論です。もうすぐ第一子も生まれるとのことです……できれば存命のうちに孫の顔をと思っていたのですが」
「それは良い話だ。子供は可愛いぞ……お前も父になれば分かる……」
「父上……ッ……ラムザは、ラムザはどうしたのだ! こんな時に……!」
目に涙が浮ぶのを隠すように、ザルバッグはその場にいないラムザの名を呼んだ。
「ダイスダーグ、ザルバッグ……わしの自慢の息子たちよ。ラムザを頼む……おまえたちとは腹は違うが……わしの血を分けた息子だ……」
「当然です! でもあいつ、オレたちの知らないところで無理ばかりするから心配で……父上を看取りたい気持ちはオレ達より強いだろうに……!」
「ザルバッグ、あまり感情的になるな」
「すみません、兄上……」
ザルバッグを静かになだめるダイスダーグだったが、気持ちは同じだった。ラムザは一体どこにいるのか、どこかで便りを見てくれているのだろうか――息をつき、ダイスダーグは閉じたカーテンをわずかに開けて、玄関先を見た。
「……ラムザ?」
見覚えのある金髪が屋敷に駆け込んでくる姿が見えて、ダイスダーグはその名を呼んだ。
「え、兄さん……?」
「ああ、噂をすれば……だな」
ダイスダーグがそう言って苦笑すると、少しして廊下を走る音が近づき、扉が開く音と共に懐かしい声が響いた。
「父上ッ!」
「……騒々しいぞ」
「すみません……ち、父上……」
「ラムザ……よく来てくれたな。よく……顔を見せてくれ」
バルバネスの言葉に、ザルバッグに場所を譲られたラムザがバルバネスの顔を覗き込み、その手を握った。
「ますます良い……面構えになったな、ラムザ。元気にしていたか?」
「は、はい……すみません、中々戻れなくて」
「構わぬ……よいか、ラムザ……」
「はい」
「我がベオルブ家は……代々王家に仕える武門の棟梁だった。だが……騎士の魂は家ではなく我らと共にある。これからもおまえはおまえの信じる道を……歩むのだ。それが……ベオルブの名が示す真の騎士道……ダイスダーグ達も支えになってくれよう」
「はい……」
「お前ならば……この平和な世で……わしがかつて目指した真の騎士になれるかもしれん……だが……ザルバッグ達も心配している」
そう言って微笑んだバルバネスが、静かに目を閉じる。同時に、ラムザの手からバルバネスの手が滑り落ちた。
「ラムザだけでない……皆、無理だけは……するなよ」
「父上……!」
「父上ッ!」
「お父さま……」
そのまま眠るように、バルバネスは息を引き取った。
成長した子供たちに看取られたその死に顔はとても穏やかで、弟たちと妹が涙し別れを惜しむ中、ダイスダーグは静かに部屋を出た。
廊下に出て、ダイスダーグはザルバッグ達が来る前の父との言葉を思い出し、誰も見ない中でひとり、目頭を押さえた。
――それから時は経ち――
「アラズラム先生、それからベオルブ家はどうなったんですか?」
書斎で若い生徒たちに質問され、歴史学者J.D.アラズラムは静かに本を閉じながら答えた。
「この本では、彼らはそれぞれの道を歩み、イヴァリースのために尽力したと書かれている。でも……」
「でも?」
「この本には歴史の教科書で語り継がれる王女オヴェリアの治世とは少し異なったことが書かれている。未知なるものと遭遇したラムザ、表の歴史を支えるダイスダーグ、そしてオヴェリアの影として生きたディリータ……面白い視点だが、まだまだ研究の余地はありそうだ」
アラズラムの言葉に、生徒たちは「へえー」と声を上げた。
「君達もこれから歴史を学ぶのならば覚えておきなさい。目に見えるものだけが"真実"なのか――それを探求するのが、我々の務めであると」
この本の作者「オーラン・デュライ」は、本にこう書き記している。
人間は何に幸福を見いだすのだろうか?
何のために今を生きるのだろうか?
そして、何を残せるだろうか?
彼は五年の歳月をかけて自分が見聞きした出来事をまとめ、この「デュライ白書」を記した。
本は公式発表されることなく子孫に静かに語り継がれ、今の世になってアラズラムが世に出したのだ。
歴史を裏で支えた者達による"ブレイブストーリー"として。
そしてアラズラムは、デュライ白書を元にして書き上げたブレイブストーリーの最後に、こう補足した。
――私は真実を知ることが出来た。だからこそ世に出したい。彼らの生きざまを若い世代に伝えるためにも――ブレイブストーリー著者 アラズラム・デュライ
――イヴァリース 某所にて――
「ほんとうに良かったの? ディリータ」
暗い森の中でオヴェリアは旅装束をまとい、自分の手を引く男に尋ねた。
男は無言で走り続け、そして森から抜け出したところでようやく振り向いた。
「ああ。それがオレの幸せだよ」
「……ディリータ」
出会ってから十五年近くが経ち、先日畏国ではオリナスが成人の儀と共に王として迎えられた。
それまで摂政という形でルーヴェリアと共に政治を行ってきたオヴェリアだったが、今日彼女は、ディリータと駆け落ちするために城から抜け出す決意をしたのだ。
「誰にも話さなかったのか?」
「いいえ……アグリアスには以前から話しているわ。城でまだ騒ぎにならないのは、アグリアスがうまくやってくれてある証拠よ……」
オヴェリアは懐から一本のナイフを取り出した。
「最後にこれを渡されたわ。何かあった時は、これで自分の身を守って欲しいと」
「……そうか」
短く返事をしたディリータは、オヴェリアの手を取ったまま先の景色を見る。
背後の暗い森とは打って変わって、目の前は風にそよぐ草原が広がり、徐々に朝日が昇ろうとしていた。
「そうだ、オヴェリア」
「何?」
「今日はお前の誕生日だろ? 大きな花束でもあげられれば良かったんだが……」
おめでとう、とディリータは跪き、握ったままのオヴェリアの手の甲に口付けた。
「ありがとう、ディリータ……そしてごめんなさい」
「だから謝るなよ。オレはずっとこうしたかった。だからオレはお前の影として手を貸してきた……お前を利用したんだ」
「……ええ」
「どこに行く、オヴェリア? 今日からオレ達は自由だ」
「そうね」
「ずっと一緒にいよう……愛している」
ディリータは立ち上がり、オヴェリアを抱きしめた。最初驚いた様子のオヴェリアだったが、少しして答えるようにディリータの背に手を回した。
(ラムザ……お前は何を手に入れた?)
オヴェリアと愛を誓う中で、ディリータの頭の中に浮かんだのは、ずっと前にゼルテニアで別れた親友の顔だった。
風の噂で嫌でも入ってくる彼の活躍を聞いては、自分も負けていられないなと、自分の選んだ道に向かって進み続けてきた。
(オレは……)
もうベオルブに戻ることはできないが、ようやく"明日"を掴むことができたのだと、最も愛する者――オヴェリアの身体を抱きしめながら思うのだった。
あとがき
もしも獅子戦争がなかったらシリーズ、こちらで完結とさせていただきます。
プロローグから追ってくださった方いらっしゃいましたら本当にありがとうございました。当初の予定では1年くらいで終わらせるつもりだったのですが、2年以上かかりました(特に3章、ざっくりとしたプロットは最初から作っていたんですが、色々話をまとめるためにすごく更新遅くなりました)。でも時間かかったぶん、書いているうちにダイスダーグやドラクロワ、ゴルターナ公など、別にそこまで好きじゃなかったキャラクターが好きになったので、書いてよかったなぁと思います。
宿主さん達の都合により出番のなかったザルエラ、ベリアス、アドラメレクについてはこの場を借りてお詫び申し上げます。彼らも好きなキャラクター達ではありますが、契約者不在のため、聖石の中で静かに眠っているということですみません。
またこの世界線で書きたいことができたら、番外編&特別編という形で書きたいと思います。
2018年11月25日 pixiv投稿