IF FFT ~もしも獅子戦争がなかったら~

-第3章 前編-

 

(1)

――オーボンヌ修道院――



 オーボンヌ修道院へ向かう道を、二匹のチョコボが歩いていた。


「この修道院でアルマは育ったんだな」
「そうよ。懐かしいわ……シモン先生はお元気かしら」
「シモン殿もアルマの笑顔を見れば喜ぶよ。君の笑顔は人を元気にする」


 初めて会った時から変わらず直接的に愛の言葉を告げられ、顔を赤らめて一匹のチョコボを操るイズルードの背中にしがみつきながら、アルマは自分の修道院生活を思い出していた。
 父や兄達に出会えるのは年に数回の修道院生活を窮屈に感じていたが、アルマにとってそれもまた良い思い出になっていた。あの時ああしていたからこそ、今こうして、ベオルブ家がアルマの嫁入りのために託したドレスやアクセサリを、愛している人とその家族と共に取りに行けるのだ。父や兄と離れ、こうして新しい家族となる者達と短い時間ではあるが共に過ごしている――アルマはそれを新鮮に感じていた。


「浮かれすぎだ、イズルード。これから行くのは修道院――教会の騎士であることを忘れるな」
「ち、父上……」


 ふたりを先導していたもう一匹のチョコボに跨るヴォルマルフが、振り返りイズルードを鋭い視線でたしなめるのを見て、アルマはイズルードの背中から顔を出して、ヴォルマルフを見た。


「ごめんなさいヴォルマルフさん。イズルードは私の緊張を少しでもほぐしたいと思って言ってくれたのよ」
「……まあいい。降りるぞ」


 正門近くで三人はチョコボから降り、そして正門の前に立つ院長――シモンの前へと歩んだ。 


「ご無沙汰しております。シモン先生」
「アルマ様、お久しぶりですね……この度はおめでとうございます。後ろにいらっしゃるのが、ティンジェル家方々ですね」


 シモンの言葉に、まずはイズルードが前に出た。


「お初にお目にかかります。アルマの思い出の場所に訪れることが出来たこの日を光栄に思います」
「シモン殿、元気そうで何よりです。まさかこのような形で貴殿と会うことになるとは」
「ヴォルマルフ殿も。ご子息の縁談、お祝い申し上げます」


 イズルードに続いて頭を下げたヴォルマルフに、シモンもまた丁寧に礼を返した。


「ベオルブ家より預かった品々は用意できております。本ばかりの場所ではありますがどうぞお入りください」



 シモンの案内で、教会の階段から地下の書庫へと降りる。


「すごい本の量だ」


 書庫には大きく古い本が多く積み上げられており、イズルードは書庫を見渡した。


「イズルード様は本に興味がおありで?」
「え? い、いや……その。仲間に好きそうな人がいるもので……すみません。自分はどちらかと言うと活字は苦手です」
「そうですか。ですが本は良いものですよ。自分が持たない感性、見ることのできない過去や遠い地を、本を通せばこの修道院の中からでも覗くことができる。文字は人に想いを伝える究極の魔法のようなものだと私は思います。現にここに何十年といても飽きることがないのですよ」
「……精進します」


 愛おしそうに書庫を見つめて本について語るシモンを見て、イズルードは申し訳なさそうに答えた。
 
「貴方は正直な方ですね。アルマ様が貴方を婚約の相手に選んだことを喜ぶのも分かります」
「イズルードは優しくて誠実よ。もちろん兄さんたちから離れるのは少し寂しいけど、イズルードとなら幸せになれるって、私は信じているの」


 アルマが満面の笑顔で言った。イズルードもまた幸せそうに頬をゆるめ、シモンはこの二人が、ただの政略結婚を超えて、ひとつの恋愛をしているのを感じた。


「……イズルード」
「あっ……ち、父上。申し訳ございません」
「シモン殿やアルマの前でなければ、愚か者がと頬の一発叩いてやるところだ」
「まあまあヴォルマルフ殿。まだイズルード様も若いのですよ」


 シモンに制され、ヴォルマルフは息を吐いた。そして誰にも気づかれないよう、制服越しに胸元にある聖石レオを握りしめた。
 ヴォルマルフは内心感じていた。ここに来てから、妙な胸騒ぎがする。もちろんここへ来る前から、悩むところはあった。
 数週間前のことだ。ヴォルマルフは教皇から勅書を渡された。その勅書にはこう書いてあった――ヴォルマルフ・ティンジェルの使命は、ダイスダーグ・ベオルブを殺すことである――と。
 何故教皇はこのような命令を下すのか。それはダイスダーグが畏国をまとめようとしていることに他ならない。教会は、畏国の混乱に乗じて"信仰"の名のもと権力を強めようとしているのは、ヴォルマルフも五十年戦争の頃から感じてはいた。そしてダイスダーグは次兄のザルバッグほど信仰を持たず、教会の言葉に従う人間ではない。


「こちらです、ヴォルマルフ殿……どうかされましたか?」
「いや……なんでもない」


 嫌な予感に引かれながらも、ヴォルマルフは平静を装ってシモンのところに歩み寄り、出された箱を開けた。ベオルブ家から預かったという品はアルマを産んですぐに亡くなったという母の形見のものが多かったが、状態はどれも良く、アルマが大人の女性としてこれらを使うのであれば亡くなった女性も喜ぶだろう――ヴォルマルフは数年前に亡くした自分の妻と重ねながらそう思った。


「そう言えば、メリアドールには剣しかまともなものを贈っていないな」
「それは父親失格ですよ、ヴォルマルフ殿」
「……そうだな」


 例え自分がどうなろうと全てが解決した未来の為に自分の娘にも嫁入り道具くらい用意しなければ、とヴォルマルフはそっと箱を閉じた。



 一方、アルマとイズルードはというと、ヴォルマルフが箱に近づいた時に一緒に足を踏み出したのだが、その途中でアルマの足が止まった。


「……誰?」
「どうしたんだ、アルマ」
「声がするわ」


 イズルードの問いかけに短くそう答えたアルマは、まるで導かれるように階段の下へと向かっていった。
 ヴォルマルフとシモンは、アルマが下へ行こうとしていることに気付いていない。イズルードはアルマの後を追った。
 階段を降りたところでアルマに追いついたイズルードは、アルマに声をかけた。


「なにかいるのか……?」
「……あなたは誰?」
「アルマ?」


 アルマは誰かと話している様子だったが、人影はアルマだけだった。アルマは星座の印が刻まれた石を手にしている。その石には処女宮が刻まれている――それが"ヴァルゴ"であることを、パイシーズを持つイズルードはすぐに気づいた。


「こんなところに聖石があったのか」
「これはオヴェリア様が修道院に来た時に、王家の印として修道院に献上したもの……でもそんなことはどうでもいいわ。呼ばれている……あいつに。バグロスの海、絶海に浮かぶ灯台に広がる無限の闇の果て」


 人懐こい表情のアルマの目が、鋭く据わっている。流れる空気が妙に重々しい。
 何かがおかしい――イズルードは直感的にそう思ったが、どう言葉をかけていいのか分からず、じっとアルマを見つめることしか出来なかった。
 突然アルマの前に暗い穴が現れ、アルマはそこに向かって歩みだそうとしていた。


「行かなきゃ……」
「アルマ!」
「何をしているんだ、勝手な行動は……」


 そんな時、背後から足音がして、振り向くと、二人がいなくなったことに気付いたのだろう、ヴォルマルフの姿があった。


「父上、アルマの様子が……」
「……血塗られた聖天使」
「父上?」


 ヴォルマルフはアルマを見て、イズルードが見ても分かるほど動揺した表情を見せていた。身体が震え、何かを恐れているかのようだ。ヴォルマルフの胸元にある聖石――レオが輝きだした。そしてアルマが穴の前で振り返り、冷たく妖艶な笑みを浮かべる。


「よくぞ来たな"我が忠実なる統制者"よ。あいつは私を復活させて倒そうとしている。でも私が復活するためにはお前が必要よ。あいつを倒すために、共に来てもらえるわね」
「私は……」
「行きましょう。我が永遠の契約者――統制者ハシュマリムよ」
「聖天使? ハシュマリム? アルマ、君は何を言って……」


 そこでイズルードは言葉を失った。ヴォルマルフが無言で剣を抜き、イズルードに視線を向けたからだ。


「父上……!」


 様子がおかしい。そう思ったイズルードは咄嗟に自身の剣に手をかけようとしたが、同時に自分の血飛沫が舞うのを見た。


 

(2)



――数日後 ベオルブ邸――



「アルマは……アルマはまだ見つからないのですか!」
「落ち着けラムザ」


 アルマが"行方不明"となった。その一報を聞き、ラムザは毎日のようにこうして兄でありベオルブ当主のダイスダーグの元に訪れていた。
 嫁入りの準備の為に神殿騎士イズルードとその父ヴォルマルフと共にオーボンヌへ向かったが、オーボンヌでイズルードは重傷、院長のシモンは軽症を負い、ヴォルマルフとアルマは行方不明――その話を聞いたラムザはすぐにオーボンヌへ行こうとしたが、ダイスダーグから「今行くべきではない」と諭され、この数日は軟禁状態となっていた。


「シモン殿はほとんど回復されたそうだ。そして掴んだ情報によるとイズルードは剣で斬られたと言う……私はヴォルマルフ殿が犯人ではないかと教会を探っているところだ」
「そんなことをしている場合ですか! アルマを捜索しないと」
「だから落ち着くのだ。相手は神殿騎士団長――つまり教会の陰謀である可能性が高い。ここで表立って動くことは得策ではない」


 ダイスダーグはそう言って唇を軽く噛んだ。兄も兄なりに苛立っていることに気付き、ラムザは大きく息を吐いて自分を落ち着かせようとした。


「でも……どうして神殿騎士団長がアルマを? それに斬られたっていうイズルードは息子のはずだ……」
「確実な情報が掴めぬ以上、イズルードが斬られたことも真実か分からん。ここに政治的な何かがあるのなら、下手に動くことは相手の術中にはまるようなもの。もちろんヴォルマルフ殿も巻き込まれた可能性も否定できぬが、修道院という場所で神殿騎士団長とその息子を相手にできるとも考えにくい」
「嫌な予感がする。アルマ……」


 そうしているうちに、執務室の外が急に騒がしくなったのが聞こえ、扉からベオルブ邸に仕える侍女が飛び込んできた。


「どうした」
「神殿騎士と名乗る女性が急に殴り込みを……! ダイスダーグ様かラムザ様を呼べと」
「ラムザ!!!」


 侍女の後ろに、緑色のローブを着た女性――メリアドールの姿が見え、ラムザを見て執務室に飛び込んできた。
 直後にメリアドールが撒いてきたのだろう警備兵が数人、執務室の扉付近に駆け付けた。


「め、メリアドール……君は一体なにを」
「お願いラムザ! 大変なのよ、私の話を聞いて!」
「……この女性は?」
「彼女は神殿騎士団長の娘です」
「分かった」


 ラムザの返答に頷いたダイスダーグは駆けつけた警備兵や侍女に「彼女は客人だ」と説明し部屋を立ち去るよう命じた。
 扉が再度閉められたところで、ダイスダーグはメリアドールを見て鼻で笑った。


「アポイントもなく強引に押し入るとは、神殿騎士団長殿のご令嬢は随分なお転婆のようだ」
「……それは謝ります。ですがこれは個人的な事。教会の命令ではありません」
「そうか。だがちょうどいい。我々も君達とどう話をつけるか考えていたところだ」
「それは本当のことだ、メリアドール。イズルードは……大丈夫なのか?」
「命に別状はないって……教会には優秀な魔道士もたくさんいるし、大丈夫よ」
「よかった……」
「良くないわ! 私の仲間が、シモンさんから話を聞いてくれたの。イズルードを斬り、シモンさんにまで危害を与えたのは間違いなく父よ。そして修道院にあった聖石・ヴァルゴを持ち去り、アルマと共に突然消えたって」
「そんな……」
「でも信じて。父にそんなことをする動機なんてない。父は今回の婚約をとても喜んでいた。それに剣士である父に魔道の心得なんてない。突然姿を消すなんて……!」
「アルマだって……まさか」


 メリアドールの言葉に出てきた、持ち去られたと言う聖石のことが脳内をよぎり、ラムザは今まで起きた聖石の様々な奇跡を思い出していた。
 もしもアルマとヴォルマルフが、聖石の何らかの力に巻き込まれたのならば――この不可解な事件にも一応の説明がつくように思った。


「ダイスダーグ兄さん。お願いがあります。メリアドールと共に、アルマ達の捜索をする許可をください」
「当てがあるのか? 畏国は広い。彼女の言うように教会も知らぬことであれば、闇雲に探しても見つからないと思うが」
「僕が行かなくても、メリアドールは一人でも探しにいくつもりだ……見過ごすことなんてできません」
「お前らしい回答だ。いいだろう、許可する。だが」


 無茶はするなよ、と続けたダイスダーグの返答に微笑んで頷いたラムザを見て、メリアドールも安堵したように表情を少しだけ和らげた。




「ありがとう、ラムザ」


 執務室を後にしてベオルブ邸の外に出たところで、メリアドールは再びラムザに礼を述べた。


「僕にとってもアルマは大事な妹だからね」
「そうね……ねえラムザ。本当の事を言うと、最初はダイスダーグ卿を疑ってここに来たの。これは父を貶めるための陰謀なんじゃないかって」
「陰謀って……」
「ごめんなさい。でも貴方を見てその疑いはなくなった。貴方は信用できる人よ。これが陰謀なら、貴方は兄であるダイスダーグ卿にも立ち向かう……そうでしょう?」
「それは……買いかぶりすぎだよ。それできみには何か当てがあるのかい?」
「血塗られた聖天使と統制者ハシュマリム。バグロスの海に浮かぶ灯台に広がる無限の闇……」
「え?」
「イズルードが聞いたって。アルマが……何かに憑りつかれたように言っていたと。何の事かは分からないけれど」
「バグロスの海に浮かぶ灯台に広がる無限の闇……? どこかで聞いたような」
「それはガリランド王立アカデミー開祖の大魔道士、エリディプス氏の著書に書かれた文言だ」


 声がしたのでそちらに視線を移すと、メリアドールと同じ、神殿騎士と思われる制服を着た若い男の姿があった。


「あなたは?」
「お前がラムザだな? 私の名はクレティアン。メリアドールと共にヴォルマルフ様を捜索している」
「クレティアン。例の件は?」
「問題ない。ラムザ、お前も確かアカデミーに所属していたのだったか……夕方にダーラボン卿と会う約束をしている。興味があれば同行して欲しい」
「……ダーラボン先生?」
「エリディプス氏の著書を保管しているのはダーラボン卿だ。講義でもよく話をされていた……お前がその言葉に反応したのも、そういうことだ。本をよく確認すれば、何か分かるかもしれないからな」
「……いいんですか? 突然僕までお邪魔して」
「そちらの方が都合もいいさ」


 クレティアンは少し意地悪く口の端を上げ、言葉を続けた。


「ダーラボン卿相手にどうすれば調べものがはかどるか悩んでいたが、卿を知る者が同行してくれるなら助かるよ」



――夕方。


「お久しぶりですねえ、クレティアンさん。お元気そうで何よりですよ」
「ええ。ダーラボン卿も、お変わりなく」
 メリアドールとは一旦別れ、ラムザはクレティアンと共にダーラボンの邸宅を訪ねた。
 ダーラボンは王立アカデミーでも長く教師をしており、穏やかな人柄と、分かりやすい講義に定評のある人物だ。


「ラムザさんもご活躍は色々とおうかがいしていますよ。ディリータさんはお元気にされているのですか?」
「ええと……まあ、元気ですよ」
「……ああ。家の前で立ち話も良くないですね。どうぞ中にお入りください」


 家の応接室に通されたラムザ達の前に紅茶が置かれ、ダーラボンは腰かけて再度嬉しそうに「元気そうですねえ」と微笑んだ。


「それにしても驚きました。まさかクレティアンさんがラムザさんを連れてくるとは」
「私も在学中はザルバッグ殿にお世話になりましたから。それで……エリディプス氏の著書の件ですが」
「こちらですね?」


 ダーラボンがクレティアンの前に本を差し出す。表紙には"エリディプス"の文字が書かれており、そしてタイトルから、冒険書であることをラムザも察した。


「これは大魔道士エリディプスが魔法の研究と並行して探していたイヴァリースの秘境について書かれています。ああ、そうだ。エリディプス氏はですね……という町で次男として生まれ、幼年から魔法に興味を持ち……」


 穏やかな表情と口調のままだったが、ダーラボンの中で何かのスイッチが入ったのを、在学経験のあるラムザはすぐに察した。そう、ダーラボンの授業は丁寧ではあるのだが、その穏やかな口調から発する長すぎる講義は、絶妙な眠気を誘うとアカデミー生の間では有名なのだ。
 そして隣では、卒業生であるクレティアンが早速本を開き、目を通し始めている――クレティアンはラムザに視線を向けることすらないが、ラムザは察してしまった。"話を聞くのがお前の役割だ"と言う事を。


「へえ……それで、エリディプスは」
「十歳になる頃には初歩的な魔法をマスターしたエリディプスは、神童と呼ばれ、幼くして各騎士団の注目の的となりました……そして……」
「……」


 最初は相槌を打っていたラムザだったが、次第に無言で聞くようになっていた。それでもダーラボンの話は終わらず、クレティアンも無言でページをめくり続けている。外を見ると日も落ちており、ラムザはついに耐えかねてクレティアンに声をかけた。


「あ、あの……」
「ああ、よくぞ耐えて……いや、有難う。この場所だ」
「そしてエリディプスは魔法の合成という離れ業を研究し始め……おや、どうされましたか?」


 ダーラボンも話すのを中断し、クレティアンが机の上で開いたページを確認した。
 ――バグロスの絶海を照らす灯台。そこに隠された洞窟に立ち入ると、無限の闇がそこにあった。始まりは些細なことに過ぎない。だが何かに導かれるような好奇心に誘われた。同時に私の持つ聖なる石が淡く輝く。"彼"もこの先に興味があるようだ。だから私は一人、その闇の中へと足を踏み出す。きっとこれが、私にとって最後の冒険となるだろう。


「……この本、そこで終わっていたんですね」
「ええ。エリディプスはこの本を同行者に渡し、一人洞窟の中へと姿を消したと言います。それが最後に彼の姿を見た日と言われています」
「おかしいな……アルマがこんな話を知っているなんて思えない。ヴォルマルフさんは?」
「さあ。だが知っていたとしても、彼女と共にそこへ行く理由など……」
「そういえば、ここに書かれている聖なる石はゾディアックストーン……だとすれば……クレティアンさん」
「何だ?」
「メリアドールの証言によると、アルマ達はヴァルゴを持ち出した。根拠はないけど……僕はこの事件の背景には"聖石"が関わっている気がするんです。バグロスの海の灯台はライオネル領……ドラクロワ枢機卿の元へ行きましょう。枢機卿なら、何かを知っているかもしれない」
「枢機卿が? ……まあいい。他に当てもないし行こう」


 船はこちらで出す、と続けたクレティアンは、本をダーラボンに返し立ち上がった。


「おや。もう行かれるのですか? まだお伝えしたいことが」
「それはまた後日にでも。……行くぞ」
「は、はい」


 まだ話し足りないのか眉を下げるダーラボンを尻目に、クレティアンと共に邸宅を後にした。


 

(3)



――数日後、バグロス海の灯台――



「本当にこの灯台の地下に空間があるなんて……」
「驚きましたか?」


 扉の奥に真っ暗だが確かな空間があることを確認したラムザを見て、ドラクロワが微笑んだ。
 ダーラボンの話を聞いたあの後、教会の幹部であるクレティアンが早速ドラクロワに使者を出し、おかげでライオネルに着いた頃には滞りなくドラクロワとの謁見が行われた。
 ラムザは自分の持つ情報をドラクロワに話し、ドラクロワは二つ返事で灯台への立ち入りを許可しただけでなく、入口まで案内すると申し出たのだ。


「ラムザ殿には、我がライオネルで起きた司祭の不祥事で大変お世話になりましたからね。何かあれば協力を惜しまぬと約束もした……これくらいは当然の事です」
「知らなかったわ、ラムザ。貴方ってやっぱり凄いのね」
「そんなことないよ……あの時だって、ウィーグラフやベイオウーフさんが解決したようなものさ」


 感心するメリアドールに、ラムザは苦笑して答えた。


「でも……本当に父さん達はこの奥にいるのかしら。確証がなさすぎるわ」
「だが最近何者かが立ち入ったのは間違いないようだ」


 クレティアンが扉を指して言った。ラムザ達がここに来るためにドラクロワが灯台の管理人に扉を開けるよう依頼していたのだが、その扉は何者かによって壊されていたのだ。管理人は「一週間前に来た時は閉められていた」と答えており、破壊された跡も真新しかった。


「この洞窟への入口も強引に壊されている。壊し方は剛剣技によるもの……同じ使い手であるメリアドールなら分かるだろう」
「……そうね。でもどうして」
「そうだな。ヴォルマルフ様は最近思い詰めていた。だが、だからこそ今回アルマ嬢と共に行方をくらましたのは不可解だ」
「……父さんに何かあったの? 貴方は何かを知っているのではなくて?」
「この場では……」


 メリアドールの問いかけに、クレティアンはラムザやドラクロワを横目に口ごもった。


「……分かったわ。言いにくいことならこれ以上は聞かない。でも私は行くわ。父に何かあったのならば、私が父さんを救ってみせる。あなたはここに残って欲しい……私に何かあれば、イズルードのことを頼むわ」
「縁起でもないことを言うな」
「僕は一緒に行くよ、メリアドール。二人に何があったのか分からないけれど……僕もアルマを助けなければ」
「ええ。頼りにしているわよ、ラムザ」
「行くのですか」


 顔を見合わせてから再び洞窟の奥を見据えたラムザとメリアドールに、ドラクロワが尋ねた。


「別に止めるつもりはありません。ですが……この奥には貴方がたが求めるものと、貴方がたがまだ想像したことのないもの。その両方があります。貴方がたは恐ろしい"真実"を見るかもしれない……」
「真実? 貴方は何か知っているのですか?」
「分からない……ただ、我が聖石がそう告げているのです。この先にヴォルマルフ殿がいるのも間違いありません」


 まるで知っているかのように明言するドラクロワに、ラムザはずっと覚えていた違和感をドラクロワにぶつけた。


「……貴方は、誰なのですか」
「私はドラクロワだよ……少なくとも、そうでありたいと今も願っている」
「……」
「すみません、それ以上は聞かないでいただけませんか。答えれば私はドラクロワでいられなくなってしまう。信じたいのです。不浄のこの地であっても、人はまだ絶望していないということを」
「……分かりました」


 ラムザは感じた。ドラクロワの中に、"別の何者か"が存在しており、それがドラクロワを介して話していることを。
 それが何者なのかは分からなかったが、敵意や悪意は一切感じなかった。だからラムザはこれ以上ドラクロワを問い詰めようとはしなかった。
 そんなラムザを見て、ドラクロワは優しく微笑んだ。


「行きなさい。貴方には"我々"をも超える不思議な力があるように感じています。貴方ならば、真実を見ても戻って来られると信じていますよ」
「……分かりました」
「メリアドールを頼む。彼女にまで何かあれば、イズルードが可哀想だ……どうかヴォルマルフ様とアルマ嬢を連れ戻し、教会とベオルブ、双方に良い未来をもたらして欲しい」
「ありがとうございます、クレティアンさん」


 そしてラムザとメリアドールは、暗闇の中へと消えていった。


「本当に……大丈夫なのでしょうか」
「ええ。彼ら、正確にはラムザ殿は呼ばれているようです。暗闇は彼らを行くべき場所へと導くことでしょう。ところでクレティアン殿。貴方もまた、何かを知っているようですね」
「……教会が何を求めているのか、分からなくなっただけです」
「枢機卿の言葉ではないかもしれませんが、教会も所詮は組織。大切なのは、神ではなくそこにいる人なのですよ。貴方はどうしたいのですか」
「私は自らの信仰に忠実でありたいと思っています。例えそれが、教会に背くものであったとしても」
「そうですか。では信じて待ちましょう。彼らが我らの同志を救い、無事に戻ってくることを」


 ドラクロワの言葉に「はい」と静かに答えたクレティアンは、再びラムザとメリアドールが消えた洞窟を見た。
このような暗闇の中に何があるのか、ドラクロワは何を知っているのか、聖石に力があると当たり前のように話をしていたがそれは自分達にとって良いものであるのか。聖石の奇跡を目にしたことのないクレティアンには分からなかったが、自らの心にある自分の信仰心に対して祈りを捧げた。


「聖なる父よ。どうか大いなる慈悲の元、彼らの旅路を救いたまえ……」



 クレティアン達に見送られたラムザとメリアドールは、どこまで続くか分からないような暗闇の中を歩いていた。


「ねえラムザ。不思議じゃない? 私達、かろうじて下に向かっていることくらいしか分からないのに、どこにもぶつかることすらないなんて」
「……呼ばれているような気がするんだ」
「誰の声も聞こえないけど」
「僕にもよく分からないけど……誰かが僕達を、そう歩くように操っているみたいだ」
「気持ち悪いこと言わないでよ……枢機卿の言っていることだってまるでおとぎ話みたいで意味が分からないのに、貴方まで」
「メリアドール」


 不安そうに話すメリアドールだったが、ラムザに名前を呼ばれ、いつもの調子で「何?」と答えた。


「イズルードって、どんな男なんだ?」
「え? そ、そうね……純粋な子よ。本気で畏国を救おうと考えている。アルマとの婚約だって、イズルードは本気でアルマを愛するつもりでいたのよ。でもどうして今それを?」
「アルマのことを思い出していたんだ。イズルードの話をする時、いつも嬉しそうな顔をしていた。アルマもイズルードも本気なんだ……」


 後半落胆したような声で言ったラムザに、メリアドールは暗闇の中だったが笑い声をあげた。


「ふふっ……もしかして兄の嫉妬? 妹がいなくなって寂しいなら、私の事をお姉さんって呼んでもいいのよ」
「なんだ……怖がっていると思ったら、余裕じゃないか」
「当たり前でしょう。こんなおとぎ話みたいなことに、弟の幸せを奪われてたまるものですか」
「同感だ。例えこの先に僕の想像を超えるものがあったとしても……僕はアルマを幸せにしてみせる」


――君は真実を望むか――


 暗闇の奥から心に直接響くような声が聞こえ、ラムザとメリアドールは立ち止まった。


「い、今の声は……」
「きみにも聞こえたのか?」
「よくぞ来た。選ばれし勇者よ」


 今までそこに人影などなかったはずの場所に、老年の魔道士の姿があった。ラムザとメリアドールは、突然現れた魔道士に驚きを隠せず、身構えた。


「……だ、誰ですかあなたは」
「我が名はサーペンタリウス」


 サーペンタリウス――蛇使い座を名乗る魔道士は、持っている杖を掲げて続けた。


「よくぞこの場所までたどり着いた。ラムザ・ベオルブ――真の英雄と呼ばれた者よ。君の事はずっと見守っていたよ」


 ラムザは、自分の中にある"嫌な予感"が増幅したのを感じ、背筋を震わせながらも尋ねた。


「貴方は大魔道士エリディプスではないのですか……?」
「そう名乗っていたこともあった。だが今の私はこの聖石と同化し、別の存在となっている。上にいる枢機卿を名乗る者や、ここへ聖天使の器と共に来た神殿騎士の男と同じように」
「どういうこと?」


 サーペンタリウスの言葉に、今度はメリアドールが質問した。


「娘よ。お前の父は数年前に聖石レオの中にある者と契約し、自らの死の運命を変えたのだ。心当たりがあるだろう?」
「数年前……? 母さんが死んで、父さんも死にそうになって……でも父さんは完治して……」
「あれはただの偶然ではない」


 サーペンタリウスは、ヴォルマルフの身に起きたことを話した。
 数年前、ヴォルマルフの身に"病"という死の運命が訪れようとしていた。
 もうすぐ死ぬのだろう――そう思った時、夢の中に何者かが現れた。その者は、ヴォルマルフに"契約"を求めた。ヴォルマルフを死の運命から解放する代わりに、その人生の全てを自分に捧げよと。
 そしてヴォルマルフは願った。自分はどうなっても良いが、二人の子――メリアドールとイズルードを幸せにしたいのだと。
 その願いを聞いた契約を求めた者は、ヴォルマルフを見て笑ったのだと。


「妄言を! 父はどこにいるの!」
「アルマも一緒にいるのか! あなたの目的は何なんだ!」
「そうはやるでない。折角ここまで来たのだ、"真実"を教えてやろう。君達にはその権利もある」


 ラムザ達の言葉をよそに、サーペンタリウスは静かに杖を上に掲げた。眩い光と共に、二人の周囲を幻のようなものが取り囲んだ。


――兄達に負けぬ騎士になれよ……ラムザ。


 まずラムザの目の前に見えたのは、父バルバネスの姿だった。ラムザはその姿に違和感を覚えた。何故なら、その言葉の後に床に臥せたバルバネスの手が落ち、息を引き取ったからだ。そしてラムザも含めたベオルブの兄弟たちが悲しそうな表情で父の姿を見ている。そんな記憶は――あるはずがない。
 そして悲しそうな表情の中に、一人だけ、誰にも気づかれない程度に口の端を上げた男がいた。兄、ダイスダーグだ。


「これは一体……」
「この世の本来の姿だ」
「本来の姿?」
「本来の歴史において君の兄ダイスダーグは、父であるバルバネスをモスフングスという毒によって殺害し、ベオルブの家督を得た。そしてベオルブの名を畏国の覇者とするため、親友であるラーグを操り、畏国を"獅子戦争"という大きな内乱を起こしたのだ」
「なっ……何を言って」
「にわかには信じられぬか。だが運命はこの並行世界へ進んでしまった」


 信じられないという表情のラムザに対して、サーペンタリウスは構わず続けた。
 ダイスダーグがバルバネスの殺害を途中でやめたこと。その時に、畏国をベオルブの名で平和にすると誓ったこと。だがある程度まで毒を与えられたのが、バルバネスが今衰弱している原因であること。


「考えたことはあるか? 一人一人の小さな選択が、歴史を動かすことを。並行世界は個人の選択の数だけ存在する。だが、本来起こらぬ予定だったダイスダーグとバルバネスの約束は、畏国のこの時代を大きく歪めることとなった」


 ラムザ達の周りに、数多くの幻が映し出された。そこには自分の姿もあった。
 ある映像では、ウィーグラフと自分が激しくぶつかり合っている。その中でウィーグラフは聖石を掲げ、見たことのないバケモノに姿を変えた。
 別の映像では、ディリータとアルガスが殺し合いをしている。その近くで倒れたまま動かないティータがいた。
 "異端者"として追われる自分に、共に戦っているのはムスタディオとアグリアス。畏国を包む戦火に泣き叫ぶ人々。ベオルブ邸でダイスダーグに剣を向けるザルバッグの姿――幻の中にはラムザの知っている人物が多くあったが、そのほとんどがラムザにとっては信じがたいものだった。


「こ、こんなこと……ふざけるな! こんな未来があってたまるかッ!」
「安心しろ。これは全て、起こり得た並行世界の姿であって、今の君には関係のない話だ。私自身も、このような未来がなくなって良かったと思っている。だがひとつだけ問題が起きてしまった」
「問題?」
「本来ならば、あの男――ヴォルマルフは数年前に契約によって人生の全てをハシュマリムに捧げ、ハシュマリムはこの血で血を洗う内乱の中で暗躍し、そのアルマという娘とヴァルゴを見つけ出し、娘を通して血塗られた聖天使をこの世に復活させるはずだった」
「……アルマを?」
「そうだ。そして君の妹、アルマは血塗られた聖天使に相応しい肉体を持つ者。ハシュマリムは聖天使と永遠の契約を結んだ者。そのハシュマリムと同化したヴォルマルフと娘が出会い、親しい関係となってしまった――それはつまり、この映された並行世界がいつ起きても可笑しくないということだ」


 幻の中で、ラムザは自分が未知のバケモノと戦う姿を見た。朽ちた船の上でヴォルマルフが聖石を掲げ、獅子のバケモノへと姿を変える。そしてその戦いの末に、バケモノは自らの身体を貫き、それと共にアルマの中から天使の羽を持った者が現れた。
 恐らくそれが"血塗られた聖天使"と言われるものなのだろう――ラムザはそう直感したが、それでも信じ切れずに首を横に振った。


「何を言っているのか分からない……血塗られた聖天使とは何なんだ? 何故こんな強引な手段で復活させようとしているんだ? 別に復活しない世界で終わるのならいいんじゃないのか……?」
「聖天使アルテマはいつ目覚めてもおかしくない。ゆえにアルマは私の声とヴァルゴの力により一時的にアルテマの魂と繋がり、ここへ導かれた。ハシュマリムも同じ」
「父は……!」
「この先にいる」


 そう言い残し、サーペンタリウスは光と共に消え去った。


「父さん!」
「ま、待ってメリアドール!」


 嫌な予感が増していく――ラムザは未知の存在への恐怖を感じながらも、構わず先へと駆け出したメリアドールを追った。


 

(4)



「……父さん?」


 メリアドールの声に、目の前の人物が驚いた様子で振り返った。


「メリアドール。何故ここに」
「それはこっちのセリフよ。アルマは? 一緒ではないの?」
「お前もあの幻を見たのか?」


 メリアドールの父――ヴォルマルフは質問を返した。メリアドールは少しだけ視線を反らし、「ええ」と小さく呟いた。


「……そうか」
「あなたがヴォルマルフさんですね。僕はラムザ・ベオルブ。妹を、アルマを助けにきました」
「貴様がベオルブ……? くくっ……それはちょうどいい」


 ラムザの名乗りにヴォルマルフは一瞬驚いたようだったが、突然喉を鳴らし、制服から何かを取り出した。


「父さん?」
「お前は少し黙っていてもらおうか」
「……!」


 ヴォルマルフが投げたものはメリアドールの前で輝き、彼女の周りに結界のようなものが張られた。


「な、何!?」
「メリアドール! それに触れちゃいけない!!!」
「えっ……?」


 ラムザの必死な様子に、結界に触れようとしたところでメリアドールは手を止めた。
 ラムザはこれに見覚えがあった。炭鉱都市ゴルランドで、神殿騎士を名乗っていた男、ローファルがレーゼを閉じ込めた手段と同じものだった。ラムザはあの時ローファルが言っていたこと――触れれば結界の魔力がダメージを与えること――をメリアドールに話した。


「クレティアン……よくも厄介なものを作ってくれたわね」
「そう言う事だ。魔力の高くないお前にはドラゴンほどの効力はないだろうが、魔石の力が続く限りお前はそこから出られない」
「どうしてこんなことを!」
「お前も見たのだろう? 私がこれの力で、イズルードを殺した……あの残酷な幻を!」


 ヴォルマルフは口の端を上げ、自身が持つ聖石レオをメリアドールの前に掲げた。レオは暗闇の中で光をはなち、暗い洞窟を淡く照らしていた。


「教えてやろう我が娘よ。オーボンヌでイズルードを斬ったのはこの私だ。あの幻と同じ。この手で私は息子を手にかけようとした」
「! そ、そんな」
「そしてラムザよ。メリアドールを救いアルマのもとへ行くと言うのなら剣を抜き私と戦え!」


 ヴォルマルフはレオを懐へと戻し、そして持っている剣に手をかけた。


「ま、待って……意味が分からない! あなたの言い方だと、あの幻を見せたサーペンタリウスとは仲間ですらないはず……! 本当にあなたがアルマを攫ってここへ連れてきたんですか!」
「知りたくば、この私を倒してからにするのだな、小僧! 氷天の砕け落ち、嵐と共に葬り去る。滅びの呼び声を聞け……!」
「避けてラムザ!」
「遅いッ! 咬撃氷狼破!」


 剣を抜きすぐに繰り出したヴォルマルフの技が、ラムザの左腕の小手を破壊した。砕けた小手の破片が、ラムザに直撃した。


「うあッ……」
「ラムザ!!!」
「だ、大丈夫……」


 ラムザは結界の中にいるメリアドールに対して微笑みながら、ダメージを追っていない右手で剣を抜いた。


「父さん! なんでこんなことを!」
「私がお前達の父ではないからだ」
「……!」
「あの幻を見ただろう? 私が聖石に宿る存在と契約し、人であることを、父であることをやめ、聖天使を復活させるために世界を混沌へ導こうとしたあの幻を」
「あれは幻! 作り話よ!」
「サーペンタリウスは言っていた。起こりえた並行世界であると……あれを見て、いや、オーボンヌでヴァルゴとアルマを見た時に私は思い出したのだ。私があの幻と同じようにハシュマリムと契約することで、自分の死という運命から逃れたことをな!」
「なんですって!」


 サーペンタリウスが告げたことがすべて真実であると認めたヴォルマルフは、驚くメリアドールに対して話を続けた。


「夢だと思って忘れていたが……私は聖石レオを通して、ハシュマリムと名乗る者と対話した」
「……そんな!」
「分かったかメリアドールよ。私はヴォルマルフではない。本来の使命を思い出したのだ。あの娘、アルマは聖天使の器となる者。彼女を器とし、聖アジョラが没した地へ行き血を捧げれば、聖天使は復活し穢れたこの世を救うであろう!」


 ヴォルマルフの言葉に、メリアドールは絶句し膝を落とした。
 今にも泣きそうな表情に、いつもの気の強さは感じられない。だが、二人の会話を黙って聞いていたラムザは心の底から叫び声をあげた。


「ラムザ……?」
「そんなこと、させてなるものか!」


 剣を構え、ヴォルマルフをまっすぐ見たラムザは続けた。


「ふっ……そうだ小僧。私を止めてみせろ!」


 ヴォルマルフの瞳が、好戦的な色を帯びる。すぐに二つの剣がぶつかる音が響いた。


「たとえその話が真実だったとしても、アルマは僕の妹だ!」
「だったらどうする!」
「聖天使になんてさせない! 僕が助けてみせる!」
「やってみるがいい!」
「うおおおおお!」


 ラムザは再び雄叫びをあげ、それにより力が沸いてくるのを身体で感じ取り再びヴォルマルフにぶつけた。


「戦う意志と共に強くなる……これがラムザの力だと言うの」


 メリアドールは、遊び半分とは言え自分がラムザと対峙した時のことを思い出す。あの時ラムザは、自分の技をよけながら力をため、それによって本来なかった力で向かおうとしてきた。だが、今のラムザは遊びの戦いではなく、本気でアルマのために戦おうとしている。


「地獄の鬼の首折る刃の空に舞う。無限地獄の百万由旬……冥界恐叫打!」
「……しまった!」
「ラムザッ!」


 だが、それでも神殿騎士団長であるヴォルマルフには及ばず、受けた技によってラムザの持つ剣が砕け散った。同時にラムザはダメージを負い、地に伏せた。


「所詮は子供か。ローファルが高く評価するから少し期待していたが……アレを倒すには及ばんな」
「っ……強い」


 なんとか膝をつく姿勢まで立て直したラムザに、ヴォルマルフは剣を持ったまま近づこうとしていた。


「安心しろ。少し眠ってもらうだけ。全てが終わればメリアドールと共に無事に外まで送り届けてやる……アルマもな」
「ラムザ! これを……これを使って!」


 メリアドールは素早く自分の剣を抜き、それをラムザに向かって投げた。その時に腕が結界に当たり、メリアドールは叫び声をあげその場にうずくまった。


「……!」


 ヴォルマルフがメリアドールに気を取られた間に、ラムザは投げられた剣を取った。


「っ……私は大丈夫よ。お願いラムザ」
「有難うメリアドール!」


 ラムザは受け取った剣を構え、ヴォルマルフを鋭く見据えた。


「ヴォルマルフさん。お願いです、僕達を先に行かせてください!」
「何度も言わせるな、小僧。貴様のその実力で先に進んでも待っているのは絶望のみ。死にたくなければメリアドールと共にそこで大人しくしているがいい。この先は人の行くべき場所ではない」
「やっぱり……あなたは一人でアルマのところへ行くつもりなんだ。それで自分が死んだとしても!」
「……どういうこと?」


 ラムザの言葉に何も答えないヴォルマルフに代わって、結界の中にいるメリアドールが尋ねた。


「あの幻によると、ヴォルマルフさんが契約したと言うハシュマリムって悪魔の死によって、アルマを通して聖天使は目覚めたようだ。この奥にいるのが誰かは分からないけれど、その人も聖天使を目覚めさせるためにアルマとヴォルマルフさんを呼び出した……違いますか?」
「……」
「あなたが何故イズルードを傷つけたのかは分からない。ここにいるのがヴォルマルフさんなのかハシュマリムなのかも。でも、あなたはさっき、僕達もアルマも外に戻すと言った。そして今までだって、あなたの実力なら僕を殺すことなんて簡単だったはずなのに、僕は致命傷すら負っていない」
「だったら何だ?」
「あなたに殺意がないのなら……!」


 ラムザは再び雄叫びをあげ、ヴォルマルフに突撃した。


「甘いな!」


 ラムザの剣をヴォルマルフが払おうとした瞬間、ラムザは意図的に剣から手を離した。それによってメリアドールから受け取った剣が宙に舞い、勢いをつけていたヴォルマルフがわずかにバランスを崩す。


「何っ……!?」
「それ!」


 懐に入ったラムザはヴォルマルフの剣を握る両手を掴み、そのまま組み伏せる形で自分ごと地面に倒れこんだ。
 素早くヴォルマルフから剣をうばい、矛先をヴォルマルフの顔の横に突き立てた。


「ッ……」
「自ら剣を棄てるなんて卑怯なやり方をしてごめんなさい……剣士としては敵わないと思ったので」
「やるではないか……いいぞ、そのまま殺すがいい」
「……」
「どうした? ここで私を殺しておけば、少なくともアルマは聖天使として目覚めることはない……あれの復活にはハシュマリムの血と絶望が必要なのだからな」
「……やっぱり。あなたの目的は、アルマを解放し、自分がハシュマリムと共に死ぬ事なんですね」
「あの幻を見て分かったであろう? 私はいつハシュマリムとしてこの世を混沌へ導いてもおかしくないのだ。現にオーボンヌで私はハシュマリムに操られ、イズルードをこの手にかけようとした……怖いのだ。いつか私はあの幻のように、ハシュマリムとなってイズルードやメリアドールのことを忘れ、その手にかけてしまうのではないかと」
「ヴォルマルフさん……」
「私の望みは、イズルードとメリアドールが幸福になる未来。それを自分の手で壊してしまうなど……想像するだけで恐ろしいよ」


 ヴォルマルフの告白に、ラムザはどうすればいいのか、どうすれば全員を救うことができるのか、考えを巡らせていた。
 確かにヴォルマルフを殺せば、ハシュマリムという贄をなくした聖天使は、アルマを通して目覚めることはなくなるのだろう。もしかしたら目的を失った奥にいるサーペンタリスを名乗る者も、アルマを解放してくれるかもしれない。
 だが、これではライオネルで見殺しにしてしまったアーレスの時と同じだ――人を救うために、別の誰かが犠牲になる。そんなことは、もうたくさんだ。ラムザは心の中で決意したが、それでも具体的な方法が見つからない。説得しようにも、自分の中に潜む悪魔を恐れているヴォルマルフには届く気がしなかった。


「お前達をここに残して奥にいる者にアルマを解放するよう頼み、その後自害するつもりだったが、この死に方も悪くない。その剣は私が我が妻と婚約した際に教会から賜ったものをメリアドールに譲ったのだ。この剣で成敗されるのならば本望だよ」


 さあ殺すがいい、とヴォルマルフはラムザに微笑んで言った。


「そんなの……」
「私がやるわ」
「メリアドール?」


 ヴォルマルフが倒れたことで結界がとけたのか、いつの間にかメリアドールがラムザの後ろに立っていた。その目と声からは、明らかな怒りを感じる。


「そんな……きみは自分の父親を殺すつもりか?」
「いいから」
「……あ、ああ」


 メリアドールに押される形で、ラムザは剣を再びメリアドールに託した。メリアドールは倒れたままのヴォルマルフを見据え、突き立てられた剣を抜いた。そして再び、しかしラムザがやったよりも激しく、ヴォルマルフの横に剣を突き立てた。


「ふざけるんじゃないわよこの身勝手!」


 メリアドールはヴォルマルフを真っすぐ見下ろして叫んだ。そして剣から手を放し、その場に屈んでヴォルマルフの胸倉をつかんだ。


「身勝手、身勝手すぎる……! 父さんはいつもそう。何も言わずに一人で背負おうとする……私達の幸せ? そんなもののために父さんはあんなバケモノと契約したっていうの?」
「メリアドール……」
「それでその結果が、あの幻のようにイズルードを殺し、そして私とラムザに倒されて聖天使を復活させる? それであなたは幸せ? はっきり言うわ……馬鹿じゃないの!」
「ま、待つんだメリアドール。それはこの世界の話じゃ……」
「あなたは黙っていて」
「え……ああ……」


 すごい剣幕のメリアドールに、ラムザは再び黙った。ヴォルマルフも、メリアドールを見たままどう答えていいか分からずにいる様子だった。


「父さん。母さんを失って家族を守る、幸せにすると誓ったのは父さんだけじゃないのよ。私もイズルードも……そう思ってる!」


 メリアドールの目に涙が浮かんだ。


「私達はもう子供じゃない。一人で歩ける! 父さんと歩ける! 私達は父さんの背中をずっと追ってきた……勝手に幸せを押し付けないで。一緒に幸せになろうって、どうして言ってくれないの!」
「……私は」
「父さん、貴方はあの幻のように、バケモノと契約してもう私達の知る父さんではないのかもしれない。でも……それでも貴方は私達の父よ! しっかりして!」


 涙ながらに訴えるメリアドールから、ヴォルマルフの視線は外れることはなかった。そしてヴォルマルフの口から、人の名前と思われる言葉が発せられた。


「え? 母さん?」
「……よ。私は……間違っていたのか?」


 ヴォルマルフはメリアドールを見つめたままだったが、彼女を通して別の誰かに話しかけるように尋ねた。メリアドールの反応からすると、メリアドールの母、つまりヴォルマルフの妻だろうか――ラムザは様子をうかがいながらそう思った。
 そして少しの沈黙が流れたが、それを破るように再びヴォルマルフの懐にある、聖石レオが輝いた。


――ヴォルマルフよ、すまぬ。もう良い。他人である私の為にこれ以上背負い込むな――
「ハシュマリム……?」


 聖石の奥深くから聞こえた声は、その声の主を知るヴォルマルフだけでなく、ラムザにもよく聞き取れた。驚いた様子で目を見開きヴォルマルフから手を離したメリアドールにも聞こえているようだ。


「どういうことだ? お前は私と同化したのではなかったのか?」
――あの日の我が提案はそうだった。だがよく思い出せヴォルマルフよ。私とお前が交わした本当の契約を――
「本当の契約……そ、そうだ。私は……私はお前と契約していない」
「どういうこと……?」
「すまないメリアドール……お前の言葉で目が覚めたよ」


 ヴォルマルフは、思い出した全てのことをメリアドールに語った。
 数年前にハシュマリムから契約を求めた日。ヴォルマルフはハシュマリムに答えたのだ――このまま自分の死を受け入れる、と。


――そうだ。ヴォルマルフよ。お前は私の誘惑すら振り、二人の子であれば自分がいなくとも立派に成長するであろうと答えた。そしてお前は言った……お前が私と契約し生き永らえたと知れば、二人の子は自分を殺そうとするだろうと―― 
「そうだ。だが何故私は生きている? 何故オーボンヌでお前に乗っ取られたのだ?」
――すまない。私はお前を騙した。その記憶を忘れさせ、私はお前の魂の一部に残った。そしてオーボンヌで私は我が敬愛する聖天使の声を聞いた。聖天使は未だ多くの混沌と流れた血を抱え、苦しんでいる。彼女を救うには、お前を操ってでもここへ来るしかなかったのだ――


 ハシュマリムが語るところによると、ここに潜むサーペンタリウスという存在は、聖天使アルテマを消すことを目的としているらしい。
 そのためにサーペンタリウスは、最初器となるアルマのみを連れ去ろうとしていた。それを見たハシュマリムは、咄嗟にヴォルマルフを操り、アルマの後を追ったのだと言う。


――イズルードには本当に悪い事をした。だが、そうでもしなければあの青年はこの場所へ来てしまっただろう……ここは二度と戻れぬ永遠の闇。一時的に傷つけてでも、あの青年を巻き込みたくはなかったのだ――
「イズルードは無事なのか……?」
「命に別状はないわ……それにしても本当に勝手な話ね。あなたの事情に私の父を巻き込まないでくれる?」
「いいんだ、メリアドール。ハシュマリムがいなければ私はとうの昔に死んでいたのだ……」
――ヴォルマルフよ。厚かましい願いではあるが、我が望みはこれからもお前を通してこの世界を見る事。人は本当に聖天使が嘆かなくても良い未来を作ることができるのか。見届けさせてほしい――
「いいだろう……生き永らえたことで我が子の成長が見られたのはお前のおかげだ。私の魂くらい好きに使えばいい」
――アルマという娘と共に、我が聖天使を救ってくれ――


 その言葉と共に、ヴォルマルフの手の上で聖石レオの輝きは消えた。


「ハシュマリム……」


 ヴォルマルフは聖石を握りしめ、ラムザに視線を向けた。


「迷惑をかけたな、ラムザ。お前や我が娘を巻き込みたくはなかったが、もう十分に巻き込んでしまったようだ」
「大丈夫です。一緒に行きましょう」


 ラムザが差し出した手を、ヴォルマルフは静かに取った。


「アルマを救いたいのは私も同じ。ハシュマリムとも約束をした」
「ようやく分かって? 父さんは一人じゃない。いくらでも巻き込まれてあげるわ」


 嬉しそうな表情のメリアドールに、ヴォルマルフは苦笑して答えた。


「その言い方……お前は本当に昔の母さんにそっくりだな」
「え?」
「いや、無謀なところは私の娘故か……行こうラムザよ」
「え、あ、はい」
「ちょっと……!」


 ヴォルマルフとラムザが下に向かい、取り残されそうになったメリアドールは慌てて二人の後を追った。


 

(5)



「ほう……これは意外な展開だ。勇者と黒幕が手を取り合ったか」


 ラムザ達がさらに奥に進むと、待っていたと言わんばかりにサーペンタリウスが愉快そうに笑った。彼の目の前に、アルマが仰向けで横たわっている。


「アルマ!」
「……待て!」


 駆けだそうとしたラムザの腕をヴォルマルフが掴む。同時にラムザの目の前で、禍々しい色をした蛙が地面から飛び出し、消えた。


「……ど、毒ガエル?」
「サーペンタリウス! 用があるのは私だろう!」
「ヴォルマルフ、いやハシュマリム。上で貴様とラムザらの言動の一切を私は見ていた。貴様の使命と願いは、この少女を聖天使の使命に目覚めさせることのはず。何千年もの願いを諦めてヴォルマルフとして生きることなど貴様にはできぬ」
「そうだな……確かにハシュマリムは、本来の歴史ではそのために私の魂を食らいきったようだ。だが私はヴォルマルフだ、ハシュマリムではない! そしてその娘も聖天使ではなく我がティンジェル家の嫁になる娘なのだ! 返してもらうぞ!」
「貴様は何も分かっていない……!」


 サーペンタリウスは、ヴォルマルフの言葉をかき消すように言い放った。


「ハシュマリムが今貴様の魂を尊重していたとしても、奴……いや、"我々"に課せられた呪いはそう簡単になくなるものではない!」
「どういうことですか」


 今度はラムザが尋ねた。サーペンタリウスは、軽く息をつき、答えた。


「教えてやろう。血塗られた聖天使――アルテマは、かつてアジョラと契約した」
「アジョラ……? 聖アジョラのことか?」
「そうだ。彼はかつてヴァルゴと契約し、血塗られた聖天使となって当時彼を疎ましく思っていた一派の本拠地を闇の中に沈めようとした。アルテマは、かつて"オキューリア"と呼ばれた神々が作りだした人の世を導く最高傑作であったが、同じく生み出されたハシュマリムと共に神々に反乱し、そして封印された存在」
「……」
「聖石が様々な奇跡を起こすのを君は見たことがあるだろう? その石は中にある神々の作品達が起こした力によるものだ。持つ者の心を読み、時に奇跡を、時に絶望を与える人智を超えた存在は、今でも人の世が混乱に堕ちた時にこの世に具現し、混沌へと導くことで人と世を救済する」
「貴方は何をしたいんですか? 貴方もこの聖石に宿る力を持っているんでしょう?」
「我が身に宿る者は少し変わった存在なのだ。いわゆる未完成品。だから思うのだ。神々が干渉することをやめた今、我々もこの世に具現してはならぬと」


 サーペンタリウスが言うには、聖石やそれに宿る存在を作りだした"神々"は、アジョラの行為を見て人間に神の力を与えてはいけないと悟り、アジョラと同化した聖天使アルテマをその地と共に混沌へ追いやり、そして自らも歴史から姿を消すことにしたそうだ。
 しかしアジョラの魂はアルテマと契約したまま浄化することなく、混沌の中で歴史に流れる血を糧に、今もなお生き続けていると言う。


「アジョラの死から流れた血は、アルテマを復活させるには十分なものとなっている。あとはハシュマリムが誰かと契約し、アジョラと同じくアルテマに相応しい肉体と出会うことでアジョラからアルテマの魂を引き離し、ハシュマリムの血肉を以ってアルテマを求めるのみ……そしてそれはヴォルマルフよ、貴様のせいで叶ってしまった」
「それでアルマを呼び、聖天使と一時的につながったアルマを見てハシュマリムが目覚め、ここへ来たと言うことか」
「そうだ。ここは隔世された場所。ここで起きた出来事を歴史は知ることが出来ない。貴様らの"失踪"という形で全てがうまくいくはずだった。ラムザと貴様の娘が来ること、キュクレインが手を貸したことは予想外であった」
「ふざけないでよ! あなたが父さん達を失踪させようとしたせいで争いが起きようとしているのよ! 今ベオルブ家と教会が争えば、大変なことになってしまうわ!」
「それは教会が抱える闇と、ベオルブ家の野心ゆえ。私が手を下さなくとも、いずれは争うことになっていた……そうだろう、ヴォルマルフ」
「……それは」
「そんなことさせない!」


 ラムザがサーペンタリウスとヴォルマルフの間に入り、叫んだ。


「本当にあの幻のようにダイスダーグ兄さんが父上を殺そうとし、今も野心を抱えていたとしても! 教会が僕達の信じるようなものじゃなかったとしても! こうして今僕達が同じ目的に進んでいる限り、その引き金を引く必要がない限り、僕達は一緒に未来に進むことができる!」
「若いな。ラムザよ、貴様が思っているよりもこの世は穢れている。野心に裏切り、大人は多くのものを天秤にかけ貴様のような純粋な子供を利用し、子供もまた穢れて大人になっていく」
「それでも僕は抗ってみせる……! ダイスダーグ兄さんはこの国を平和にするために戦っている! ヴォルマルフさんはメリアドールとイズルードのためにアルマを助けたいと、ハシュマリムはそれを見守ると言った! 僕はそれを信じる!」
「ならば……ならば貴様はどうするつもりだ、ハシュマリムよ。今の貴様はそのつもりでも、ずっとそうであると言い切れるのか? 貴様の絶望と血がアルテマを目覚めさせるのは話した通り。ヴォルマルフを通して貴様がこの世を嘆き死ねば、近くにいるこの娘はアジョラの代わりにアルテマの使命に目覚めるであろう……このまま絶望なくヴォルマルフが生きられる保証もないのだぞ!」
「それは違うわ」


 一向に譲ろうとしないサーペンタリウスの主張を、静かな少女の声が遮った。
 その場にいる全員が声の方を向くと、ずっと眠っていたアルマがゆっくりと起き上がろうとしていた。


「アルマ!」
「兄さん……ごめんなさい。私は大丈夫」


 駆け寄ったラムザに抱き起されたアルマは、ラムザに対して微笑み、そしてすぐ近くにいるサーペンタリウスに向き直った。


「ヴァルゴを通して私も全てを知ったわ。だから分かる。私は聖天使の器になれるのかもしれないけれど、今ここでヴォルマルフさんを殺しただけでは私が聖天使になることは出来ないわ」
「何だと?」
「どういうことだ、アルマ」
「……聖天使アルテマと契約しているのは今でもアジョラ。アジョラは肉体を求めてこのヴァルゴの向こう側、神によって沈められた混沌の中で今も魂だけで生きている。私とアジョラが同化しない限り、私はアルテマと契約できないわ」
「死都ミュロンドか」


 サーペンタリウスの言葉に、アルマは頷いた。力強い意志を持った瞳に、ラムザは一瞬"恐ろしい"と感じた。妹は、アルマは、こんな強い女性だっただろうか――と。屈託なく笑い、悲しんでいる人の隣で一緒に悲しむアルマの姿と今のアルマが重ならない。


「……アルマ。君は本当に、僕の知るアルマなのか?」
「大丈夫。私は私よ……兄さん。確かにオーボンヌのあの時は、ヴァルゴを通してアルテマの意志が入ろうとしていたけれど、兄さん達の声が聞こえて、正気に戻れたみたい」
「アルマ……」


 いつものように笑顔を向けたアルマは、再びサーペンタリウスに視線を戻した。


「サーペンタリウスさん。お願いがあるの……私をアジョラのいるところに連れて行って」
「何だと?」
「アルマ! な、何を言っているんだ……!」


 サーペンタリウスではなく、アルマを支えているラムザが慌てた声を出した。続いて、ヴォルマルフとメリアドールも声を上げた。


「いかん! お前は自らアジョラのように聖天使となってしまうつもりか!」
「ダメよ……そんなの、私達だって望んでいない!」
「違う、そうじゃない」


 アルマは首を横に振り、続けた。


「私だって早く兄さんと帰って、イズルードのところへ行きたい。けれどその前に、私はアジョラとアルテマを救わなければならない……それは私にしかできないもの」
「……どうするつもりだ」
「二人の声を聞くことができるのは私だけ。でも私には兄さん達がついている。世界だけじゃない、私の幸せな未来の為にも……」


 お願い、とアルマは手を組み祈るように、サーペンタリウスに願った。


「……いいだろう。我が身に宿る戒律の王が、お前達をかの地へ導こう」


 サーペンタリウスはうなずき、杖を掲げ詠唱をはじめた。


「絶対なる原理を知らしめしたまえ……我が心に具現せよ。偉大なる戒律の主……ゾディアーク!」


 サーペンタリウスの声と共に、ラムザ達の目の前に神々しい姿の悪魔が現れ、そのまま眩い光に包まれた。





 気が付けば、ラムザ達は暗い洞窟ではなく、廃墟のような場所に立っていた。


――ここは死都ミュロンド。アルテマと契約したアジョラが滅ぼし、アジョラごと神々が混沌へと沈めた幻の都――


 どこからともなくサーペンタリウスの声がしたが、その姿はどこにも見当たらなかった。


「……私たちがいるミュロンドと関係があるのかしら」
「アジョラを神格化し宗教としてこの世を支配しようとしたのがグレパドス教の始まり。そして当時の創始者たちは、アジョラが沈めたこのミュロンドの名を己が本拠地の名として変え、神の怒りを買った地はここに転生したのだと、世に伝道したそうだ」
「え? そんなこと教典に書いてあった?」
「私も今ハシュマリムから聞いたばかりだ。信仰心が薄れる話だな」


 メリアドールと話しながらも、ヴォルマルフは何かを感じたのか、目の前で天を仰ぐアルマから目を離せずにいた。そしてラムザも、何かは分からないが、大きな存在がここにいる――そう直感し、アルマの傍に寄り添い肩に手をかけた。


「兄さん……」
「アルマには見えるのか? ここにいる存在が」


 アルマはこくりとうなずいた。そして手を組み目を閉じ、祈るように言葉を発した。


「迎えに来たわ、アジョラ。私の言葉に耳を傾けて……」


 アルマの持つヴァルゴが輝き、アルマはゆっくり目を開けて空を見た。


「……ああ、あなたの悲しみが、嘆きが……伝わってくる」
「アルマ!」
「……聞いて兄さん。アジョラはね、決して世界を滅ぼしたかったんじゃないの。アジョラが生きた時代は、今よりももっと荒れていた。アジョラは悲しむ人、不幸な人、敵も味方もみんな救いたいと、心からそう願って戦っていた」


 アルマは悲しそうな表情で続けた。涙が頬をつたって落ちる。


「アジョラはこの世界が好きだった。でもアジョラがいかに強い人でも、助けられない人はたくさんいる……だから誰よりも苦しんだわ。みんなの絶望を、悲しみを背負って、そしてアルテマと出会ったの」


 アルマは語った。
 アジョラはアルテマと出会い、契約した。そして聖石レオを持つ大切な人をこの手で殺め、聖天使の力を得て当時の支配者たちに復讐をした。しかしアジョラの嘆きによる怒りは収まらず、その力は支配者だけでなくアジョラがかつて救おうとしていた者にも及ぼうとしていた。


「でもある人が、アジョラを止めた。アルテマを生み出した神と契約し、神から得た力を使って、すべてが死に絶えたミュロンドを、自分とアジョラごと沈めた……止めた人もまたアジョラを愛していた。家族がいたにもかかわらず、彼はアジョラと心中する道を選んだそうよ……」


 そしてアジョラを止めた勇者は願った。
 平和な世界で生まれ変わり、アジョラと共に幸福になりたいと。
 混沌へ沈み、大切な家族の名を呼びながら、それでも彼は幸福な未来を願ってこの世から姿を消した。
 
「聖天使を生み出した神は人に神の力を与えてはいけないと、その直後に文明が滅びるような崩壊を世界へ与え、姿を消したそうよ。でも人は争いをやめなかった。アジョラを神格化することで世界を支配しようとする者、滅びた文明に縋り付く者……それはアジョラを死後も苦しめ続けたわ」


 アルマはなおも泣きながら、アジョラに訴えるように叫んだ。


「お願いアジョラ……! 私達を、この世界を信じて!」


 アルマの声は空に響くだけだったが、それでもアルマは続けた。


「私、この時代が好き。イヴァリースが大好き! 幸せになりたいの。あなたがそうだったように、私、みんなを苦しめたくない! 確かに戦争ばかりで分かり合えないこともあるけれど……それでも手を取り合って進む未来を信じたい! あなたももう悲しむ必要なんてないの……あなたを待っている、あなたを愛している人のところへ行って欲しい……!」
「僕からも頼む!」


 ラムザはそこに何も見えなくてもアジョラがいるのだと信じて、アルマと共に空に向かって訴えた。


「確かに僕がどんなに頑張っても世の中すべてを平和にできることはできないのかもしれない。ちょっとの間違いで、たくさんの血を流してしまう可能性もある。でも、それでも僕は目の前の困っている人を助け続ける! 平和な未来を信じ続けるよ……! アルマのことだって僕は守り切ってみせる!」


 その時だった。アルマの持つヴァルゴと共に、空が強く輝きを放った。
 ラムザが空を見上げると、白い羽を持った影が見えた。


「……人? 天使か?」
「聖天使……アルテマ」
「嘘……」


 ヴォルマルフとメリアドールも空の人影を見て声を漏らした。
 その人影はアルマと視線を合わせて優しく微笑み、そして天高くあがっていった。アルマは涙を流しながら、微笑みを返した。


「……ありがとう、アジョラ。アルテマ」
「聖天使よ、すまない……」


 ヴォルマルフの持つレオが光を放つ。どこか寂しそうな光を握りしめ、ヴォルマルフは続けた。


「長く苦しめてすまなかった。私もヴォルマルフと共にこの生を全うした後に、必ず会いに行く……」
「父さん……」
「すまぬメリアドール。だが分かる……ハシュマリムもまた、この世の穢れと自身の存在意義に、長く苦しんでいたのだろうな」
「それで……私達はどうやって帰ればいいの?」


 メリアドールの疑問に、少しの沈黙が流れる。しかし再びサーペンタリウスの声が、どこからともなく聞こえてきた。


――安心せよ。我が望みもかなった。帰るがいい。お前達のいるべき場所へ――


 ここへ来た時と同じように、ラムザ達を白い光が包み込んだ。





――ラムザ・ベオルブ。アジョラを止めし者の末裔よ――


 まどろむ意識の奥の方から声がした。


――お前達の勇気と願いを、私も信じてみよう。だが私はもう戻れない……私は戦争のために多くの魔法を生み出し、それによって世の中を、人々をさらに戦乱へと落としてしまった。私はサーペンタリウスとしてこの身が朽ちるその時まで、永遠の闇よりお前達を見守ろう。どうかお前達の未来に、幸福あらんことを――


 ラムザは思った。
 サーペンタリウス――いや、大魔道士エリディプスもまた、平和を願い、そのための戦いに身を投じたひとりの人間だったのだろう、と。
 人と人ならざるもの。姿形や持つ力、生き方が違っても、同じ未来を見ているのであれば共に生きられるのかもしれない。


(大切なのは、どう生きるかなんだ……)


 光に身を任せ、ラムザはゆっくりと意識を落としていった。


 

(5)



「ここは……」
「気がついたか?」


 ラムザが目を開けると、目の前に立っているのは白魔法を唱える神殿騎士クレティアンの姿だった。
 ゆっくり起き上がると、アルマが駆け寄りラムザに抱き付いた。


「よかった……! なかなか起きなかったから心配したのよ、兄さん!」
「ご、ごめん……」
「丁度傷も癒えきったところだ。もう動いて問題ない」


 クレティアンの言うように、洞窟でヴォルマルフによって与えられた傷も回復している。そしてクレティアンの近くに、ヴォルマルフとメリアドール、そして炭鉱都市で手合わせしたローファルの姿もあった。


「ローファルのことなら安心しろ。事前に帰りが遅かった場合はここへ来るよう、便りを出しておいたのだ。枢機卿猊下は帰られたが、無事に戻ってきたと報告すれば喜ばれるだろう」


 驚くラムザに答えるように、クレティアンは言った。
 そしてローファルは剣を持ってラムザに歩み寄り、その剣を差し出した。


「聞けばヴォルマルフ様を負かしたそうだな。この剣は弁償を兼ねた私からの礼品だ」
「え……」
「ヴォルマルフ様を救ってくれたこと、感謝する……」


 かすかに微笑んだローファルに、ラムザは素直に「ありがとうございます」と剣を受け取った。
 そしてローファルはヴォルマルフに向き直った。


「ヴォルマルフ様。私は教皇猊下より、貴方を捕えるよう仰せつかっております」
「……だろうな」
「どういうこと?」


 あきらめたようなヴォルマルフに対し、状況を飲み込めないメリアドールが首を傾げた。


「私から話そう……ラムザにアルマも聞いて欲しい」


 ヴォルマルフは、自分が教皇から「ダイスダーグを暗殺する」任務を与えられたことを話した。どうすればイズルードの縁談を維持することができるのかずっと悩んでいたこと。そして、今回アルマと共に消えたことは、その任務を放棄するためのものだと思われただろうと。


「そんな……どうして話してくれなかったの!」
「話せるはずがないだろう……だが、今となってはすまないとしか言えん」
「ヴォルマルフさん……」
「恐らく私がこのまま戻れば、教会は自らの疑いを晴らすべく、ダイスダーグ卿を糾弾するだろう。政略結婚を利用し教会の戦力をそぐためにイズルードを傷つけ私を拘束したと、その罪を押し付けるかもしれん」
「それじゃあ父さんが拘束された上に、イズルードとアルマも結婚できるか分からないわ……なんとかならないの、ローファル」
「今はとりあえず帰りましょう。貴女もヴォルマルフ様も疲れているはずだ」
「……えっ?」


 ローファルの言葉に、メリアドールは抗議の声をあげた。それを見てローファルは息を吐いた。


「ここにいても何も出来ない……まずは一度立て直すべきです」
「ローファルの言う通りだ。私の白魔法で外傷やある程度の疲労は回復しているだろうが、精神的な疲れは魔法では癒せない。こうも気を張り続けては身体がもたないぞ」
「……そうだけど。何かいい案でも?」
「私はクレティアンにこの事を相談された時から、いざとなればヴォルマルフ様につくと決めています……神殿騎士団全員で抗議すれば、猊下も大きくは動けないはず」
「駄目だローファル。下手をすれば全員で処刑ものだぞ」
「面倒ごとを一人で抱えるなど水臭いですよ。それに……」


 ローファルはラムザとアルマを見て、口の端を上げた。


「え、僕?」
「お前はウィーグラフや枢機卿猊下の信頼も厚い。ダイスダーグ卿が呼び出された際は、お前達も同行して欲しい。流れが変わるかもしれん。そしてアルマ嬢がイズルードとの愛を示すことができるなら……」
「……分かったわ」
「僕はとにかく、アルマを危険な目にあわせるわけには……」
「嫌よ。私はティンジェル家に嫁ぐんだもの。そうでしょう、お義父様」
「……お義父様?」
「そして目の前で困っている人は見過ごせない……これはベオルブの家訓よね、兄さん」
「あ、アルマ……」


 にっこりと笑うアルマに困惑するラムザとヴォルマルフを見て、ローファルとクレティアンが笑った。


「だそうですよ、ヴォルマルフ様……いえ"お義父様"」
「メリアドールに劣らず気の強い娘だ。イズルードが尻に敷かれる未来が見えるな」
「どういう意味よ!」


 和やかな空気で話す部下と娘を見て、ヴォルマルフはつられたように苦笑した。


「そういうところだ、メリアドール。それではいつまで経っても嫁に行けんぞ」
「……父さんまで!」
 
 これからのことを思えば笑っていられる状況ではないのだが、アルマの笑顔はそんな暗い未来も希望へと変えていく――ラムザはそう感じ、目を細めた。


「ヴォルマルフさん。僕もできるだけ協力します。どこまでできるか分かりませんが、僕はアルマの望みを叶えるため、ダイスダーグ兄さんのもとに戻ります」
「ああ。私は動けぬ身になるかもしれんが、お前は命の恩人。私に代わり、ローファル達に出来る限りの協力をさせよう……もちろん私もだ。本当にすまなかった……有難う」




 そしてローファル達にガリオンヌまで送り届けられたラムザとアルマはベオルブ邸に戻ってきた。


「……なんか疲れたなぁ」
「私も。今思えば、色々な事がありすぎたわ……」
「アルマ……!」


 ため息をついたラムザとアルマだったが、目の前から一人の少女が涙声で駆けつけてくるのを見て、二人は表情をゆるませた。


「ティータ……!」
「よかった! ホントに良かった!」


 そのままティータに泣きつかれ、そして玄関口でザルバッグとダイスダーグ、そして杖をついた父バルバネスが二人を出迎えた。


「よくぞ戻って来たな、ラムザよ。流石は我が息子だ」
「父上……」


 笑顔で迎えてくれたものの、バルバネスの足取りは重く、この数か月でだいぶ弱っているのをラムザは感じていた。そして知ってしまった――父が今身体を弱らせている原因は、共に自分を迎えてくれている兄ダイスダーグであることを。


「帰りが遅かったから心配したが、アルマもお前も無事で安心したぞ」
「ダイスダーグ兄さん……」


 今まで何も疑おうともしなかったが、洞窟で見せられた幻の未来とそうなろうとしていた現実、ヴォルマルフによって明かされた教会との確執――目の前にいる兄の周りには、平和だけでなく多くのことが付きまとっている。
 皆に迎えられて一瞬だけ忘れていた疲れが押し寄せ、ラムザはその場に倒れこもうとした。目の前にいたダイスダーグによって支えられ、ラムザは呟いた。


「それでも僕はあなた信じます……ただいま、兄さん」
「……ああ。おかえり、ラムザ」


 返ってきた兄の声はいつになく優しい気がして、ラムザはこの後起きるだろうことを一度忘れるかのように、瞼を落とした。


~To be next story~

 

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あとがき

プロローグの時からラストエピソード用に考えていた展開だったので、意気揚々と書きすぎて色々長くなりました……結局ラストエピソードじゃなくなりました。ここまで読んでいただいてありがとうございます。綺麗なヴォルマルフ一味が書けて満足ですがまだあとちょっとだけ(?)続きます。

オールキャラ目指していたんですけど、ハシュマリムとキュクレインはこの話の通り、ベリアスとザルエラは多分出番なし(宿主が聖石と契約する必要ないので)、アドラメレクは未定です。

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