正義の騎士と、白い心の少年

 

 


「お久しぶりです、ダーラボン教授」
「これはザルバッグ様。若くしてのご活躍とご名声。こちらにも届いておりますよ」

 魔法都市ガリランド。
 ザルバッグは、恩師のひとりであるダーラボンに「まだ駆け出しですよ」と謙遜しながら、母校である士官学校を視察していた。
 ガリオンヌ領の中にあるアカデミーから特に優秀な生徒を見つけだし、将来の北天騎士団に有望な人材を引き込むためだった。
 自分が卒業してからまだ一年程度しか経っていなかったが、少し年下のまだ戦場を知らない生徒たちが学びながらも楽しく過ごす様子はどこか懐かしく、眩しくも見えた。

(そういえばオレも少し前まではあんな感じだったなぁ)

 学生の間は「騎士になって戦場で活躍する」ことを志していたが、どこか明るい夢として見ていたのを、彼らを見て思い出す。
 戦場に出て思ったのは、騎士になり士官となることは、名誉であっても輝かしいものとは言い切れない部分が多くあることだった。
 怯える敵を容赦なく追い込むこともあれば、全体のために数人を見捨てるような、非情な選択に迫られることも多くあった。
 
「それで教授。誰か良い人材は入学されましたか?」
「ええ。ザルバッグ様も驚くような子がいます。少し変わった生徒ですが、ザルバッグ様であれば心を開いてくれるでしょう」

 ダーラボンが言うに、今年入学した生徒の中に"神童"として特待生の扱いを受けた者がいるという。
 武道のほうは他の生徒と比べてあまり突出した点はないが、それを補って余りある、魔道の才能の持ち主らしい。ダーラボンはその生徒の名前をザルバッグに伝え、そして続けた。

「魔法に関しては、入学時点で特に教えることもないくらいです。独自でアレンジまで加えてしまいますから……」
「それは凄い。ぜひ一度会って話をしてみたいのですが」
「かしこまりました。では放課後に教員室に行くよう伝えておきましょう。それまではどうか、学園の中を自由に見回りください」

 ダーラボンの背中を見送り、ザルバッグは学園の中へゆっくりと歩を進めた。



 一方そのころ。

「ねえ知ってる? 今日あのベオルブ家のザルバッグ様がいらしてるんですって!」
「本当! 噂ではとても凛々しいお方だそうね。一度お目にかかりたい!」

「きっと将来の名士官を探しにきたんだよ! 実力を見せるチャンスだな!」
「お前剣術ですらこの前不合格だっただろ~、実力のないところを見せつけてどうするんだよ」
「言ったなこいつ!」

 教室内では、アカデミーの卒業生で、若くして数々の戦場に勝利を捧げる名門ベオルブ家の次男、ザルバッグの話で生徒たちは盛り上がっていた。
 誰もが有名人を一目見たい、アピールしたいと楽しそうに騒いでいる様子を、クレティアンは少し冷めた様子で眺めていた。

(みんな馬鹿だなぁ。下級生のクラスなんて、視察の対象外に決まっているじゃないか)

 大魔道士と呼ばれたエリディプスが失踪しさらに畏国に不利な方向に激化した戦争の時代で、すでに戦場の要となっているザルバッグがこの学園に卒業生としてただ遊びにくるのはまず考えられない。
 きっと、卒業に近い生徒を自分の補佐官に、北天騎士団に引き込むため、卒業が近い生徒に直接声をかけに来たのだろう――クレティアンはそう考えていた。

(でもザルバッグ様と言えば、敬虔なグレパドス教の信仰者だっけ……確かに会ってみたいかも)

 そう考えたクレティアンは、少しして何かを思いつき、席を立った。隣の女子生徒が、それを見て声をかけてきた。

「クレティアン君、またサボるの? 怒られるよ」
「次は魔法の基礎だろ。まだ知識のない君なら身になると思うけど、僕より魔法の使えない教授の授業なんて、折角の学びの機会の無駄使いだ。それに、サボるなんて人聞きが悪いな。自習と言ってくれ」
「え~、クレティアン君の魔法見たいのに~」
「そうやって教授に当てられるのが面倒なんだよ。それこそ魔法力の無駄。上手く教授に話してくれたら、今度特別にケアルを教えてあげるよ。そのほうがずっと僕の身にもなる」
「しょうがないなぁ」

 そう言いつつもクレティアンの言葉に気を良くしたのか、「約束だよ!」と笑顔を向けた女子生徒を見て、クレティアンは笑顔を返して教室を後にした。



「ここに来るのも久しぶりだな」

 上級生のクラスをひととおり見たザルバッグは、一息つくために学園の中にある礼拝堂の前に来ていた。
 永く受け継がれてきたというベオルブの騎士道と、グレパドス教の聖典に書かれている「心、精神、力。そして思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という言葉は、共通する心があり、それゆえにザルバッグは礼拝堂で神と対話する時を愛していた。

(そういえばたまに授業をサボって、ここで考え事をしたりしてたな……で、ある日兄上にバレて怒られたんだっけ)

 騎士の見本であるベオルブの者が規範を崩すような真似をしてはいけない、と険しい顔で自分を叱る兄の顔を思い出し、苦笑しながら扉に手をかけると、中から微かに竪琴の音が聞こえてきた。主に基本職と戦場のための兵法を教えるこの学園で、戦場から最も遠い吟遊詩人が扱うこの音を聞くことは自分の学生時代でも一度もなく、ザルバッグは中の相手に気付かれないようにそっと扉を開けながら中を覗いた。
 中にいたのは一人の生徒と思われる男子。礼拝堂の一番前の席で讃美歌で使われる音楽を奏でている。扉が開いたことに気付いたのか、その生徒は手を止めて顔を上げた。

「あ、すまない……邪魔をするつもりは」
「思った通り。さすが僕だ」
「……ん?」
「すみません。下級生ではザルバッグ様に会えないかもと思い、ここで自習して待っていたんです」

 そう言って微笑んだ生徒に、ザルバッグはひとまず中に入ることにした。扉を閉めて生徒に近づくと、丁寧に竪琴を抱えたまま生徒は立ち上がって、再び柔らかく笑った。まだあどけなさの残る、少し中性的な顔つきの大人しそうな男子生徒だった。

「ええと君は?」
「クレティアン・ドロワと申します。父や兄が北天騎士団でお世話になっております」
「……あ! 君がそうか!」

 ドロワ家といえば武道の家系として記憶にもあったが、それ以上にザルバッグは、先程ダーラボンから伝えられた神童の話を思い出して手を叩いた。

「ああ、すまない。先程ダーラボン教授から君の話を聞いて、ぜひ会わせてくれと頼んだばかりだったんだよ」
「僕……いえ、私にですか?」
「成程。授業をサボって礼拝堂で竪琴の練習なんて、確かに変わっているな」
「自習ですよ。もちろんあなたならここに来るだろうという算段はありましたけど」
「別に責めるつもりは。オレもやったことがあるから分かるよ。でも何故竪琴を? 君は魔道士を志しているんだろう?」
「詩と音は魔法と同じく言葉と心で形になるもの。私は音を奏でることで魔法の力を高めているのです。……それに家では家族がいい顔をしないので」

 何故、と聞こうとしたザルバッグだったが、彼の出自を思い出して思いとどまった。長く武道を志してきた家で特待生入学をした子供が、学園で教えることのない竪琴の練習をするのは肩身が狭い思いだろう、と。
 しかし聞こうとしたことを察したのだろう、クレティアンが苦笑交じりに話を続けた。

「そもそも魔道士なんて、女じゃあるまいし……と言われてきましたから。でも私が剣士になっても平凡かそれ以下か。魔道ならこうして授業を抜け出して自習することが許される特待生扱い。どちらを目指すかは明白でしょう?」
「では君は両親や兄上を見返すためにこのアカデミーに?」
「まさか。私はただ、心、精神、力。そして思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ……それを実現するためにここで学んでいるのです」
「ああ、教典でよく用いられるアジョラの言葉か……」

 自分がそうだったように、おそらくクレティアンも自分と同じく教会の教えに敬虔な生徒なのだろうとザルバッグは思い、相槌を打った。

「さすがよくご存知で。もちろん基本的な兵法や体力を培う目的もありますが、遠い戦場では長く多くの命が失われていると聞きます。大魔道士と呼ばれたエリディプス様ですら戦争を止めることができないまま消息を絶たれてしまいました。皆が神と隣人を愛せば、戦争など起こらないはずなのに」
「オレも君くらいの年の頃はそう思っていたよ。だが、世間はそうもいかないんだ」

 王家への忠誠、主君への忠誠、仲間や民を守るため。それぞれの正義は時に衝突や非情を生み出す――それはザルバッグ自身、戦場に出るようになって痛いほど感じることだった。
 ダーラボンの話だとまだ新入生だというクレティアンも、父や兄が戦場にいるとは言え、まだ自分の正義や信仰に疑いがないのだろう。言葉だけでなく、まっすぐこちらを見つめる視線や、先程の竪琴の音も一切の汚れを感じない。"神童"と呼ばれていてもやはりまだ純粋な子供なのだとザルバッグは感じた。
 だが、クレティアンが次にした質問は、ザルバッグの予想をこえるものだった。

「お聞きしたいことがあります。何故ザルバッグ様は剣を取られるのですか? 何故あなたは神ではなく、あなたより劣るかもしれない人間に跪くのですか?」
「え? まあ……それは騎士として当然のこと。それに才能は君がさっき言ったように人それぞれだ。剣の道しか知らないオレの代わりに、畏国では剣の代わりに政治で戦う人がいるんだよ」
「僕は人間性の話をしているのです!」
「……あ、え?」

 少し変わっているとは言え大人しい印象のあったクレティアンだったが、何かのスイッチが入ったように熱い眼差しで迫ってきて、ザルバッグは驚いてつい間の抜けた声をあげた。

「あなたのような信仰深く若くして才能あふれる方が、自らの名声のために配下に血を流させるような汚らわしい者に従うなど……!」
「あ、あの……クレティアン君?」
「……! す、すみません……私としたことが」

 戸惑うザルバッグの様子に気づいたクレティアンが、気まずそうに一歩引いて視線を逸らした。
 ザルバッグは、「気にしていない」と言った上で、クレティアンの問いかけに答えた。

「気持ちは分かるが……そうだな。オレは主君に従い戦うことで、オレ達貴族の生活を支える民に恩を返しているとも思っている。オレ達が戦わなければ、畏国は敵国に侵略されてしまうかもしれない……その時に最初に犠牲になるのは何の罪もない民衆だ。賢い君なら分かるだろう?」
「ザルバッグ様は、民のためならば自らの正義と信仰を曲げるのも厭わないと?」
「極端に言えばそうかもしれない。だが、オレにとっての隣り人は尊敬する家族と、従うべき王家、そしてガリオンヌの民衆。それに、それがきっと大人になることなんだよ」
「大人に……」

 クレティアンはザルバッグの言葉を噛みしめるように、竪琴を抱える腕に力を込めた。そして少し考えた後、「先程は本当に失礼しました」と謝罪した上で続けた。

「まだ戦場を知らない子供に過ぎない私には、あなたの道を否定することなんてできません。でも、今の私にとっての隣り人は全ての人間です。私は人に跪くことで自身の才能を隣り人を傷つける術にされたくないのです」
「うん。それは別に間違いじゃない」
「あなたのように、心の貧しい者に跪き、何も知らない民を守るなんて今の私にはできない……でも、何を目指すにしても私自身がもっと強くならなければならないのでしょうね。やはりこうしてあなたと話せてよかったです」

 ありがとうございます、と微笑み、クレティアンは丁寧に頭を下げた。
 そんなクレティアンを見て、ザルバッグは「それで何か奏でてくれないか?」と竪琴を指した。

「詩と音は言葉と心を現すものなんだろう? 戦場では吟遊詩人になんてまず会えないし、この神聖な場所での君の言葉を刻んでおきたいんだ」
「まだ練習中の身ですが……ザルバッグ様が望まれるのでしたら喜んで」

 そう言ったクレティアンがゆっくりと竪琴を構え、音を紡ぐ。芸術的な才能には自信のないザルバッグではあったが、まだ血に染まらない細い指から奏でられる音は先程の言葉と同じく繊細ながらもどこか大胆で、音と共にクレティアンの魔法の才能や清く信仰深い心が伝わってくるような気がした。
 
「いい音色だった。ありがとう」
「光栄です」
「クレティアン君。本当は君のこと、オレの配下にならないかとスカウトするつもりで教授に話をつけたんだが……やめておくよ。もちろん君がオレのところに行きたいと言うのなら嬉しいが、君は人の騎士になるより、信仰の騎士になるべきなのかもしれないな」
「神の騎士……ですか?」
「ミュロンドの神殿騎士団。あそこなら古い魔導書も多くあると言うし、魔法の研究にも積極的だ。家を通せないなら、オレが君を紹介してもいい」

 本来の目的を思えば逆の事をしていると言ってもいい行いであり、あとで兄に怒られる気もしたが、それ以上にザルバッグは、目の前の純粋な才能を戦場ではない場所に生かして欲しいと感じた。
 一般的な貴族家庭で育ったクレティアンは知らないだろうが、才能ある若者を育成するためとこの学園を創立したエリディプスは、教え子たちが自分の研究した魔法や戦術を用いたために戦場の中で命を散らせ、戦争自体もさらに激化したことに心を痛め、その末に戦場から姿を消したと一部の将官の中では噂されていた。
 良くも悪くも"規範的"だと言われる北天騎士団では、彼の非凡な才能は出る杭として潰されてしまうか、もしくはエリディプスのように兵器として利用されてしまうか――どちらにしても、この純粋な音を奏でることができなくなるだろう。ザルバッグはそう感じた。

(本当は彼が卒業するまでに戦争が終わればいいんだが……そうもいかないかもしれないからな)

 ザルバッグの提案にクレティアンは特に何か言うでもなくただじっと見上げていたが、ザルバッグはそのまま「またいつか」とだけ告げて、クレティアンを残したまま礼拝堂から立ち去った。


 そして教授室に戻ると、ザルバッグのもとにダーラボンが申し訳なさそうな顔つきで駆け寄ってきた。

「ザルバッグ様。すみません先程の生徒の件なのですが……自習しているとのことでどこに行ったのか……」
「ああ、そのことならもう大丈夫です」

 十分知ることができましたから、とザルバッグが答えると、事を知らないダーラボンは不思議そうに目を丸くしていた。

 

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あとがき

お題箱リクエストで「学生時代のクレティアンとザルバッグの会話」といただいたので、書かせていただきました。投函ありがとうございます。
10代のクレティアン君はさぞ竪琴の似合う可憐な美少年(ただし少し天才と信仰をこじらせていて友達は少ない)だろうと思って書きました。このあとクレティアンはザルバッグの想像以上の教会産箱入り魔道士になるのでそれを考えるとちょっと切ないけど、ザルバッグは学生時代もみんなの人気者タイプだと思うので、面倒見のいい先輩ってイメージ。

2019年1月9日 pixiv投稿

 

 

 

 

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