平和だった頃のある日、ベオルブ邸に戻ると草笛の音がかすかに聞こえたのでそこへ向かった。
「そこで何をしているんだティータ」
「ザルバッグ様。……練習していたんです。この前ディリータ兄さんに教わったので」
そしてもう一度草笛を吹き、澄んだ音と共に彼女は空を見上げた。
「こうしていたら、ディリータ兄さんと繋がっていられるような気がするの」
「心配なのか?」
彼女の兄、ディリータは、俺の弟ラムザと共にガリランドのアカデミーに通っている。
俺はディリータがいなくて彼女が寂しがっているのだろう、と思って彼女にそう尋ねたが、彼女は首を横に振った。
「ディリータ兄さんは強いから大丈夫。だから私も寂しくない……ただ、兄さんが大きくなって戻ってくるのに私が何もできないままじゃ悪いですもの」
「……好きなんだな、ディリータのことが」
「血のつながった兄ですもの。……ザルバッグ様だってそうでしょう?」
彼女の自信に満ちた笑顔に、俺はその時どう答えたのか……今となっては思い出すことができない。
ただ、彼女の吹く草笛の音が、彼女の想いと共にディリータの所まで届いているような気がしたことだけが思い出された。
「久しいなティータ。アルマもラムザも来なくなって、寂しかったろう?」
行く途中で摘んだ花をそっと置いて、俺は彼女のために作った墓にそう語りかけた。
その下に彼女がいないのは知っている。
彼女の遺体は見つからなかったが、悲しむアルマの姿を見た兄が「父上ならそうするだろう」と作った墓だ。
アルマはよくここに通っていた。ラムザも何度か足を運んだらしい。
俺はアルマの付き添いでここに来てはいたが、心から祈りを捧げたことは今までなかった。
彼女は平民の娘で血の繋がった妹ではない――という想いが俺の中にあったのかもしれない。
「……あの時のことは許してくれなんて言わない。だが、君を死なせた一因を作ったにもかかわらず君に相談しようと考えている私を許してくれ」
彼女の墓の前に剣を置いて腰を下ろし、祈りを捧げながら心の中で俺は彼女にすべてを話した。
ディリータがあの後南天騎士団に入隊していたらしく、今では将軍になっていること。
ラムザが異端者として追われる身になってしまったこと。
アルマも行方不明となってしまったが、きっとラムザと一緒だろうと思っていること。
そして……兄、ダイスダーグのこと。
俺はずっと兄を信じてきた。
何も疑問に思わず、ただ兄の言うことが「正義」だと思って、兄のやることについてきた。
時に兄は非情な判断を下したが、俺が兄に反論することはなかった。
しかし、俺の兄に対する信頼はいとも簡単に崩れてしまった。
兄のしてきたことを知ってしまったから。
兄は己が野望のために、父を殺していたのだ。
父の眠る墓を見て、すべて確信に変わった。
今思えば、兄が将軍の地位を俺に譲ってまで父の看護につとめたのは、父に毒を盛り続けるためだったのだ。
そして俺は何もしらずに父を死なせ、その父を殺めた罪深い兄の言いなりになり続けていた。
兄への信頼が崩れた今、俺は何を信じればいいのか、分からなくなってしまった。
(ティータ、君の兄は天才だよ。細かいことは分からないが、色々な人間に取り入り切り捨ててあそこまで出世したらしい。君はディリータのことを、立派な兄だと誇りに思うのか? それとも非情な兄だと叱責するのか?)
(いや……君なら何もかも受け入れた上で、それでもディリータのことを信じるんだろうな)
ティータはもうこの世にいないが、彼女ならきっと、ただディリータが自分の信念を貫いていることだけを喜び、世界中がディリータの敵になっても最後までディリータのことを信じ続けるような気がした。
それが彼女の「信念」だ。
ディリータと俺の兄ではやったこと自体違うが、ティータなら自分の信念を貫き兄を見守れるのかもしれない。
そう考えれば、彼女は俺よりも強かったのかもしれない。
(ならば、俺の信念はどこにあるんだ?)
ベオルブ家の誇りを守ること? 兄に従うこと? 職務を全うすること?
自問するが、答えは出てこなかった。
そもそも俺は信念に従って生きてきたのだろうか。信念なんて持っていたのだろうか。
兄にベオルブの正義はない。だが、そんな兄の信念は何なのだろうか。
兄の信念を信じていたはずなのに、今となっては兄の気持ちの一片すら分からないし信じられない。
――こうしていたら、ディリータ兄さんと繋がっていられるような気がするの
ふとティータの言葉を思い出して、俺は近くにある手ごろな草をちぎってそれを口に当てた。
俺にとっての草笛は「父上に教わったものだ」と兄が教えてくれたものだ。
草笛の音が墓地に響き、俺は天を仰いだ。
草から手を放すとそれは天に舞い上がることなく大地に消え、同時に悟った。
もう草笛を教えてくれた優しいだけの兄も、それに無邪気に感動して兄の後ろをついていった俺もいない。
俺の心は兄と繋がっていない。
あの時にはもう戻れないのだ……と。
――血のつながった兄ですもの。……ザルバッグ様だってそうでしょう?
――そうだな。私にとっても兄上は特別な存在だよ
(ラムザ、アルマ……愚かだったのは俺と兄上だったようだ。俺が兄上を止める……だからお前達だけでも)
当主である兄に剣を向けることは、もしかしたら父に毒を与えた兄と同じことなのかもしれない。
だが、自分が兄を止めなければ、ベオルブ家の正義は未来永劫歪み続けることになるだろう。
「ティータ、君の方がよほどベオルブ家の一員だよ。……さらばだ」
俺は置いた剣を取り、彼女の墓を後にした。
兄の罪と、そして自分の罪を償うために。
あとがき
ベオルブ家の構造ってダイスダーグとザルバッグ、ラムザとアルマ、ディリータとティータで3組のきょうだいな感じなので、ザルバッグを「弟」として書いた。ラムザも弟であり兄なんだけど、ザルバッグもダイスダーグを信じて疑わない弟としての自分と、ラムザやアルマを守る兄としての自分、両方いるんじゃないかなと思う。一度ラムザのことを「妾の子」と言ったのも、弟の分際で兄を信じないなんて!という気持ちからかっとなったんだとちょっと思ってる。
ザルバッグとティータで組み合わせしたのはほとんど私の趣味。ティータ死んだのは大体ザルバッグのせいだけど、性格的には結構合う気がしてる。