「いよいよ大詰めだ」
ヴォルマルフは自らの執務室で、目の前にいる腹心達に向かって静かにそう呼びかけた。
「ベリアスもザルエラも逝き、アドラメレクも目覚めきらなかった。そして聖石のほとんどがあの小僧に握られている今、もはやここにいる必要はない」
「教皇猊下は本当に死都への入り口をご存じなのですか?」
「以前キュクレイン――いや、ドラクロワか。奴がそのようなことを言っていた」
教皇の地位は、教会内に数人いる枢機卿の立場にある者らの中から選出される。
そして選ばれた者は、教会のどこかにあるという秘密の書庫の扉を開け、そこで教会の秘密の全てを知るという――枢機卿の一人に数えられていたドラクロワはそのような話をしていた。
本来であれば年齢的に長くはない教皇亡き後、ドラクロワが教皇となることで全てを知る手はずだった。
すでにライオネルという教会の領地をおさめる実績と実力を持っている上に、聖石の本来の力を知り、古代文字をはじめとした万物の知識を持つキュクレインの力を得たドラクロワであれば、難しくないことだと考えいていた。
しかしドラクロワはラムザによって倒され、その後腹心の一人であるクレティアンに秘密の書庫の在り処を探らせていたがついに見つけることはできなかった。
教皇と共謀して集めていた聖石も、教会の秘密の一つであるゲルモニーク聖典も、求めていたもののほとんどが今ラムザの手にある。そして思惑通りに多くの血を流させた戦争も終わろうとしている状況で、教皇に協力する理由などもはやなかった。
「奴に全てを吐かせる。手段は選ばない……いいな」
「ラムザもおそらくここへ向かうでしょう。ベオルブ家が崩壊した今、彼が行くべき場所など他にないはず。片づければそれで済む話ですが、ベリアス達を倒した実力は侮れるものではありません。いかがいたしますか?」
「好都合だ。こちらには人質がいるのだ……まともに相手をする必要などない。教皇が吐かなければ聖典と聖石だけでも確保せねばならん。足止めにはそうだな……アドラメレクが送った"あの男"を使えばいい」
ヴォルマルフの言葉に、ローファルは「かしこまりました」と無表情のまま答えた。
ローファルの横にいるクレティアンも、壁にもたれかかって話を聞くバルクも、表情を変えずにヴォルマルフを見るだけだった。
ローファルも含め、腹心達はすでに覚悟を決めているようだった。
自分達が畏国の反逆者となってでも、大いなる目的――聖天使の復活を果たす覚悟を。
「バルク。貴様は我々が教皇とラムザの件を始末した後、速やかにここを出られるよう手はずを整えておけ」
「了解だ団長。いい船を用意しておいてやる。遅れるんじゃねえぞ」
「ローファルとクレティアンは私と共に来い」
ヴォルマルフは忠実な僕とも言える腹心達と共に、武器を取って執務室から外へと出た。
外はこれから何が起きるか理解どころか想像すらしていない僧侶達が、いつも通りの日常を送っていた。
呑気で、そして愚かなものだ。
もうすぐ自分達の長が殺され、そして異端者が攻め入り混乱が起きるというのに。
誰一人としてヴォルマルフらを疑うことなく、すれ違えば神殿騎士団長に対する敬礼を欠かさない。
しかしヴォルマルフは、教皇の部屋へ向かう途中でふと足を止めた。
「少しだけ寄り道をする」
ローファルとクレティアンを連れ、ヴォルマルフは教皇の部屋ではなくある場所へと向かった。
ヴォルマルフが向かったのは、ミュロンド内にある墓地だった。
多くの墓石が並ぶ中で、そのうちの一つの前で立ち止まり、そしてそれを見下ろした。
イズルード・ティンジェル――真新しい墓石にはそう刻まれていた。
そして隣には、昔ヴォルマルフがヴォルマルフであった頃、毎日のように通い詰めていたヴォルマルフにとって最愛の者の墓石もあった。
「クレティアン。ローファルはどうした」
「ローファルも少し用事があると……すぐにこちらへ向かいますのでご心配なく」
「そうか。クレティアン……貴様はこれを見て何か感じるか?」
ヴォルマルフは、イズルードの名が刻まれた墓石を見下ろしたまま、後ろにいるクレティアンに尋ねた。
「我々の崇高な目的を侮蔑するとは愚かな男でした。ですがかつての同志としてその死を悼みましょう。死は万物に平等に訪れる運命なのですから」
「これを殺したのは私自身。それがこれの運命だったのか?」
「後悔されているのですか? 彼を、イズルードを手にかけたことを」
「いや。正直恐ろしいくらいに、これの死について何も思うところがない」
クレティアンの問いにそう答えたヴォルマルフの表情は、その言葉通り何の感情も宿さないものだった。
悲しくもなければ、殺した高揚感も何もない。イズルードの身体をその手で貫いた時もそうだった。
「だが、ひとつだけ思うことがある。ヴォルマルフには可哀想なことをした」
「……そう、ですね」
「先程キュクレインのことを思い出してふとヴォルマルフならここへ寄るだろうと思って来てみたのだが……残念だ」
ヴォルマルフの言葉に目を伏せたクレティアンも気付いたのだろう。ここにいるヴォルマルフはもう、ヴォルマルフの心を持っていないということに。
現にこの墓石を見ても今のヴォルマルフにとって、ただ石の下に何も言わぬ土の塊があるとしか思えなかった。
ヴォルマルフの記憶は持っているから、ヴォルマルフがこの墓石を見れば、自分がその名前の者を殺めたことを悲しむだろうということは理解できる。彼はそれだけ息子を愛していた。
ヴォルマルフは最愛の女性と、その子であるイズルード、メリアドールを深く愛していた。自分が自分でなくなることも厭わない家族への愛だった。
見返りを求めない無償の愛――その魂にひかれた異形の者によってヴォルマルフの愛は、異形の者が持つ聖天使への愛に変わってしまった。
かつて愛していた者を殺めても何も感じなくなるほどに。
「ヴォルマルフ。お前の魂を食らった時、その高潔な魂に敬意を表してできる限りヴォルマルフのままでありたいと願ったのだが……それも限界だ」
ヴォルマルフでいるうちは、彼が愛していた子息には父として人並みの幸せを与えてやろうと思っていた。
だが、イズルードはあろうことか自分を倒そうとして返り討ちにあい、そして娘のメリアドールは今ラムザと行動を共にしており、倒すべき障害の一人となってしまった。
この子息の行動は、ヴォルマルフの魂がそうさせているのだろうか。魂を食らわれてもなお、異形の者の好きにはさせるものかと、ヴォルマルフはそう言っているのだろうか。
「クレティアン。貴様やローファルは何故私に従う? 私がヴォルマルフではないと分かっていながら、何故ここにいる」
「私は大いなる聖天使のため……そしてローファルと、ヴォルマルフ様のために」
「どういう意味だ?」
この男は、敬虔な聖者だった。それ故に真実を知ってもなお、真の神である聖天使の復活を望みここにいる。だが、ヴォルマルフがもう自分の中にいないどころか、その魂が抗おうとしているにもかかわらず、ヴォルマルフのためにというのはどういうことなのだろうか。
クレティアンは言葉をつづけた。
「ここまで来た以上、もう我々は引き返せない。そしてその先の未来を望んでいます。聖天使がこの世に復活すれば、異形の者である貴方の魂は独立したものになるでしょう。ただそうなれば、解放されたヴォルマルフ様の魂は一体誰が受け止めてくれるのですか」
「ヴォルマルフの魂はまだここにいるのか?」
ヴォルマルフは、自分の胸に手を当ててクレティアンに尋ねた。
「そうでなければ、貴方は今ここへ来ようなどと思わないはずです。例え何も思うところがなくても、ご自身が否定しようとも、貴方が今ここにいるのは、貴方がヴォルマルフ様だからだと私は思います」
「……そうか」
「貴方が本当にヴォルマルフ様でなくなり真の姿を手に入れた時、残されたヴォルマルフ様の元に誰もいないなど寂しいでしょうから」
「だから貴様達は私に従うというのか。その時が来てもヴォルマルフの魂を受け止めるために」
「例え我々が望みどおりに聖天使の贄となったとしてもそうありたく思います……いけませんか?」
「構わん。それならばヴォルマルフも少しは浮かばれるだろうな」
そうしていると、ローファルが静かにヴォルマルフとクレティアンのもとへ歩いてきた。
手には彼の無表情に似つかわしくない、小さな花束が抱えられていた。
「ヴォルマルフ様。この花はヴォルマルフ様の奥方が一番好きだった花……かつてヴォルマルフ様はよくこれを持ってここへ通っておられました」
「貴様の用事とはこの花の調達か」
ヴォルマルフの言葉に肯定しながら、ローファルはその花束をヴォルマルフに手渡した。
「例えこの花を見て貴方自身に思うところが何もなくとも……ヴォルマルフ様に対して少しでも同情の意があるのなら、最後にこれを添えてはいただけませんか?」
そう言ったローファルは、今までのクレティアンとのやり取りを聞いていたかのようだった。
この男は昔からのヴォルマルフの腹心だった。だからきっと、これはヴォルマルフ自身の願いでもあるのだろうと感じた。
「いいだろう……それでヴォルマルフが喜ぶのであれば」
そう言って、ヴォルマルフはイズルードとその横にあるヴォルマルフの妻の墓の間に、受け取った花束をそっと投げた。
置かれた花を見てもやはり何も感じなかったが、ここに毎日通い詰めていた時に、ヴォルマルフが必ず口にしていた言葉を思い出した。
「我が最愛の者に神の祝福があらんことを―― ヴォルマルフよ、例えその神が偽りのものだったとしても、お前のその願いは我が神にも届くであろう。……行くぞ」
ヴォルマルフは踵を返し、振り返ることなく墓石を後にした。
「ローファル、一つ聞いてもいいか? ……お前にとってあそこにいるのは誰だ?」
「あの方は大いなる聖天使の忠実なる僕であり、私に全てを与えてくれた者。そしてヴォルマルフ様だ」
「……行こうローファル。我らが主のため、そして消えていった全ての命や魂のためにも、我々はもう止まれない」
「ああ……」
花束が風に揺れるのを一瞥して、ローファルとクレティアンはヴォルマルフの後を追った。
――数時間後――
「この花は……」
「どうしたんだい、メリアドール?」
ミュロンドでの戦いを終え、未だヴォルマルフの手の中にあるラムザの妹アルマ。彼女を助けるためにヴォルマルフが向かったというオーボンヌ修道院へ急ぐ中、メリアドールは「どうしても行きたい場所がある」と告げ、ラムザと共にその場所――イズルードとその母の墓石の前で、半ば捨てられたかのように風に揺れる花束を見て、動揺の声をあげた。
ゆっくり屈んで花束を拾い上げ、ふたつの墓石を見ながらラムザに対して静かに答えた。
「母はこの花が好きだった……母が亡くなったあと父は、母のために毎日のようにこの花を捧げていたわ。そんな父を守りたいと、私は騎士の道を志した――もう戻れない、遠い昔の話よ」
「まだ新しいな……じゃあこの花は」
「違うわ、そんなはずはない」
ラムザが言い終わる前に、メリアドールは首を横に振った。
「あの人は私の知っている父さんじゃなかった。それに……父さんならもっときれいに置くはずよ。だって」
――父さんは母さんのこともイズルードのことも本当に愛していたから――
メリアドールはそう言って、乱れた花束を優しく直し、そしてふたつの墓石の間に丁寧に置いた。
「我が最愛の者達に神の祝福があらんことを――愛しているわ」
メリアドールは静かに立ち上がり、再度手を合わせてから踵を返した。
「遠い昔の話か……」
ラムザもまた、イズルードや会ったことのないメリアドールの父だった頃のヴォルマルフとその妻のことを想い、そして彼女の家族と同じようにもう昔に戻れない自分の家族を重ね、その場で短く祈りを捧げメリアドールと共に墓地を後にした。
あとがき
FFT20周年だから何か書こうと思って気が付いたらヴォルマルフのことを書いてた。ヴォルマルフ(人間)とハシュマリム(ルカヴィ)どちらの成分もあるヴォルマルフ様(本編)が書きたかった。20年も経ってこれだけ小説を書きたくなるFFTって作品に感謝したいです。