青き忠誠は束の間の光となりて

 


 夢を見る。
 深く暗い水の中に沈んでいく夢。
 目を閉じて身を委ねると青い水は沈むほどに暗くなり、見上げた白い世界が遠くなっていく。
 沈む先を見下ろすと、どこまでも沈んでいけそうな気がした。きっと行き着く場所は地獄だと思った。

――本当にこの先にあの人はいるのだろうか。

 もしかしたら、ひとり地獄へと沈んでいく自分を裁くのは、まだ白い世界にいる"その人"自身なのかもしれない。
 いや、そうあってくれればいいのに――それでも青の色も届かない世界へ先立ってしまったその人を探すように、自分もまた、暗くなっていく青の世界に身を委ねるのだった。


[chapter:青き忠誠は束の間の光となりて]


「父上! ……あっ」

 獅子の月一日目。
 ヴォルマルフ様の執務室で今度行われる大規模な異教徒狩りの作戦会議をしていたところ、扉が開く音と共に若い声がして、私は視線を移した。

「イズルード……何用で?」
「い、いや……個人的な用事なので。取り込み中申し訳ございませんでした」
「いいんじゃないか? ちょうどそろそろ休憩とってくれと思っていたんだ」

 気まずい雰囲気に引き下がろうとしたイズルードに助け舟を出したのはバルクだった。
 私とともにヴォルマルフ様の机の前に立っていたバルクがイズルードに場所を譲る。

「あ、ありがとう……」
「言っただろう? こいつら休もうって中々言わないから困っていたんだ」
「……ごめん、ローファル」
「私は別に。こちらは長引きますので、どうぞお先に」
「じゃあ……」

 そう言って、イズルードは持っていた小さな包みを机の上に差し出した。

「自分と姉上から、父上に。誕生日なので」
「……そういうことですか」
「開けてやれよ、ヴォルマルフ」
「……」

 バルクに促される形で、ヴォルマルフ様は無表情で包みを開けて中身を取り出した。中には小さく青いクリスタルが入っていた。

「選んだのは姉上なんですけど、水のお守りだそうです。最近ガリランドで流行っているらしくて……魔の心を鎮めるとか」

 本来教会の人間がアジョラ以外の守護を宿すアイテムを買うなどあまり良い印象を持たれないのだが、選んだメリアドールは信仰よりも単なる流行でそれを購入したのは明白で、敬虔なイズルード本人もそこまで気にしている様子はない。

「そうか……大切にしよう」
「あ、ありがとうございます!」

 表情こそ変えなかったがようやく出たヴォルマルフ様の肯定に、イズルードは安心したように顔をほころばせた。

「あの……自分はまだ未熟ですけど、畏国を変えるため精進しますので……!」
「剣の特訓なら付き合ってやるよ、ローファルが」
「勝手に約束を取り付けるな」

 バルクの茶化すような言い方をたしなめながらも、私の言葉に分かりやすく落胆した様子のイズルードを見て、自然と身体の力が抜けるのが分かった。

「まあ……私で教えられることなら」
「本当か! ……あ、話し合いの途中だったな。じゃあ自分はこれで」

 遠慮がちに、だがどこか嬉しそうに去っていくイズルードを見送り、バルクは口元に笑みを浮かべて息を吐いた。

「変わらず素直で可愛いねえ、イズルード君は……なあ、団長?」

 だが、バルクのおどけた様子に答えることなく、ヴォルマルフ様は先程のクリスタルを包みに戻し、無言で引き出しの奥に片付けた。

「続けるぞ」
「……あ、ああ」

 その後も何事もなかったかのように作戦会議が行われ、解散したのは夕方だった。


「なあ、ローファル。オレには関係ないが、ヴォルマルフ……あいつ、少し変わっちまったな。昔はガキどもから贈り物をされたら、無言でも嬉しそうに余韻に浸っていたのにさ……なんかあったのか?」

 会議が終わり、共に執務室を出たバルクが廊下を歩きながら尋ねてきた。関係ない、と言いつつも何か思うところがあったのだろうが、私はバルクの問いに答えることができなかった。
 何故ならそれは、バルクの想像を超える事情――聖石レオの力でヴォルマルフ様には別の魂、伝説の悪魔の中の統制者を名乗る者、ハシュマリムが宿っていることを知っているからだった。
 私がヴォルマルフ様のことを知ったのは偶然であったが、その時ヴォルマルフ様は、殺すのではなく、自分に仕えるよう私に命じた。そして私の答えを待つこともなく、ヴォルマルフ様は私に力を与え、その日私もヴォルマルフ様が契約した者の眷属、すなわち人間を超越した存在へと変わっていた。

(バルクはカンのいい男だが……さすがにその話は信じまい)

 そう結論付け、私は代わりにバルクへと告げた。

「ヴォルマルフ様は我らが神のために先陣を切って身を捧げておられる。この混乱した畏国の中で、自分だけが平穏な家族の愛に身をゆだねるなど出来ないのだろう」
「……まあ、あいつが不器用なヤツなのは間違いないが。ところでローファル」
「何だ?」
「お前も最近、日に増して暗い顔をしているな。いや、元から暗いが……」
「……そうか?」
「おっかないぜ。誰も寄り付きたくねえ顔をしてる」
「夢を見る……一人暗く青い水の底に沈む夢を」
「はぁ?」

 バルクに相談を持ちかけるつもりは毛頭なかったが、それでも予想通りすぎる反応に、眉間に皺が寄った。

「それで悩むなど馬鹿げていると言いたげだな。それならば最初から心配する素振りなど見せるな」
「お前根暗な上に案外ロマンチストなんだな……だが少し安心したぜ」

 呆れた様子で頭を掻いたバルクだったが、どこか安心したようにニヤリと笑った。

「お前でも人間らしい悩みのひとつくらいあるんだな。その根暗っぷり、実はアンデッドのモンスターだって言われても信じるくらいだ」
「馬鹿にしているのか」
「悪いな。だが、ふと思ったんだ……お前とヴォルマルフはオレが知りたくないような何かを持っているんじゃないかってな。まあ、オレはお前の相談相手なんてまっぴらなんでね、話したいなら他の誰かを当たってくれ」

 核心に迫る言葉と共に身勝手な突き放しをされ、苛立ちながらもどこか安心した自分がいた。このままバルクに具体的な相談をしては、気付かれていたかもしれない――そうなればハシュマリムは、いや、ヴォルマルフ様はどうなるのだろうか。

(ヴォルマルフ様……私は)

 去っていくバルクの背を見送った後、私の足は礼拝堂へ向かっていた。



 日が傾きはじめた礼拝堂で、私はひとり、聖アジョラ像の前で片膝を立てて跪いていた。
 考えるのは、信仰の誓いでも懺悔でもなく、ヴォルマルフ様のことだった。ディバインナイトの称号と共に賜った騎士剣――セイブザクイーンを身体の前に立てて見つめながら思考に耽ると、先程のバルクとの会話が頭によみがえった。

――ヴォルマルフ様……私がこの剣を誓った貴方は、もういなくなってしまったのか。それとも、目の前にいる今のあの方こそがヴォルマルフ様の望まれた姿なのか……私はどうすればいい。分からない……

 そもそも、私は何故人であることを捨てる道を選んだのか。ずっと慕ってきたヴォルマルフ様が命じたからなのか、それともあの人智を超える力に傾倒したからなのか。
 ヴォルマルフ様とは違い姿形こそ変わらないが、与えられた力は私の中の何かを変えた気がした。ずっと無欲に生きてきたのに、この力に呑まれることを快楽とし、この世を支配してしまいたい欲望に駆られることがある。
 ヴォルマルフ様もそうなのだろうか。それとも、すでに力に呑まれてかつての謙虚で家族を愛した心は欲望の中に沈んでしまったのだろうか。

――違う。ヴォルマルフ様がそのようなものに支配されるはずがない。だが、それならばあの方を否定されるのか? ヴォルマルフ様の真意はどこに……?

 ふと、頭の中に青い海の夢がよみがえった。
 あの夢は恐らく私自身の心の中だ。本で読んだことがある。海の水は天の光の力で青くあり、光が届かない深い場所ほど暗い色となり、その果てにあるのは暗闇という地獄であると。
 私は与えられた力によって、少しずつ地獄へと沈んでいる。ヴォルマルフ様を求めて群青の世界から手を伸ばすべきは、白い光なのか、それとももっと深く黒い海の底なのか。

 そんな堂々巡りを繰り返していると、礼拝堂の扉が動く重い音がした。同時に人の気配がしたので、私は顔を上げた。

「そのままでいい」

 振り返ろうとすると、その気配の主――クレティアンが静かに言って、そして私の横に立ち同じく片膝をついた。両手を組み、目を閉じる姿を目で追うと、少しして目を開けて視線をあわせ、少し意地悪く微笑んだ。

「多くの者に信仰を説く敬虔な副団長殿に似つかわしくない顔をしているな。そんな死にそうな顔で祈っていては幸福が逃げてしまうぞ」
「……そんな顔をしているか?」
「誰も寄り付かないような顔を」

 昼間バルクに言われたばかりのことをクレティアンにも言われ、私は小さく息を吐いた。
 バルクにはあしらわれたが、私とヴォルマルフ様の正体を知るクレティアンならば――私はクレティアンにおおよその事情を説明した。

「お前はどう思う。今のヴォルマルフ様は、何者なのか……」
「ヴォルマルフ様は大いなる神に選ばれ、偽りの世を正す使徒としての使命に身を捧げていらっしゃるのだろう?」
「そうだ。だが、バルクの言うように、ヴォルマルフ様は少しずつイズルード達の父であった頃のヴォルマルフ様ではなくなろうとしている気がする」
「ローファル、お前の望みは?」

 クレティアンの答えは"あの方"の信奉者として真っ当なものだったが、私を案じる瞳が揺れるのが分かった。だから私は見る夢の話を添えて、素直に今の心境を吐露した。

「深い闇の世界に堕ちるべきか、それとも今も光に手を伸ばすべきか。それを迷っている……ということだな?」
「私はヴォルマルフ様が救われるのであれば、代わりに地獄に堕ちようと構わない」
「だが、それによってヴォルマルフ様が本当に救われるのか自信がないと?」
「……そうだ。私自身も少しずつ、だが確実に力に溺れ、かつての私でいられなくなっていくのが分かる……」

 クレティアンは、私の事を"友"だと言う。だが、今の自分はクレティアンの知る自分のままであるのだろうか。
 そんなことを思っていると、クレティアンは静かに立ち上がり、剣を立てたままの私を見下ろす形で前に立った。

「……目を閉じろ、ローファル」

 そう告げられ、私が言われた通りに目を閉じると、クレティアンは神父が巡礼者にそうするように、片手を私の頭の上に差し出した。

「ローファル……神に仕え、謙虚に生きる信仰の騎士よ」

 クレティアンの言葉と声に、身を委ねて次の言葉を待つ。

「私は貴方の光である。深い青の中で貴方が光を求めるのならば、私は光となり、それにより貴方は暗闇の中を歩くことはなくなるだろう」

 目を開けて見上げると、クレティアンの澄んだ目と視線が合った。クレティアンがどこか寂しそうに微笑む。

「私は昔のヴォルマルフ様を多く知らない。私はお前の光にならばなれるかもしれないが、神の使いである"あの方"に身を捧げた今のヴォルマルフ様に寄り添うことができるのはお前だけだ……」

 全てを知り、私がどんなに身を堕としても、その信仰深い目は変わらない。私を"友"として変わらず見てくれる瞳に、私は安堵を覚え、救いを求めるように尋ねた。

「私にとっての光がお前なら、私はヴォルマルフ様の光となれるのか?」
「それは分からない。だがよく考えてみるんだ。本当にあの方がヴォルマルフ様でないのなら、お前をそこまで頼るはずがない。ヴォルマルフ様の御心があるからこそ、お前を忠実な僕に選んだのだ。そう思わないか?」
「私がお前の言葉に安寧を感じるのと同じく?」
「お前がヴォルマルフ様を求める限り、あの方はヴォルマルフ様の魂を棄てることなど出来ないさ。それが真の救いにならないのだとしても、その光が届く日まで、ヴォルマルフ様のわずかな救いとなれ……ローファル」

 クレティアンの言葉に、私は自分の中でわずかな光を掴んだ気がした。私の願いは、今も昔も、ヴォルマルフ様の魂が救われることだと悟る。聖石と契約し、自身でいられなくなっても叶えたい願いに身を投じたヴォルマルフ様の魂の行く末を見守ることが私の使命――

「……真にヴォルマルフ様を救うのは、イズルードかメリアドールか。そしてその時、私は使命を果たすことになる」
「ヴォルマルフ様が救われるのを見届け、光から手を放し海より深い闇に堕ちることを受け入れた時は、ヴォルマルフ様に代わって私がお前と共にそこへ行こう」
「……クレティアン」
「ヴォルマルフ様は幸せだな。誕生日に、ここまで信仰深く想ってくれる者がいるのだから」

 私もその時のヴォルマルフ様をもっと知りたかった――最後にそう告げたクレティアンは、先に礼拝堂を後にした。


 
 礼拝堂を出ると日が落ちており、暗くなった墓地に赴き、ひとつの墓標を前に花を捧げて跪いた。
 ヴォルマルフ様と同じティンジェルの名が刻まれた、ヴォルマルフ様にとって最愛たる者の墓標に花を手向け、私は目を閉じ祈りを捧げた。
 彼女が亡くなってからしばらくの間、ヴォルマルフ様は自分の誕生日になるとここへ来て献花し、彼女への変わらぬ愛を告げていた。だが、聖石と契約してからその行為も途絶え、私がヴォルマルフ様の代わりにこうして花と祈りを捧げるのが常となっていた。

――今年も父ではなく貴方が来るのね。父は……いえ、それはバルクから聞いた。イズルードは純粋に喜んでいたし、私も父が受け取ってくれただけでも少し嬉しいわ。

 墓地に向かう途中で、メリアドールとすれ違った。彼女も父の代わりにと母である彼女に祈りを捧げに来たようだ。
 メリアドールはイズルードと違い、ヴォルマルフ様がどこか変わってしまったことを感じてはいるようだが、ただ寂しさだけを思い、ヴォルマルフ様の真意にはおおよそたどり着いていない。知らない方が幸せなのかもしれないが、彼女かイズルードがヴォルマルフ様の光となり救うのは今ではないと感じ、少し意地悪く尋ねた。

――私が来るのはご不満ですか?
――いえ……そういうわけじゃ。貴方が祈ってくれるのなら、きっと母も喜ぶわ。ありがとう……

 私はメリアドールの少し悲しそうな笑顔を思い出しながら、誰にも聞こえないよう囁いた。

「私はすでにヴォルマルフ様への忠義を超えてあの力に傾倒し、真の光となることはできません。きっと貴女は、全てを知りながらヴォルマルフ様を止められぬ私をお許しにならないでしょう……」

 もしも彼女がこの世にあり全てを知ったのなら、おそらく今の私を断罪するだろう――そう思いながらも、私は許しを乞い、願った。

「然るべき日が来れば、私はヴォルマルフ様の代わりとなって裁かれ、喜んで神の贄となりましょう。どうか私の代わりに、迷うヴォルマルフ様の魂を救い、あなたの元へとお導きください……ヴォルマルフ様と貴女の愛が、今年も愛しきものでありますように」

 ファーラム、と祈りの言葉を捧げ、私は星の浮かぶ墓地を後にした。

 

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あとがき

ヴォルマルフの誕生日に、ヴォルマルフのいないところで祈りを捧げ続けるローファルが書きたかった。
人間をやめていると思われるけど、美しい信仰と忠誠を持った副団長だったらいいなと思います。

 2019年7月23日 pixiv投稿

 

 

 

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