血の先の盟約

 

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 異端者がこちらの手にある妹の奪還を求めてミュロンド寺院へ来たため取引を行い、その後剣を交えることとなった。だが、殴り込みに来た異端者に対し、特にこちらは兵を配置していたわけでもなく、不利を感じて退却することとなった。
 そして小部屋のひとつに逃げのびることとなり、ヴォルマルフ様が剣を握りしめたまま舌打ちした。

「あの小僧め……!」

 向こうにも妹を取り返したいという目的があるとは言え、行く先にことごとく現れては邪魔をし、仲間を潰していく――そんな異端者にヴォルマルフ様が苛立ちを覚えるのはもっともだ。私も無言で、まだ異端者がいると思われる広間の方向を見て眉をひそめた。
 だが、こちらにも収穫はあった。異端者が来てくれたおかげでゲルモニーク聖典を手に入れ、死都へ行くための呪文も解読することができた。
 あとは彼らを撒いて目的の地――オーボンヌに行けば、ヴォルマルフ様と我々の悲願が達成される。
 ミュロンド寺院の裏手ではバルクが船を出して待機している。バルクは好ましい性格ではないが仕事に関しては優秀だ。何も知らない僧侶たちを誤魔化し、装備品や同じ志を持つ配下も乗り込ませ、あとは我々が乗り込めばいつでも出発するように準備を整えているはずだ。
 だが、雷神シドをはじめとした強力な仲間を連れている異端者、ラムザは手強い。ザルエラの力を得たあのエルムドア侯爵ですら、万全の体制をもってしても敗れてしまった。それに、ラムザに加担する仲間の中にはメリアドールもいる。このミュロンドの地理に明るい彼女が先導し、奥へ退却した我々を追ってくのは確実だった。

「それで……それは生きているのか?」

 ヴォルマルフ様が、私――と言うよりも私が両手で抱き上げているクレティアンを見て尋ねた。
 広間で異端者一味と対峙した時に、ヴォルマルフ様がすでに自分の知る父ではないと悟ったメリアドールに斬られ、なんとか広間から逃げのびたものの、廊下に出てすぐに倒れてこの状態だ。

「ええ……深手を負ってはいますが、すぐに治療すれば命に関わるほどでは」
「痛みに耐え兼ねて気を失ったか……仕方ない、ここは私に任せろ。その間に私があの小僧を……そうだな、棺の置かれた礼拝堂にでも誘い出してやろう」
「ヴォルマルフ様が自ら囮になると? それは……」

 長く仕えてはきたが、元のヴォルマルフ様ならとにかく、完全にハシュマリムと化した者がそんな提案をするとは思わず、私はつい口答えしようとしてしまったが、ヴォルマルフ様は「仕方なかろう」と続けた。

「やつの怒りは私に向けられている。私の姿を見れば、勇んで追ってくるだろう……お前はその間にそれをなんとかしてバルクと合流するがいい」
「よろしいので?」
「あの魔法は私では扱えん……何より、お前はそれを手放す気などないのだろう?」

 ヴォルマルフ様がクレティアンを見ながら言った。図星をさされて反論することもできず、クレティアンを抱く腕にわずかに力が入る。
 それを見て、ヴォルマルフ様が口の端を上げた。

「両の手が塞がっている状態では戦えまい? 息子を殺めた私とて、可愛いお前からそれを奪って戦わせるほど鬼ではない……なに、足止めに使える駒なら他にある。案ずるな」
「……ありがとうございます」
「ついでにお前も着替えてこい……その穢れた血に塗れた服で神聖な場所へ行くことは許さん」

 ヴォルマルフ様はそう言い残して、ひとり部屋から廊下へと出る。それを見送って、私はクレティアンを抱えたまま時空魔法を唱え、小部屋から姿を消した。


 私が魔法で飛んだのは、自分の部屋だった。クレティアンならば私ごと直接バルクのいるところまで飛ぶこともできるだろうが、魔法の専門ではない私が、人ひとり抱えた状態で行くことができるのは、よく知った場所や景色、そして自分の魔力が残る、自室くらいだと思ったからだ。
 それに、異端者だけでなく、我々が教皇を殺害した現場を見てしまった僧侶も少なからずいるかもしれないと思うと、目立つ場所は極力避けたかった。まさか逃亡のために自室に戻ったなど、誰も思うまい――私は自分のベッドにゆっくりクレティアンを横たえて、その顔に触れた。

「う……」

 わずかに漏れた声に、生きていることを確信して安堵する。そして身体に視線を落とすと、剛剣技によって装備品が壊され、その上の白いローブにまで血が滲んでいる。
 ヴォルマルフ様はもう自分の知る父ではないと悟ったメリアドールは、容赦なくその刃を詠唱中のクレティアンに向けた。射程内にいるなら詠唱の隙を見せた魔道士、特に白魔法の使い手から狙うのは戦術として正しい。彼女がクレティアンを狙ったのは、個人的な感情ではなく、我々を殲滅するためにそれが最良だと判断したからだろう。

「それにしても容赦のない……まったく、誰に似たのだろうな」

 そんなことをひとりで述べながら、ローブの下に装備していた防具の壊れた部分を外して肌を露出させる。そして傷口に手をかざして、私は白魔法を唱えた。
 白魔法など陰陽術のついでに学んだ程度でクレティアンには遠く及ばないが、それでも応急処置程度にはなるだろう。
 白い光がクレティアンを包み込み、そして少ししてクレティアンのまぶたが動いた。

「うん……ロー……ファル?」
「気がついたか?」
「……」

 まだ意識が半分落ちているのか、私を見上げるその瞳は弱々しい。人の身でこれだけ出血しては無理もないだろう。
 それでも最低限の処置はできたし、少し経てば意識もはっきりしてあとはクレティアン本人の魔法で治癒ができると思い、私は身体を起こしてクレティアンから手を離し、自分の青いローブに目を落とした。

(確かにヴォルマルフ様に言われるだけのことはあるな……)

 ヴォルマルフ様が正面から斬ったまま放置した教皇を、私は持っている剣で背後から刺した。偽りの信仰を掲げ聖石の力を秘匿してきた諸悪の根源、ヴォルマルフ様を人ならざるものに変えてしまった遠因――それが目の前でつまらない命乞いをしているのが妙に腹立しく、上から投げるように剣を振り下ろすと、激しい返り血がローブを汚した。
 リオファネス城であれだけ惨状を作ったヴォルマルフ様の呆れた様子と、それまでこの汚れた姿に疑問を持たなかったことに、私ももうヴォルマルフ様と同じ、人ではなく悪魔なのだと息を吐く。
 だが、クレティアンがようやく身じろいで私の血に塗れたローブを握ったことで、一旦その思考を閉じ込めてクレティアンのほうを見た。

「気分はどうだ? まだ万全ではないだろう、このまま安静にしていた方がいい」
「分かっている。今リジェネをかけたから次第に良くなるはずだ……ヴォルマルフ様は」
「心配は無用だ」

 いくら異端者が、ウィーグラフやエルムドア侯爵を倒す実力者であっても、あの方が悲願を前に朽ち果てるなどあるはずがない。クレティアンもそれは十分に承知で、「そうだな」と目を閉じた。
 起き上がろうとする様子もなく、ケアルではなくリジェネの自然治癒に任せようとするあたり、弱音こそ吐かないが辛いのだろう。止血はできているものの、着ているものだけではなく下のシーツにまで血の染みを作っており、その光景に痛々しさが伝わってきた。
 この前も、ドーターで異端者の足止めに向かって手酷くやられて帰ってきたばかりで、その傷も癒えていなかったのかもしれない。このままオーボンヌに連れていけば、その先の地獄にクレティアンの肉体は耐えられるのだろうか。
 だが同時に、その痛々しい姿に、ぞくりと身体が震えたのを自覚した。

(馬鹿な……私は何を考えて……)

 咄嗟に目を逸らしたが、白く滑らかな肌に刻まれた生傷に、ローブやシーツを汚す赤い血とその匂い、辛そうに息を吐く姿が脳にこびりついて離れない。
 理性でそれを否定しても、その姿に興奮してしまった自分がいる。
 先程クレティアンが地獄に耐えられるのか案じたが、それは自分自身にも言えることなのかもしれない。この先の世界に飲まれて心まで悪魔となり、クレティアンを本能のままに食らってしまうのではないだろうか。

(このままここにいてはならない……)

 理性が本能を否定し、手放すなら今しかないと告げる。私はベッドから一歩後退したが、それを止めるようにクレティアンの私のローブを掴む手に力が入った。

「待て……ローファル。このまま私を置いて行くつもりか」
「クレティアン……」

 まだ私自身は捨てるとも連れて行くとも決めていなかったが、クレティアンは察したようだった。私は素直に、このまま連れていくことに不安があるとクレティアンに告げた。

「もともと実戦慣れしていない上にその身体では、この先に進んでも生命を削るだけ……ここで寝ていれば、猊下のことも我々に脅されて居合わせただけだと言い訳もできよう。その剛剣技による傷も、使い手である私に手酷く扱われたのだと告げればいい」
「ローファル……お前はこういう時だけは饒舌だな。私が戦力に足りないのは事実かもしれないが、それはお前の望みじゃない」

 そう言って、クレティアンは私のローブを握りしめたまま起き上がり、縋り付くように私を見上げた。

「私を連れて行け……」
「……それはできない」
「何故……!」
「敵は異端者だけではないのだ……たとえ聖天使が目覚めこの世の不浄を洗い流されたとしても、眷属である悪魔たちが人の血肉を求めることには変わらない。それはお前も例外ではない」
「……それは分かっている」
「いや、分かっていない。私もまた悪魔に身を売った眷属の一人……愛するお前を食らうのは、私自身かもしれない。それが恐ろしい……」
「ローファル……」
「ここに残るんだ、クレティアン。あの方も、あとは聖天使を目覚めさせるのみという今ならば、今日まで尽くしたお前が戦線を離れても何も言うまい」
「ふざけるな! 私にこの偽りだらけの世界で、すべてを忘れて生きろと言うのか……!」

 強い口調でローブを握る手に力を込めて見上げたが、それによってまだ癒えきらない傷口が傷んだのか、目を閉じて顔を歪めた。
 私は咄嗟に、「大丈夫か?」とクレティアンの肩に両手を添えたが、クレティアンは自身にケアルをかけて言葉を続けた。

「お前だって、本当は私を抱きとめておきたいんじゃないのか? 私は嫌だぞ、お前のいない世界に幸せなどあるものか!」

 クレティアンの目尻に涙がにじむ。そして再度、「連れて行け」と強い口調で言った。

「だが……」
「先に進むことで命が尽き果て、我らが神、聖天使の贄として捧げられてもいい。その前にお前の本能がそうなるなら、私を喰らってくれてもいい。お前の傍で死ねるのならば、ここでお前を忘れて生きるよりずっといい……」

 涙ながらに訴えられてつい愛おしくなる。先程クレティアンに言われた通り、いかに自分の中の悪魔を恐れて手放さねばと思っていても、抱きとめてしまいたくなる。
 理性でも本能でも動かせない何かが、クレティアンを求めている――私はその感情に従い、クレティアンを包み込むように抱きしめた。

「私とて、決してお前を手放したいわけではない。いかに悪魔に身も心も捧げようと、私が愛を誓ったのはお前だけなのだから」
「……ローファル」
「だが、愛する者が傷つき、死ぬ姿を見たくないと思う私の人の心は消えようとしている……その時、お前を愛していたことすら忘れてしまうのが怖いのだ。どうか分かって欲しい」
「それなら心配するな、ローファル」

 クレティアンの言葉にわずかに身体を離して顔を覗き込むと、視線が合ってクレティアンが微笑んだ。

「私はそれでもローファルを愛している。たとえその姿が変わろうと、心まで堕ちてしまおうと、私は変わらずお前のもとへ行き、こうしてお前の腕を求めるだろう」
「クレティアン……」

 恋は盲目という言葉もあるが、それでは表しきれないほどの一途な愛の言葉を投げかけられ、愛しいと思う心が増してくる。
 クレティアンの本来の家柄、そして美しい容姿や高い実力であれば、相応しい相手など選ぶほどあるだろうに、その愛情のすべてを私に対して注いでくれる。
 それを嬉しいと思いつつもどこか気恥ずかしくて、私はわずかに顔を逸らして尋ねた。

「ずっと思っていたのだが……何故、そこまで私のことが好きなのだ」
「何故だろうな……だが、人に恋焦がれ、愛する感情に本来理由なんてない。だから愛しいんだ」

 お前もそうだろう――と、クレティアンが視線を逸らした私を逃すまいと追うように私の耳元で囁いた。心地よい声が鼓膜を揺らす感覚に、つい息が漏れた。

「っ……見ての通り、血に塗れ、穢れた男だぞ」
「お前の罪は私の罪……共に裁かれ、共に地獄へ行けばいい。お前のいる場所が私の幸福の場所となる……だから私が死ぬ時は、どうかお前の腕の中で」
「……クレティアン、あの方が望む使命を果たした後でお前の遺体を抱きしめてしまえば、きっと私も長くは生きられない。私の幸福もまた、お前の傍にあるのだから」
「ならばあの世でお前が来るのを待っている。万が一先にお前がいなくなるのなら、私も死力を尽くした上でお前のもとへ」
「分かった……その時はまたこうして」

 そう言って私は、クレティアンの唇を奪うように重ねた。クレティアンも応じる形で私を抱き寄せ、私もまた、クレティアンの身を寄せる。
 長く深く口づけあって離すと、クレティアンが熱く息を吐いた。

「はっ……ん……ローファル」

 名残惜しいが、抱き合ったためにクレティアンの服にも返り血がつき、それによって現実に引き戻される。バルクやヴォルマルフ様をこれ以上待たせるわけにはいかない。
 
「今はまだ最後までできない。そろそろ行かねば……まだ辛いようなら運んでもいいが」
「いや、十分に回復できた。今ならお前ごと船まで魔法で移動できる」
「ならばひとまず着替えよう。このまま行っては、ヴォルマルフ様に叱られてしまう」

 私はチェストに移動し、自分のローブと共に、クレティアンのための白いローブを取り出した。朝まで寝床を共にしてしまった時のために用意していたものを、まさかこのような形で使うことになろうとは思わなかったが、それだけ生活を共にしてきた者を今更置いていこうなど、そもそもできない話だったのかもしれない。
 手早く着替え、最後にフードを被りなおす。それを見て、同じく着替え終わったクレティアンが立ち上がった。
 私は再びクレティアンを抱き寄せ、軽く口付けてから囁いた。

「続きは全てを終えてから……どんな終わりを迎えようと、私もお前を愛している」
「お前からそう言うということは、期待していいんだな。では行こう」

 クレティアンが魔力を高め、空間を転移する魔法を唱える。
 魔力の渦が私とクレティアンを包み込み、部屋を後にした。

 血に染まったベッドの上で重なる同じく血まみれの衣服が、罪を分かち合うようにその場に取り残された。

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あとがき

ロークレっていつもこういうテンションのイメージ(ほんとはもっとイチャイチャさせたい)。最後まで使命に忠実に戦って、すべてが終わったら、ふたり仲良く、心中するようにあの世へと旅立ってほしいです。

2020年4月7日 pixiv投稿

 

 

 

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