鐘の音が鳴るまで

 

 

 ストイックな信仰を持ち、職務以外では無口で無表情、青いローブのフードを深く被った、暗い瞳をした男――ローファルという男を言い表すなら、おそらくこんな感じだろう。
 忠誠を誓ったアジョラと神殿騎士団団長ヴォルマルフ以外には心を開かないとまで噂されるようなローファルだが、私はこの男の最も深いプライベートの部分を知っている……というより共有している。

 起床の鐘が鳴るよりも少し早い、朝日が差し込んで間もない明け方。
 私は、ローファルの部屋に時魔法で侵入し、ベッドの脇に立ちローファルを見下ろしていた。
 ローファルはというと、まさか鍵をかけた部屋に侵入者が立っているなど思うはずもなく、ほとんど乱れていない毛布の下で目を閉じて眠っている。

(まるで死人を見ているみたいだな……)

 直立不動というあまりにも良すぎる寝相に、かなり失礼なことを思いつつ、同時に心臓を掴まれたように胸が締め付けられる。薄い絹でできたローブの胸の部分を片手で握った。

(……ローファル)

 心の中で名前を呼ぶと胸の奥が苦しくて、ローブを握ったまま息を吐いた。自分の吐息の熱さに、さらに鼓動が高まった。

 戒律と自然の摂理に反した、罪深い想い――ローファルと共有する、恋というプライベート。
 先に想いを告げたのはどちらだったか、それが双方同じように抱いている感情であると知り、隠れるように想いを交わすようになっていくらかの時が経った。
 ローファルと深く接するようになって分かったのは、無表情の中にも彼なりの感情の起伏があることだった。
 副団長としての務めを果たす時、イズルードやメリアドールと雑談をする時、そして自分とふたりきりの時――遠目に見ればその表情はさほど変わらないが、それぞれ若干の違いがあることを知った。
 だが同時に、彼が自分の感情を顕にすることに対して物凄く抵抗があることにも気づいた。
 感情だけでなく、恋人なのだからもっと遠慮なく触れてくれていいのに、まるで罪を犯しているように、その手はいつも遠慮がちだ。
 ローファルは、起床の鐘と共に起きて身を整えれば、消灯の時間までは敬虔な神殿騎士副団長であり続け、あらゆる俗世の誘惑になびかない――たとえ恋に落ちてしまったとしても。

 だからこれはちょっとした悪戯のようなものだった。
 人間最も隙が出ると言われている寝起きを狙って、あの鉄の制動心を惑わせ、叶うなら目の前の恋人の姿に喜ぶ顔を見てみたい。

(そうだ。ローファルを狼狽させようとしているのに、私がうろたえてどうする。魔法と同じ……もっと平常心で)

 私は自分に冷静を言い聞かせながら、肩までローファルを覆っている毛布に手をかけて、ローファルを起こさないよう慎重に毛布を下ろした。
 就寝用の肌着を纏っているものの、冷気を感じたのか、ローファルがわずかに身じろぐ。
 良かった生きている、などと妙な安堵を感じながら、私は片手をベッドの上にそっとついて、覆い被さるようにローファルの顔を覗き込んだ。

(可愛い……いや、可愛いのか?)

 胸が締め付けられるような想いと、冷静になれと言い聞かせる心がぶつかり合って、ふと疑問が浮かび上がった。何故自分はローファルを可愛いと思うのか。

 別に取り立てて美形というわけでもなく。
 年も自分より十以上も離れた、割といい年齢で。
 プライベートは無口で。無表情で。感情を表に出すのが下手で。手を出すのはもっと下手で。
 誰にも心を開かない、繊細で、海の底のように暗い瞳をした男――
 
――愛している、クレティアン。

 頭の中でローファルの声が聞こえた気がした。同時に、そう言ってくれた時の声と表情がよみがえる。
 切なそうに優しく――わずかに動いた表情と落ち着きを覚える低い声に、心が奪われた。
 ローファルが愛しくて可愛い。

 そこまで思い出して、胸の鼓動が一層に高まる。頭まで響いてくるようで、切なくてくらくらする。
 だが、今度はその衝動に任せて、空いている自分の手を口元に近づけ、指先に口づけた。

「ローファル」

 名前を呼んで、口づけた指先でローファルの唇をなぞる。
 苦しいのに、それがどこか心地いい。抑えられない恋心が、私自身から言葉を紡いでいく。

「愛している。今日も鐘の音とともに、お前は神の眷属となるのだろう。そんなお前も好きだが、鐘が鳴るまでは私にも心を開いて欲しい。私はもっと……」

 もっとお前のことを知りたい――

「ん……」
「……!」

 ローファルが眉間に皺を寄せて身じろいだのを見て、慌てて口元に触れていた手を下げた。
 目を開けたローファルと視線が合う。

「……」

 さすがのローファルも起き抜けは頭が回らないらしい。ベッドで私に覆いかぶさられているという状態に思考が追いつかないのか、呆けた表情でこちらをじっと見ている。
 そして少しして、意識の覚醒とともに驚いた様子でわずかに目を見開かせた。

「クレティアン……?」

 うん、まずまずの反応だ――指でキスされたことに気づかずも、ちゃんと驚いてくれたローファルが可愛くて思わずニヤついてしまいそうになったが、ここで終わらせるつもりは毛頭ない。
 視線が合って鼓動が高まるのを感じたが、ここまでやって止めるつもりはない。こういう時こそ冷静に、スマートに、平常を装って……でも誘惑するように。

 私は自分の持てる力の出来る限りを尽くして、美しく見えるよう意識しながら微笑んだ。

「おはよう、ローファル」
「……」

 狐につままれたような顔でこちらを見るローファルと、わざとらしく微笑んだままの自分でじっと視線があったまま少しの沈黙が流れる。
 
(……まさかこのまま無反応、なのか?)

 だがここまで来たら根比べだ。私が痺れを切らすか、ローファルがこの状況を打破すべく動くか。
 もちろん私の望みは後者ーー内心の焦りを見せないよう、ポーカーフェイスに努めながら笑顔を保つ。

 そしてようやく、ローファルが片手を私の方に伸ばした。

(……え? 今……)

 ローファルの目が細められて、口元が緩んで――幸福そうに、でも少しだけ意地悪く。
 ふたりきりの時でも見たことがないくらいに明確に笑ったような気がしたが、同時に、ローファルの伸ばした手が私の背に回って、一気に引き寄せられた。
 不意をつかれたためにバランスを崩して、そのままローファルの胸に倒れこむ。
 ローファルの鍛えられた身体と腕を感じて、息が止まるような感覚に陥る。
 思わず顔を上げようとしたが、まるでそれを防ぐようにもう片方の手が後頭部に回されて、背中に置かれた手にも力がこもる。完全にローファルに体重を預けたまま抱き締められてしまい、ローファルの腕の中でうるさいくらいに自分の心臓が鳴るのを感じるしかできずにいた。

「あの……ローファル?」
「まだ起床時間ではないのだろう?」
「え? まあ、そうだな……」
「ならばもう少しだけ、このままで……」

 頭の上で、囁くようにローファルが言った。表情を見ることはできなかったが、その声はいつもよりも甘く柔らかくて、まるで愛玩するように頭を撫でられる。
 私が逃げられないようにしっかりと、かつ優しく包むように抱かれて、私は息を吐いてローファルの胸元に顔を埋めた。

「私の負けだな……」
「……なんの話だ?」
「なんでもない」

 耳元でローファルの鼓動が規則正しく聞こえてきて、その音に安心感と幸福感を覚えながら身を任す。
 そして結局この体勢は、起床の鐘が鳴るまで続いたのだった。

 

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あとがき

Twitterでお題箱にリクエストいただいた、「平和な日常のロークレ」です。
ふたりの日常っていつだろうと思いつつ、書いてる私本人が萌えるように書かせていただきました。リクエストありがとうございます。

2019年11月3日 pixiv投稿

 

 

 

 

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