ロフォカレの幸福論

 

(1)

「ローファル……私と来い。忠実なる僕となり、共に血塗られた聖天使を現世に」
「ヴォルマルフ様……」

 この日、私の運命は大きく変わることとなった。長く慕ってきた騎士が聖石を掲げ、獅子のような姿をした悪魔に変わる。聖石が輝き、その光は私に大いなる知識と永遠の命を与え、その代償に私から人としての心を奪おうとした。
 だが、そうなる前に光が消え、代わりに私は自分の今までの人生を走馬灯のように見る。そしてその中には"思い出してはいけないもの"があり、自分が何者なのかを知ることとなった。



――ロフォカレよ――

 天から声がする。その時の私は、鋼鉄の剣と盾を携えた人の上半身と、船のような竜の下半身を持った、ヴォルマルフが姿を変えた存在に似た異形の姿をしていた。
 私は無言で天を仰ぎ、次の声を待つ。

――お前は人馬宮を司る闇の異形者として我らより生み出された存在。だが、今までは別の者がその席につき、お前は"有事の際の控え"として長く眠りについていた――

 そして役割が来た――その声に従い、私は地上へと降りる。
 異形者のひとりであるハシュマリムが聖天使アルテマを新たな神として擁立し、生み出した存在に反旗を翻した世界は地獄の業火に包まれていた。神の力を持つ者同士が争うその中で無力な人間や生物は怯え、ただじっと戦いが終わるのを待っている。
 その戦いを終わらせるために異形者を狩ること。それが私に遣わされた役割だった。
 私は空を飛び、剣を構える。人馬宮を司る私の持つ瞳は、一度射止めた獲物を逃さない。その先にあるのは、天蠍宮を司る闇の異形者――聖天使の僕の一人。元はこの世を浄化するための存在であったが、あまりにも多い地上の汚れは彼自身を不浄の王へと変え、苦しみ抜いた末に神々を恨み、ハシュマリムの誘いに乗ったそうだ。

――何故使命を果たさなかった?――

 結局何もできないまま天に戻った私に、生み出した神は怒りをあらわにする。
 私は答えた。この戦いに意味があるのか。人も闇の異形者も苦しんでいる。生み出した神である貴方がたは彼らを救おうとしないのか、と。

――なんと愚かな。この戦いを放棄するというのか。やはり所詮は控え、ベリアスよりも劣る失敗作であった――
――お前をこの歴史より"消去"する。お前は脆弱な人間に転生し、現実をその目に焼き付け、頭を冷やすがいい――

 その言葉と共に天から光が落ち、私はその場から消滅した。


「大丈夫ですか?」
「……」
「まさか昨晩からここに……よかった、生きていて」

 気が付いたら、私の目の前で壮年の男が自分の顔を覗き込んでいた。朝日が差し込み、思わず目を細める。頭に被る雪に身体が震えた。目覚めた私はその時普通の子供なら五歳くらいで、ようやく物事が分かるくらいの年齢だった。
 地上――神の力がぶつかりあい炎に包まれたその時の地上ではなく、ずっと遠い未来の人の世界。そこに私は転生していた。
 声をかけた男は、冬は雪の降るような山奥の集落にある小さな教会に住まうグレパドス教の神父だった。神父は私が一晩被った雪を丁寧に払いながら、「どこから来たのか」と尋ねた。
 それに対して、私は弱く首を横に振った。その時私は何も思い出せなかった――自分の両親の顔も生まれ育った場所も、そして答えるべき"言葉"も。だがそれを見て神父は私の事を"人知れず捨てられた孤児"だと思ったのだろう。優しく微笑んで手を引き、今度は名前を尋ねた。

「ロー……カレ……」

 その時の私の頭にあったのは、今思えば異形者だった頃の記憶だったのだろう。そう小さく呟いたのを聞き、神父は私に"ローファル"という名前をつけた。

「ここで出会ったのも聖アジョラのお導き。帰りましょう、ローファル。今日からあなたは私の息子です」

 ウォドリング神父――私を拾ったその男は、貧しい山奥で唯一文字の読める人間として慕われており、素性の分からない子供に対しても本当の家族のように接し、言葉や信仰を教えた。穏やかな日が続き、いつの間にかロフォカレのことは忘れていた。


「よく聞きなさい、ローファル」

 しかし平和な日は永遠ではなかった。畏国の戦争が続いたことで村は寂れ、出稼ぎや病気などで次々と村から人が消えていく中、ウォドリング神父も病によって次第に動けなくなり、ついに最後の日を迎えることとなった。その時拾われてから十年ほど経っていた。

「私が死ねばこの村に残るのはあなただけ。ミュロンドへ行きなさい……元神殿騎士のウォドリングの名を名乗れば、路頭に迷うことはないでしょう」
「騎士……?」

 初めて聞く話だった。驚く私にウォドリング神父は、簡潔に説明した。昔は騎士として教会の中で剣を振るい幹部にまで上り詰めたが、ある日戦いで人から命を奪う行為に限界を感じて騎士を辞め、こうして神父として野に下ったのだと。

「ローファル、あなたはとても不思議な目をしている。それにとても賢い子だ。私のように諦めて現実から逃げてはいけません。広い世界と未来が、貴方を待っているはずです」
「僕の未来……?」
「ローファル。磨羯の一日目。何度かあなたの誕生日として祝いましたね……」
「はい……」
「あなたの本当の誕生日は分かりませんが、その日は私があなたを拾った日。それは私にとって、私は生まれて良かったのだとこんな死の淵でも思わせてくれる者に出会えた幸福の日でした」
「ウォドリング様……僕にはあなたのほかにそんな人なんて」
「大丈夫。きっとあなたもいつか出会うことが出来る。あなたの名を愛し、生まれてよかったのだと心から思わせてくれる者に」

 私にできることは、そんな神父の手を握ることだけだった。涙を流す私に、神父は最期に微笑んだ。

「ローファル。あなたの人生に幸福が訪れますように……ファーラム」


 それから私は、ウォドリング神父に言われた通り、ミュロンドを目指し、しばらくそこで戦いの基礎を学んだ後、神殿騎士団へと入隊した。中には騎士であった頃の神父を知る者もいたが、「彼は実力者だったが優しすぎた」「騎士には向いていなかった」と半ば惜しむ様子で語っており、辞める前は少し疲れていたとも聞いた。

「お前の剣の腕と冷静さ、やはり高い才覚を感じる。体格もいい。実際にウォドリング殿と同じディバインナイトの資格を賜るのだったか……」
「有難うございます」
「うむ。今後も教会のため、精進を重ねて欲しい」

 入隊した頃から特に目をかけてくれたのは、かつての神父を知っていた一人、ヴォルマルフだった。次期神殿騎士団長とも噂される、実力と人格の両方を見込まれた騎士の中の騎士――二人の子を持ち、家族想いであるとも聞く。
 この日もヴォルマルフから直接剣の指導を受ける機会があり、その後でヴォルマルフに「頼みたいことがある」と礼拝堂に連れて来られた。

「ご用事とは?」
「あそこにいる男を書庫へと案内してやって欲しいのだが」

 ヴォルマルフが視線で示した先にいたのは、アジョラ像の前で一人祈っている若い男だった。後ろ姿でも分かるほどいかにも育ちのよさそうな佇まいで、神殿騎士団の制服を着ているが騎士見習いにしても少し線の細い印象を受けた。

「……どちらかの司祭のご子息ですか?」
「いや。ガリランドのアカデミーを首席で卒業した天才魔道士、エリディプスの再来とお墨付きを得た新入りだ」
「特別待遇ということですね」
「面倒を見ろと言われたのだが、私はこれから用があるのだ。代わりに頼まれてくれないか?お前なら魔道の心得もあるから話も合うかもしれん」
「……かしこまりました」

 ヴォルマルフは「すまんな」と言ってその場を去り、私は魔道士に声をかけようとしたが、目の前まで近づいたところでやめた。微動することもなくただ一心に手を組み祈る様子に、何故か見惚れてしまったのだ。
 ガリランドのアカデミーと言えば貴族の中でも裕福な者が行く、士官の育成学校――そこで天才と称される魔道士がどこの騎士団でもなくここに来たというのだから、よほど敬虔なグレパドス教の信者なのだろう。
 そしてしばらく様子を見ていると、魔道士は静かに顔を上げて立ち上がり、振り向いた。

「……邪魔をしたか?」
「いえ。こちらこそお待たせして申し訳ございません」
「……」

 少女のように整った顔立ちと、よく通る澄んだ声に、私は思わず息を飲んだ。

「? 何か?」
「いや……すまない。君を書庫へと案内するよう、ヴォルマルフ様より仰せつかっている」
「有難うございます。私はクレティアン・ドロワと申します……失礼ですが貴方は?」
「ローファル……ローファル・ウォドリングだ」
「……ローファル」

 私の名を復唱したクレティアンが、私の目をじっと覗き込んだ。それが少し気まずく感じ、私はクレティアンに話題を振った。

「ず……随分熱心に祈っていたが、君は貴族の出身なのだろう? 若く才能に溢れた君は、この場で何を祈っていたのだ?」
「この世の平等を」
「……は?」

 思わず失礼な声を上げてしまったが、クレティアンはあくまで真剣な表情で、まるで詩人のように滑らかな口調で続けた。

「身分、才能。悲しい事にこの世は二人の人間がいるだけで平等でなくなってしまうでしょう? 例え信仰の総本山であっても、同世代の低能な者は私の身分と才能に嫉妬し、世俗に穢れてしまいます……本来神の前にはすべての人が等しく跪くはずなのに、人は平等になろうとしない」
「……あ、ああ」
「だから私は才能ある者として、哀れな人々を救わなければなりません。だから祈りました。心の貧しい者達があらゆるしがらみから解放され、神のもと平等の世界で、真実の愛に出会えるようにと。それによってこの世もまた、果てしない不浄から救われるのです」

 綺麗な瞳と声で、想像以上に大層な発言だった。ヴォルマルフが私に託したのも、この自信が強すぎる性格故なのだろうか――どう答えていいのか困惑していたら、クレティアンが「あっ」と小さく声を出した。

「すみません。新参者が信仰を語るなど……失言でした」
「別に怒っては……」
「……」
「……」

 クレティアンが目を反らし、一気に空気が気まずくなる。声をかけるべきは年長者である自分のはずだが、どうもこのクレティアンという男を見ると妙な気恥ずかしさを感じ、元が口下手であるのも相まって言葉が出てこない。
 結局先に発言したのはクレティアンのほうだった。

「本当にすみませんでした……どうもあなたの目を見ていると、不思議な気持ちになって、つい調子に。若気の至りと思ってお許しを」
「私の目……?」
「とても綺麗な目をされていると……あぁ、いえ……とにかくご案内の方を」
「うむ……そうだな」

 視線を逸らしながら答えた私に、クレティアンが笑顔を見せた。ウォドリング神父のような達観した微笑とは少し違う、自分の心と実力に疑いを持たない、純粋で穢れのない笑顔だ。

「ここで出会ったのも聖アジョラのお導き。今後ともよろしくお願いします、ローファル様」
「……ああ、よろしく。クレティアン」

 他人に"無愛想"と言われるほど笑わない自覚のある自分が、はじめてクレティアンの純粋さに惹かれる形で笑顔を返した。



 そしてそれから数年の時が経ち、私は偶然ヴォルマルフの正体を知ってしまった。そして命を奪われる代わりにヴォルマルフから力を与えられることとなり、それによって自分の本当の名と生い立ちを知った。

「何故だ。何故貴様は変わらない……? 貴様は何者だ」
「ヴォルマルフ様、ご安心を。私は貴方に永遠の忠誠を誓います。この運命も聖天使のお導きがあってのことでしょう……私はかつて貴方が反旗を翻した神に逆らった者のようです」
「聖石を持たぬ異形者……だと?」
「私の想いは貴方と同じ。そして我が父や友の清き信仰を歪め踏みにじる、偽りのグレパドス教にも天罰を」

 私は今思い出した自分の"正体"をヴォルマルフであった者――ハシュマリムに告げながら、上から信仰や忠誠を押し付けるだけの今昔の神への恨みを身にまとった。


(2)

――ロフォカレよ。早く目を覚ましなさい。そして使命を思い出せ――

 声の主に対して、私は嫌だと頭を横に振り、「違う」と答えた。

――何が違う。お前は転生しても我らに関わるよう運命づけられた存在。ハシュマリムがお前を知らなくとも、お前はお前の使命を忘れることなどできはしない――

 違う、違う――私はその声を否定し続けるが、それでも声は私の心を揺さぶっていく。

――ハシュマリムから力を得て思い出しただろう? お前の名は――
――……ファル、ローファル――

「……ッ!」

 飛び上がるように起き上がると、そこはよく見知ったベッドの上だった。
 ミュロンド寺院にある、自分の部屋。遠くでロウソクの炎が揺らめいているのかわずかに明るい。

「大丈夫か、ローファル」

 すぐ隣から声がしたので枕元を見ると、クレティアンが眉をひそめてこちらを見ていた。クレティアンの声を聞いて、先程までクレティアンと共にいたことを思い出す。
 消灯時間のあと、突然クレティアンがテレポの魔法で私の部屋に来た。「今晩はどうしてもお前と共に過ごしたい」と、清楚だがどこか色気を感じさせる薄手のローブを羽織って。それからしばらく話をして、クレティアンが身を寄せてきて私はそれに応える形で背に手を回す。口づけを交わして、同じベッドに横たわり身体を寄せ合った。
 そしてそのまま、腕の中にクレティアンの体温を感じながら眠りに落ちた。

 隣で共に寝ていた人間を忘れるなど――私は大きく息を吐いた。

「すまない、起こしてしまったか?」
「明かりをつけて起こしたのは私の方だ……ひどくうなされていた」
「……夢を見た」
「夢?」

 ベッドに身体を沈めたまま、クレティアンが尋ねる。部屋の冷たい空気で少し落ち着いた私は、クレティアンが寒がらないよう再びベッドに横たわり、はだけた毛布をかけなおしてから、先程まで自分を苦しめていた、いや、今でも頭の中から離れないロフォカレの夢を話した。

「昔はよく見ていたのか?」
「ウォドリング神父に拾われてからは一度も見なかった……と思う。ヴォルマルフ様と契約を交わすまで、忘れていたくらいだ」
「ロフォカレに語りかける存在はまるで今のグレパドス教の司祭達のようだ。転生後まで運命を押し付けて来るとは、随分と心の狭い神だな」
「クレティアン……お前は信じるのか? 現実のものだと」

 まるでロフォカレが実在するかのように真剣に話を返すクレティアンに、私は尋ねた。毛布の下でクレティアンが手を伸ばし、いつの間にかシーツを強く握っていた私の拳に、指を重ねて微笑んだ。

「お前は冗談でその話をしているのではなく、本気で悩んでいるんだろう? ならばそれは紛いもない現実じゃないか」
「……現実か」

 私がハシュマリムと契約を結んだ後、私が変わってしまったと感じたクレティアンは私の周りを探り、そして全てのことを知ってしまった。
 私のこと。ヴォルマルフのこと。自分の信仰が全て偽りだったこと――最初はその事実に動揺した様子で、当然ハシュマリムは彼を殺そうとした。だが、次第にクレティアンの表情から動揺が消え「貴方が真実の神の使徒であり、その贄となるなら喜んで」と手にかかることを受け入れる。
 そして最後にひとつだけ、とクレティアンはヴォルマルフではなく私を見て言った。

――私はローファル、貴方を愛してしまったんだ。貴方のことを考えるだけで切なくて壊れそうになる……もちろんこの想いが神の教えに反することは分かっている。だから私を殺してもいいが、ひとつだけ……せめてどうか貴方の手で。

 信仰を語っていた時と同じく純粋な目で、でもどこか感情的な声色でそう告げられ、気が付けばヴォルマルフの前であるにも関わらず、クレティアンを抱きしめていた。その時初めて自分もまた、クレティアンのことを友情以上の視線で見ていたことを知った。
 そして半ば呆れた様子で、ヴォルマルフが「好きにしろ」とクレティアンが協力者になることを認めたのだ。

 だが、それが現実――クレティアンは人の身のままであり、そして自分は人ではない。ハシュマリムによって永遠の命を得ただけでなく、元からハシュマリムと同一の存在だった私はこの手で、身体で、クレティアンに触れてもいいのだろうか。
 そんなことを考えていたが、それに逆らうかのように、クレティアンが私に身を寄せようとした。
 私はクレティアンの肩を弱く押して背を向けるよう寝返りをうち、抵抗の意を示す。

「よせ……お前は悪魔を愛していいのか」
「ならば聞くが、私は何者だ?」

 クレティアンの問いに、私は背を向けたまま答えた。

「クレティアン・ドロワ……裕福な貴族の家庭の三男……神童と呼ばれるまま入学したガリランドの学院を首席で卒業し、神殿騎士団で魔法を研究する秀才……」
「そうだ。それが私……だがローファル。お前は私のそういうところを愛しているのか?」
「違う……」

 クレティアンがそういう人生を歩まなければ出会わなかったのかもしれないが、例えその肩書がクレティアンから今なくなっても、クレティアンを愛する気持ちに偽りはない――私は背を向けたまま、視線だけをクレティアンに向けた。
 それを見たクレティアンは、私の肩を引いて強引に仰向けにし、そのまま私に覆い被さる形で体重をかけてきた。ベッドの軋む音がして、反射的に私の手はクレティアンが落ちないよう両肩にかかり、身体を支える。見つめ合う体勢になってクレティアンの口元から笑みがこぼれ、そのまま私の唇を啄むようにキスをした。
 そしてクレティアンの指が私の頬をなぞり、初めて会った日から変わらない澄んだ瞳と声で囁く。

「お前が何者かなんて関係ない。お前はローファルだ」
「……クレティアン」
「初めて会った時にも話したな。私はお前のその瞳が好きだ。私を射止めて離さない瞳……それは魔性のものではなく、ローファル、お前が持つ人としての魅力だ。そしてその名前も」

 クレティアンが私の胸の上で背筋を伸ばし、今度は私の額に口づけを落として微笑んだ。

「ローファル……ウォドリング神父がそう名付けた日、それがお前の誕生日だったな。亡き神父に変わり、私がお前の生まれた日とその名を祝福しよう……例え全ての神が、世界が、お前自身ですらお前のことを否定したとしても」
「生まれた日……ああ、そうか」

 誕生日――言われてみれば朝の礼拝の説教で、人馬の最終日であると、そんな話をしていた。だが、今思い出したことが伝わったのか、私の上から降りて再び隣におさまりベッドの上で向かい合ったクレティアンが苦笑した。

「忘れていたのか? 私はお前の誕生日を一番に祝うために人目を忍んで夜這いしたんだぞ」
「すまない……」
「謝るな。ちょうど日付も変わった頃だ……ローファル、誕生日おめでとう」

 クレティアンの手が私の頭を撫でる。それが心地よくて私が微かに息を漏らすと、クレティアンが少し挑発的に微笑んだ。

「ローファル。今とても幸せだろう? よかったじゃないか。人馬王ロフォカレが神に見限られ転生したのなら、新たな生でこうして私という人間に愛されているのは至上の幸福だ」
「随分な自信だな」
「私のそういうところも好きなくせに」
「ふっ……そうだった」

 今度は私の方からクレティアンの腰を引き寄せ、もう片方の手は背中に回し、クレティアンをそのまま包み込むように抱きしめた。

「ん……」

 クレティアンが私の背中に腕を回したことで、毛布の中で密着する形になる。薄い衣服を通してクレティアンの体温や心音、息遣いが伝わった。色を含んだ吐息とともに、クレティアンの腕に少し力が入り、さらに深く身体が重なる。
 そんな甘えるような仕草が心から愛おしく、私はクレティアンの白い首筋に顔を埋め、そこに弱く吸い付いた。クレティアンの口から甘い声が漏れる。

「あっ……ローファル……!」
「聖アジョラでも我らの神でもなく、お前と私の心に誓う。例え私が何者であっても、私、ローファル・ウォドリングはお前を愛している……」
「……っ、そうだ、それでいい。たとえそれが我々にとっての破滅の道であったとしても……」

 ずっと愛している――クレティアンの声が心地よく耳に響き、顔を上げる。自然と目が合い、互いに目を細めた。その幸福感に満たされながら、どちらからでもなく再び唇を深く重ねた。

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(3)

 それからまた時が経つ。私達はヴォルマルフに従い、ついに聖天使を現世に蘇らせるため、死都ミュロンドの地を求めた。
 入口であるオーボンヌ修道院の魔法陣までたどり着いたところ、私達を追う異端者の一味が迫ってきたため、私は魔法陣に一人残り、先にヴォルマルフ達を行かせた。
 そのまま私は異端者に敗れたが、死に瀕する前に再びデジョンを唱え、異端者を死都へと送る。何故そうしたのかは私自身にもよく分からなかったが、その時確かに何かを思い、異端者が外へ行くのを見ながら私は力尽きた。

――目覚めよ、ロフォカレ。お前はまだ、死んではいない。そして現実を見るのだ――

 目を開けると、私は小さな建物の中にいた。すぐに意識が鮮明になり、自分はオーボンヌで異端者の一味に敗れた末に彼らを巻き込んでここに来たのを思い出す。
 目の前の入口を破壊してから意識を失っていたが、あれからどれだけの時が経ったのか。外は何もないかのように静まり返っている。

(現実? ヴォルマルフ様はどこに……いや、それよりも)

 クレティアン――ヴォルマルフと共に先にここへ向かった友の顔を思い出し、私は立ち上がり、重い身体を引きずって外へ出た。

「……!」

 外へ出ると、建物のすぐ近くで倒れているクレティアンの姿が見え、私は駆け寄って屈み、クレティアンの身体を仰向けに抱き起こした。

「しっかりしろ。すぐに回復を……クレティアン……?」

 呼びかけても私の腕に全ての体重を預けたまま、閉じられた目を動かそうともしない。わずかに空いた口からは一切の呼吸もなく、私は震えた声でもう一度名前を呼んだ。

「……馬鹿な。何故」

 正面から斬られたのか、白いローブは血に汚れ、床にも血の染みができている。他の雑兵が倒れているのも見え、明らかにこの場で戦い敗れた跡だった。ヴォルマルフやバルクと共に先へ行ったと思っていたのに、何故ここで一人倒れているのか。

「まさか私を待って……?」

 オーボンヌで私は、異端者一行を倒してその後必ず向かうと告げていた。クレティアンにも、「お前が待っている限り私は死なない」と宣言したのを思い出す。建物から出てすぐのこの場所で私を待つクレティアンの前に、私ではなく異端者達が現れる瞬間が頭をよぎる。

――そう。これが結末だ――

 体の内側から声がする。同時に、時が止まったように体が動かなくなった。目の前の景色が消え、上も下も存在しないような空間が身体を包む。

――お前が人であることを続けたばかりに、この者は無残で孤独な死を迎えた。お前がこの者を愛さなければ、この者がここへ来ることも、死ぬ事もなかった――
――お前が今諦めれば、この者を邪悪なる者、アルテマから解放し、人として安らかに逝く運命を約束しよう――
――お前のその肉体も我々の力で一時的に動いているだけだ。さあ、戻ってこいロフォカレ。我らの元に――
――ロフォカレよ、使命を思い出しなさい。お前の役割は、アルテマやハシュマリムの道具ではなく、我らを守り、人の世を監視し裁くことである――

 次々に湧き上がる声と共に、私の身体がそれに引き上げられるような感覚に陥る。だが、身体は声に支配されたように動かないのに、どうやらまだ泣くだけの感情はあるらしい――私の瞳から流れた涙が、クレティアンの頬に落ちた。

(嫌……だ。私は……私の名前は)

――お前はローファルだ――

「……!」

 クレティアンの声がしたような気がして、腕の中の顔を見た。同時に、目の前に景色が戻る。死都ミュロンド――かつて神々がアジョラと共に聖天使を封印した地。

「私はローファル・ウォドリング……ロフォカレではない!」

 私は再び自分を支配しようとする声に対して告げた。

「私は……我らは自身の望みのままにここへ来た。私はここでローファルとして死ぬ!」
――破滅を選ぶのか。愚か者め――

 その声を最後に、私の中から何かが消えたような気がした。

「すまない、待たせたな……痛かっただろう?」

 私は手袋を外し、眠ったままのクレティアンの頬を撫でた。そして指を髪に絡めて、いつも見た目に気を使う彼がそうしていたように、乱れた部分を整えてやった。
 冷たくなった身体は反応を示すことはなかったが、私はこれでいいんだ――そんな声が私の名を呼んだような気がして、愛おしくなり、私はクレティアンの唇に自分の唇を重ねた。私の中で、何かが満たされたのを感じる。

(ああ、そうだ……私もクレティアンに会いたいがためにここへ来たのだった)

 デジョンを唱えずに私が死んでいれば、異端者一味はここに来られるはずもなくヴォルマルフは安全に目的を果たしただろう。
 だが、それでも私はクレティアンに会いたかった。それによってクレティアンが直接異端者に殺されるのは想定外だったが、どうせ互いに散る命なら、偽りの天の国ではなく共に聖天使のもとへ行きたいというのは、私の――私達の願いだった。
 遠くで何かが叫ぶ声が聞こえた気がした。同時に天が輝く。私にはそれが何を示すのかすぐに分かった。

「クレティアン。ヴォルマルフ様はついに使命を果たされたようだ……行こう、我々も」

 クレティアンは聖天使が降臨することを望み、ここまで来た。
 彼は出会った頃から言っていた。争い、憎しみ、差別、不浄――いかなるものも聖なる父の元ではひとつとなり、人は信仰によってこの世という地獄から解放され、真実の愛にたどり着き、そしてこの世も浄化されるのだと。
 私にはそれ程の信仰心はなく、父の代わりとなった神父、騎士として重用してくれたヴォルマルフ、生涯の友人となったクレティアン――彼らに手を引かれる形でここまで来たが、今はクレティアンの変わらない信仰を心から信じてみたくなった。

「我が心はお前と共に。例えそれが我々の終わりであっても、この想いは死しても偽らないと誓う……」

 だから私は天を仰ぎ、クレティアンの代わりに祈った。

「我らが主、聖天使よ……どうか我々の血肉をあなたの国の礎として下さい。偽りの神を暴き、この世の国と力と栄えが、限りなくあなたのものとなりますように……」

 天から光が降り私達を包む。同時に、私は白い羽を携えた、天使のような姿の存在を見た。
 ヴォルマルフはハシュマリムと同じく聖天使のもとへと行ったのか、それともイズルード達のもとに旅立つことができたのか。そんな気がかりもあったが、ハシュマリムはヴォルマルフの魂を大切にしていた。だからきっとヴォルマルフの望みを叶えてくれる――そう信じて私は微笑み、クレティアンの身体を抱き寄せて目を閉じた。

「我が父、ウォドリング様……私に尊い名を遺してくれたことを感謝いたします。あなたの信じた神を冒涜し、多くの者に不幸を与え、このようなところに来てしまった私はもう貴方に会うことはできない……」

 最期に懺悔したのは、ロフォカレを生み出した存在でもグレパドス教でも聖天使でもなく、自分にローファルという名を与えてくれた神父に対してだった。
 今の私を見て、あの優しかった父は何を思うだろう――それでも私は腕の中にクレティアンを感じながら、神父に今の気持ちがとても穏やかであることを告げ、そのまま眠るように意識を落とした。

「ですが私は見つけたのです……この名を愛し、こうして死の淵で、生まれて良かったと心から思わせてくれる存在に。そんな愛おしき友と共に逝くことが出来る。私にとってそれは、至上の幸福と言えましょう」


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あとがき

FF14で人馬王ロフォカレが公開されたのを見て、FF14はやってないんですが、きっとローファルと関連しているんだろうと思って強引に色々(ローファルの誕生日とか謎すぎる設定とか)こじつけて、前書いたロークレと設定を融合させて新しく書きました。最終的にふたりとも死ぬのですが、ヴォルマルフも含めて何か救いと幸福をもって旅立ってほしいです。
ベッドで散々イチャつかせたので、そのまま幸せに添い寝してほしいような、それ以上もして欲しいような。

2018年12月23日 pixiv投稿

 

 

 

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