リオファネス城屋上。
 あんなに騒がしかった夜は終わろうとしており、太陽が静かに空を染め上げようとしていた。



 私は、倒れたまま動かない兄の横に腰かけた。


「兄さん……」


 私は兄の頭をなでながら、涙を流していた。
 そして、今までの兄との思い出が、まるで走馬灯のように蘇ってきた。

 



日は、また昇る





 10年前のことだっただろうか。
 「秘術」を継承する一家に生まれ育った私達は、畏国の果ての山奥に住んでいた。
 畏国とは言葉も生活も異なった住民100人程度の小さな村だったけれど、私達にとってはそれが世界のすべてだったから、何も不自由には思わなかった。
 そしてあの日、戦時中とはいえまだ私達は子供だったから、二人で村の中の近くの池に遊びに行っていた。


「ラファ、もうすぐ日が暮れるよ。そろそろ帰ろう」
「でも夕焼け、もっと見たいなぁ」


 池の向こうの空は、今でも覚えているくらいに美しい夕焼けで輝いていた。
 兄が私の手を取って「帰りながら見ればいい」と言った時だった――背後の空が、夕焼けよりも赤く染まったのは。


「にいさん……あっちの空も赤くなってるよ。きれい……」
「……!」


 兄の手に力が込められたのがわかった。そして、背後の空、つまり私達の住んでいる村がある場所から、チョコボが走る音と、聞いたことがないくらいの多くの人の声が聞こえてきて、その中には悲鳴のような声もあった。


「にいさん……なんか焦げてるにおいがする!」
「ラファ、こっちだ!」


 兄が私を引っ張り、状況が分からないまま私は兄と共に池の中に入り、岸の草陰に押し込められた。


「静かに……ぜったいにしゃべるな」
「……う、うん」


 チョコボが走る音が近づいてきて、聞き覚えのない言葉での会話が草陰の向こうから聞こえて来た。
 誰かが走ってくる音がしたが、すぐに何かを斬りつける音と女の人の悲鳴が聞こえて、すぐに女の人の声は消えた。
 気になって頭を出そうとしたら、兄がそれを制した。
 私はただ、分からないけれど怖くなって、兄にしがみつくしかできなかった。
 そしてしばらくしてその声が聞こえなくなった。気が付いたら、夜になっており真っ暗だった。


「……行ったのか」
「にいさん?」
「もう大丈夫だ、出よう」


 池のほとりには、女の人が私よりも小さな子供を抱えて倒れていた。
 ふたりとも血のにおいがして、そして全く動かなかった。
 思わず叫びそうになった私の口を、兄が塞いだ。


「まだ、静かに……」


 私がうなずくと、兄は私の口を解放した。


「ねえにいさん。この人たち……死んでるの?」
「……みたいだ」
「血が流れてるよ……」
「ああ……」
「村の方、まだこげてるにおいがするよ……」
「……行こう、ラファ」



 兄と一緒に村に帰ると、そこは地獄だった。
 村はすべて焼け落ちていた。
 そして、見かける人はすべて動かなくなっていて、焦げた臭いとは別の嫌な臭いがした。死臭だった。
 村の一番奥にある私達の家に行くと、そこもやはり燃やされており、焼け落ちた蔵のところに母が倒れていた。


「かあさん!? しっかりして、かあさん!!!!」


 駆け寄り揺さぶっても、母は動かなかった。
 そして母の倒れた先に、地下へ続く梯子が瓦礫の隙間にあることに気付いた。
 場所からして、おそらく蔵の中にあったのだろう。私達はそこに梯子があることを初めて知った。


「地下へ続いているのか……? 通れそうだ」


 兄にそれを伝えると、兄は燃え残った火の棒を手に取り、瓦礫の隙間に身体を入れてしばらく様子をうかがっていた。
 そして瓦礫から頭をだし、「行ってみよう」と提案した。私はそれに従った。



 梯子を下りた先は3畳くらいの小さなスペースがあり、そこに私達の父が壁にもたれかかって座っていた。


「……とうさん!」
「この声……ラファか?」
「生きてるのか父さん! 何があったんですか!」
「マラークも無事か……良かった。畏国の奴らだ……言葉がそうだった」
「いこく?」


 この村の長である父は畏国の言葉も少しではあるが知っていた。だが、その時の私は畏国という言葉自体も全く知らず、首をかしげていた。
 そして父は、私よりも、むしろ兄に語り掛けるようにつづけた。
 3つ年上の兄は、きっと父の言葉で理解したのだろう、「畏国の人間がこの村に攻めて来た」と。


「どうやら奴らの狙いは我々ガルテナーハ一族に伝わる秘術……お前に教えた裏真言と、ラファに教えた真言……」
「なんのために……?」
「いいかマラーク。もしもこの村に頼れる大人が生きていなければ山を下りなさい。ここに二人だけで住むのは不可能だ。お前達はまだ子供だ……言葉が分からなくても、生きられる」
「二人だけ……父さんは……」
「私はもう駄目だ……だからこの本を持って、二人だけで……」
「本?」


 兄が父の後ろにある本に気付き、手に取った。そして私に火の棒を預けて、本を開けた。


「これは……」
「お前達に教えたのは、基礎となる言葉だけ……この本には、言葉を術として具現化する方法が書かれている。もちろん、畏国の人間には読めないだろう……この本をお前達に託す」
「……父さん?」
「早く行くんだ二人とも……夜が明けたら奴らがまたこの本を探しに戻ってくるだろう。決して奴らに見つかるな……」
「で、でも!」
「どうか……お前達の未来に……幸福あれ…………」


 父はそれから、動くことも、話すこともできなくなった。


「にいさん……とうさんは?」
「……行こうラファ。父さんが言っていただろう、ここにいたら危険だ」
「でも……」
「大丈夫、大丈夫だよラファ」


 私は父のことが気になっていたが、手を握ってくれた兄に言われた通り、地下に父を残したまま、梯子を上った。
 母が蔵の前に倒れたままなのも放ったまま、村を出た。
 再び通った焼け落ちた村は、怖いくらいに静かで、火の赤とまだ燃え残った音だけが残り、そして死臭が漂っていた。




 そして暗いまま私と兄は、初めて村の外へ出て、ひたすらに山を降りて行った。
 日が明けようと空が明るくなり始めた時、私はつかれてその場にうずくまった。


「にいさん、もうつかれた……眠いよ」
「我慢するんだ」
「できないよ……お家にかえりたい!」
「もう帰る家なんてないんだ……! これを持って、遠くへ逃げないと」
「遠くってどこ!?」
「知るわけないだろ!」


 今までずっと落ち着いていた兄が、激高した。
 同時にはじめて、兄が泣いていることに私は気づいた。


「父さんも母さんも、村のみんなももう死んだんだ! 殺されたんだ! オレ達しかもう、生きてないんだよ……!」
「……いや、いや!!! いやああああ!」
『なんか声が聞こえると思ったら……なんだガキか』
「……!?」
「だ、誰だ!」


 私達のもとへ、山の上から男が3人ほど近づいてきた。3人とも金色の髪に白い肌をしており、私達の知らない言葉でしゃべっていた。
 しゃべり終わった後剣を抜いた男たちを見て、兄がしゃがみこんでいた私に本を渡し、そして私の前に立って両手を広げ、呪文を唱えた。
 父が「これは幸せになるための秘密の言葉だ」と私に教えてくれた呪文と似た言葉だった。
 兄が呪文を唱え終わると、雷のようなものが兄の前で剣を構えていた男のうちの一人の目の前で弾けた。


『ぐわっ……な、なんだ!?』


 男たちが驚いているのが分かった。そしてそのスキを逃すまいと、兄は私の手を引いて立ち上がらせ、走ろうとした。
 しかし疲れ切った私の身体は「走らないといけない」と理解していても動かず、そのまま私は転んでしまった。


「ラファ!」
『~~~~~~!!!!』


 男たちが怒鳴り声をあげ、そして私達の目の前で剣を振り上げた。
 兄がとっさに私に覆いかぶさるように抱きしめ、私はかたく目を閉じた。
 それから聞こえたのは、男達の悲鳴だった。


 目を開けると、山の麓側から数人の鎧を着た人たちがチョコボに乗って走りながら、一人は弓を構えていた。
 男達には矢が刺さっており、そして別の鎧の人が剣を振り上げ、私達に襲い掛かった男たちにトドメをさした。
 そのうちの一人は逃げ出してしまったが、とりあえず私達は助かったんだということは分かった。


「……に、にいさん?」
「分からない……ただ、こいつらの味方じゃないみたいだけど……」
『大丈夫か?』


 チョコボに乗った鎧の人のうちの一人が、私達に手を差し伸べた。
 何を言っているかは分からず、兄がそれを伝えるべく首を横に振った。


『ここは私に任せなさい』
『はっ……大公殿下』


 今度は鎧は着こんでいるが高価そうなマントをつけた父くらいの年齢の男が、チョコボに乗りながらゆっくり近づいてきた。
 その姿はよく覚えている。近づく姿の背後に、美しい朝日が指してきたから。
 そしてその男は私達の前でチョコボから降りた。


「君達は……上の村から来たのか?」


 身振り手振りを交えながら、私達の使っている言葉で、その男は尋ねた。
 身構えていた兄だったが、笑顔でそう尋ねる男に対してゆっくり頷いた。


「よかった。私は君達を助けに来た。村を焼いたその男達から」
「助けに来た? こいつらが俺達の村を焼いたのか? オレ達の一族に伝わる秘術を奪うために?」
「すまない……もう少しゆっくりしゃべってくれないか。私もあまり君達の言葉を知らない」


 男の言葉に、兄はゆっくりと同じことを話した。
 私も兄も、私達の言葉を理解してくれるその男の存在に安心していた。間違いなく味方だと思った。


「そうだ、彼らを倒しに私は来た。もしかして、先ほど雷のようなものが光ったのは、君達の術かね?」
「……オレがやりました。父から教えられた術です」
「なるほど。生きているのは君達だけか?」
「……はい」
「ならば私のもとへ来なさい。私達の言葉を知らない君達では、生きていくのも大変だろう」
「いいんですか……?」
「ああ。君達のような子供が死ぬのは見たくない。私は子供が好きなんだ」


 男の言葉に、兄は私のほうをしばらく見て、それから私を抱きしめた。
 そんな兄の様子に、私達は助かったんだということが分かった。そして目の前の男が、神様のように見えた。
 朝日は、そんな絶望していた夜が明けたことを告げるように、空を明るく染め上げ、私達を照らしていた。






 それから私達は、助けてくれた男――バリンテン大公のもとに保護された。
 貴族の中の貴族でありながら、私達のような戦災孤児を、身分も国も関係なく快く引き取り育ててくれる、神様のような方――これが当時の私のバリンテン大公に対する印象だった。
 まるで私達を自分の子供のように可愛がり、畏国の言葉などを教育してくれたバリンテン大公のことを、私達もまた父のように慕った。
 そして畏国の文化や言葉を学ぶ一方で、私達が父から預かった本を私達の文化を研究する学者と共に読み、兄だけでなく私もまた父から教わった呪文を形にする「天道術」を身に着けた。



「ラファよ。お前も兄に劣らず、成長してきたようだな」


 月日が経ったある日の夜、私はバリンテン大公の私室に呼び出された。
 ベッドに腰掛けた大公殿下が扉を閉めたばかりで入口に立つ私を舐めるように見つめ、そして満足げに笑った。異常な視線――だが、この時は全く気付かなかった。私がこれから、何をされるのか。


「はい……全て大公殿下のおかげです。あの時拾ってくださらなかったら、今頃……」
「良い。お前達の術は一子相伝。これだけの力を、世の中から消してしまうなど惜しい……それに」
「?」
「戦争で子供たちが死ぬのは、一人の人間として見過ごせん。幸い私には救うだけの力もある」
「はい」
「可愛いラファよ。もっと近くに」


 言われた通りに、私は大公殿下の元へ何の警戒もなく歩みを進めた。
 そして、大公殿下の手が届くところで止まった。


「ところで……どんなご用で……キャッ!」


 伸ばされた大公殿下の手が私の腕を強引につかみ、そして大公殿下が立ち上がる勢いで、逆に私はベッドに突っ伏す形となった。


「な、なに……痛いッ! た、大公殿下……痛いよ……!」


 両手を後ろで拘束され、頭を掴まれる。
 私は何が起きたか分からずパニック状態になり、身体をバタつかせた。


「静かにしろ!」
「……!」


 今までの優しい大公殿下とは思えない荒立った声に、私の身体はすくんだ。
 抵抗するのをやめた私を、強引に自分の方へと向けさせる。視線が合った。まるで野獣のような目だ……。


「そうだ、それでいい」
「何を……するつもりなんですか?」
「分からないか? お前ももう女だろう……まあいい。すぐに分かることだ」
「……ひっ」


 大公殿下の手が、私の服の中に潜り込み、身体を直接まさぐられる。


「い、嫌……兄さん助けて……」
「マラークか。あいつは優秀な部下だ……私とてマラークにまで嫌な思いはさせたくない」
「……たいこう……でんか」
「ラファ。分かるな? お前は黙っていればいいのだ。そうすればマラークはもちろん、お前も今まで通り、父として優しく育ててやろう」
「……うっ……ううっ……やだよ……お願いやめて……」
「大丈夫。怖いのは最初だけだ。直に怖さなど消えて、喜びだけが身体に残るようになる……」


 バリンテン大公が耳元でささやいた。
 そんなことを言われても怖いものは怖い。私は静かに泣きながら、大公のされるがままになっていた。






「ラファ、父さんが教えてくれた真言もだいぶ使いこなせるようになったみたいだな」
「うん」


 それから少しして、私達はリオファネス城の屋上の屋根で、明け方に星を見ながら語り合っていた。
 ここから朝日を見るのが好きで、よくこうして二人で朝を待っていた。
 バリンテン大公からあんなことをされてから初めてだったけど、それでも兄とこうしていられるのは幸せ以外のなんでもなかった。


「兄さんの術は、裏真言なんだよね」
「ああ。どちらもこの畏国の術とは原理が違うようだ。だが、大公殿下なら、オレ達の術をきっといい方向へ導いてくれる」
「うん……」
「……ラファ?」
「あ、ごめんなさい。なんでもないの……そうだよね、私達きっと幸せだよね。あの時大公殿下に助けられてなかったら……」
「ああ……。なあラファ」
「うん」
「お前最近よく大公殿下に呼ばれているよな……今夜もそうだったはずだ」
「……!」
「お前一体何を……」
「……なんでもない。ただ、お話をしているだけよ」
「ラファ……」


 兄は感付いてしまったのだろうか。私がバリンテン大公に何をされているのかを。
 だが、私は首を横に振り兄の手に自分の手を重ねて、話題を変えた。


「……兄さん、フォボハム以外のところにも行ってみたいね。畏国にはここ以外にもいろんなお城があるんでしょう?」
「あ、ああ。王家の城やランベリー城は、このリオファネス城とは違う造形で美しいらしいな」
「そうなんだ。行ってみたい」


 兄の手を握りながら笑う私に、兄もまた笑顔で続けてくれた。


「砂漠とか雪の降る町もあるらしいぞ。雪って触ったら水になるんだって、本に書いてた。どんな感じなんだろうな?」
「……兄さん」
「?」
「兄さん。これからもずっとそばにいてね」
「……? 当たり前じゃないか」
「うん……それでも約束して。そうじゃないと私……」
「……約束するよ、ラファ」


 兄が私を抱きしめ、そして囁いた。


「お前はオレが守る。どんな怖いことがあっても、ずっとそばにいるよ」
「……ありがとう、兄さん。平和になったら、きっと自由になれるよね」






 しかし、耐えようとした日々は長く続かなかった。


 ある日の夜だった。バリンテン大公の元に来客があり、応接室で話していた。
 扉が少し開いていた。
 私はどんなお客さんが来たのか気になって、開いた扉の隙間からそっと中をうかがった。


「……!」


 信じられなかった。
 中で大公殿下と話をしていたのは、忘れもしない、村を焼いたという3人組の男達の中で、唯一逃げ出した男――その男は、大公殿下から金を受け取っていた。


「いいか、これで最後だ。次に来たときは貴様の命はないと思え」
「ああそうするよ。ところであのガキどもは元気かい?」
「ああ。だからこそもう来るなと言っている。妹はとにかく、兄の方は貴様の顔もしっかり覚えているだろうからな」
「それにしてもアンタは本当に王家の風上にも置けないヤツだな。秘術欲しさに俺達に村を焼かせて、ラッキーにも生き残った継承者のガキを引き取って親みたいなツラして手に入れるんだからよ」
「あの兄妹が生き残ったのは偶然だよ……単に私は、鴎国にあの術が伝わるのを防ぎたかっただけだ。だがいい術だ……あの術は我々の国にない術。あの二人もいい暗殺者へと育ってくれるだろう……」
「……まあいいさ。あの時は殺されたと思ったが、ツレも生きてたしな。金も十分もらったし、墓場までこのことは持って行ってやるさ」
「……」



「……う、うそ……」


 私は声が出ないようとっさに自らの口を手でふさぎ、静かに立ち去り、そして屋上へと走った。
 そして眠ることなく、私は屋上で、先程の会話と、今までのことを考え続けていた。
 私達の村を焼いた黒幕はバリンテン大公?
 そして何も知らない私と兄をバリンテン大公は暗殺者にしようとしている?


 言われて見れば、確かに私達はすでに、戦場へ送られているし人を殺したことだってある。
 大公は「これも平和な世の中のためだ」「平和になれば人を殺すこともないところに二人で暮らせるようにしよう」と言っていたから、信じていた。
 だから私は、大公が私の身体を弄ぶことだって許してきた。
 父親のように慕っていた。


 なのに――!!!



 屋上で私は一人、暗くなったばかりの空を見ていた。
 兄は任務で出てしまっている。でも、兄に伝えなければ……バリンテン大公が私達を騙しているということを。
 でもどうやって?
 兄は私以上にバリンテン大公のことを慕っている。信じてもらえるかどうか。
 それに、ここで帰って来た兄に伝えたらどうなるんだろう……きっと私がバリンテン大公の言葉を聞いたように、誰かが私達の会話を聞いてしまったら。
 二人で逃げ出すのも、村のみんなのかたき討ちをするのも、このリオファネス城では無理だ。


(今私がここから一人で出れば、きっと兄さんが私を連れ戻しに来る……そうすれば)


 一人でここから出るのは初めて。
 村を出た時も戦場に出た時も怖かったけど、兄がそばにいてくれたから、大丈夫だった。
 私一人で逃げられるかな……怖いな……


(……怖くない、怖くない。どんな夜だって、きっと明けるわ……!)


 


 私は意を決して、闇に包まれた屋上を去り、そして警備の目をかいくぐって城から出た。
 兄はオーボンヌ修道院へ行ったと聞いている。ならば私もそこへ向かえば、道中できっと兄と出会えるはずだ。





 そして城から出た数日後、私の思惑どおりに兄が私を連れ戻しに来た。
 城塞都市まで逃げたところで兄に会い、事情を話した。
 だが、兄は信じてくれなかった。「何故大公殿下への恩を裏切るのか」と……


「違うのよ兄さん。話を聞いて。私達は人殺しの道具なんかじゃないのよ! それに兄さんだって知ってるんでしょう。あいつは……」


 だが、そんな時だった。


「おいマラーク! 異端者ラムザが来たぞ!」
「ちっ……こんな時に」


 兄の仲間が指した先にいる、異端者と呼ばれる兄と同じくらいの年齢の男のもとへ私は駆け出し、叫んだ。
 今思えば何故彼――ラムザに助けを求めたのか分からないけど、ただ、彼は私達を救ってくれる……そんな気がした。



「助けて!」




 そのあと、ラムザの妹を人質にした兄によって、私もまたラムザと一緒に再びリオファネス城へ行くこととなった。
 そして色々あって、屋上に向かって逃げ出すバリンテン大公を見つけた私は、それを追って屋上で剣を構えた。
 城に入った時はまだ明るかった空はもう日が落ちてかなり経っていた。


 終わってみて思い返してみれば、きっと空は晴れていたのだろう。
 それでも相手の顔が見えたということは、もう明け方だったのだろうか……だがこの時は月も星も私には見えていなかった。


「殺してやる! よくも私の父さん母さんを……村のみんなを! これは正当な復讐だ!!!!」
「お前にそれができるか……? できないだろう?」


 銃口を私に向けるバリンテン大公の言葉通り、私の手は震えていた。
 思い出すのは嫌なことばかりのはずなのに。


「何故殺せないか教えてやろう。身体が覚えているのだ……恐怖をな」
「……っ」
「だが安心しろ……次第に恐怖が恐怖でなくなるよ……」
「待て! ……その話は本当なのか!」


 躊躇したまま動けない私の後ろから、兄の声がした。


「今の話は本当なのか……?」
「お前まで私に歯向かおうというのか! なんという恩知らずな兄妹なのだ!!!」
「!」


 バリンテン大公の銃口が兄に向いた時、今まで震えていた身体に一気に力が入るのが分かった。
 私は「殺してやる」と叫び、バリンテン大公に向かって一歩踏み出そうとした。
 だが……



「やめろ! ラファ!!!」


 私の前に兄が立ちふさがり、銃声が鳴った。そして兄が私の目の前で倒れた。
 私は剣を捨てて兄の前に座り込み、その身体を揺さぶったが兄は全く動かなかった。
 血が、兄の下から屋上の屋根に流れていく。


「兄さん! しっかりして! 兄さん!!!」
「ラファ! マラーク!」
「……異端者ラムザか。さあラファ! 兄を助けたければマラークが持っている聖石をこちらへ渡すのだ!」


 ラムザが来たことで舌打ちしたバリンテン大公が、私に向かってもう一度銃口を向けながら、もう片方の手を差し出した。
 兄の持っていた道具袋をあけると、2つのクリスタルが中に入っていた。これが聖石……?


「そうだ、早くしろ! ……!!?」


 しかし、ここで信じられないことが起きた。
 バリンテン大公の背後から、その背後には下から登ってくる階段もないのに、一人の若い女性が音もなくやってきて、バリンテン大公の首を片手でつかみ、持ち上げたのだ。


「……!?」


 その女性は、軽々とバリンテン大公を屋根から放り投げた。
 バリンテン大公の断末魔が、城の下へと消えていった。
 


 私は、ただ立ち尽くすしかできなかった。
 あの男が死んだ。あの憎くて憎くて、なのに憎みきれなかったあの男が――なのに、私はその光景をまるで対岸の火事のように見るしかできなかった。
 きっと頭の中で、その状況が理解できなかったんだと思う。
 私の人生で、兄とあの男の存在はあまりにも大きすぎた。その2人が両方私の前からいなくなった……分かっているのに、理解しきれていない。


「さあ、その聖石をこちらに。素直に渡せば手荒な真似はしない。私はヴォルマルフとは違って、無駄な血を流したくないのだよ……」
「ラファ! あいつらは人間じゃない! 聖石を渡してはいけない!」
「……!」


 ラムザの声に、思考が止まりかけていた私の意識が再び動き出した。
 そうだ、よく分からないけれど……あの男を殺した女性と、彼女達を従えている男性は、ラムザにとっての敵のようだ。
 ラムザは行きずりの私にも優しくしてくれた。彼は自ら異端者の汚名をかぶっても、目の前の困っている人を放っておけない優しい人。
 その彼が敵だと言うのだ。
 それに……聖石を差し出すよう微笑む男性も、近くで刀を両手に持ったまま笑っている女性も、見た目は優しそうで美しいが、どこか背筋の凍る美しさだと思った。まるで人間じゃないような……
 人間じゃなければ何なのかは分からないが、きっとラムザの言う事は正しい。
 そう。兄が持っていたこの聖石をこの人達に渡してはいけない……無事にラムザのもとへ。


「……仕方がない。手荒な真似はしたくなかったのだが。セリア、レディ、いくぞ……聖石はその娘が持っている」


(兄さん……!)


 倒れたままの兄が少し気がかりだったが、静かに刀を抜き不敵に微笑んだ男に、私は再び武器を構えた。






 そして今に至る。
 バリンテン大公を殺し、私に襲い掛かった3人を退け、残ったのは、私とラムザ、そして動かない兄だけとなった。
 かつてないほどに長かった夜でも、明けようとしている。


「……兄さん、ほら、夜が明けたよ」


「よくここでこうして話をしていたよね」


「……私ね、あいつのこと本当に憎かったけど、やっぱり少し感謝してたのかもしれない。だからすぐに殺せなかったんだと思う」


「だってこんなに世界が広いんだってわかったんだもの。この朝日の向こうには何があるのかな……旅行、したかったな」


 朝は好き。
 どんなにつらいことがあっても、明けない夜はない。希望の時間。
 でも、今は――


「兄さん、何か言ってよねえ……!」


 朝日は、私の「怖い」と思う気持ちすら消してしまうほどにいつも輝いていた。
 それはきっと、そばに兄がいたからだろう。マラーク兄さんが幸せなら、どんな怖い事だって耐えられる、そんな気がしていた。
 なのに、兄はこの朝日を見ようと目を開けてくれない。
 ずっと一緒にいたかった兄も、憎むべき相手ももういない……私はどうしたらいいの?


「目を開けてよ……」


 涙があふれた。
 兄の手を握る。どんな時も兄が私の手を握ってくれたから怖くても我慢できた。あたたかい手。
 もう冷たくなってしまった手は、私の手を握り返してはくれなかった。



「兄さん……!」


 その時だった。
 私が持っていた赤いクリスタルが輝いた。
 私はクリスタルを見つめた。私の言葉に同意してくれている……そんな気がした。


「まさか……ラファの心に反応しているのか? マラークの死を悲しむ心……」


 ずっと私達の様子を黙って見ていたラムザの声が聞こえたが、私は淡く輝き続けるクリスタルの光に引き込まれていた。
 言葉として何か聞こえてきたわけではないけど、その光はどこか優しく、そして同時に兄は死んだんだ――そう認めるしかないんだと思った。


「お前も悲しんでくれるの? ……ありがとう」


 私の涙がクリスタルに落ちた。
 同時に、クリスタルが一層に輝き、そして兄にその光が集まった。


「え?」


「……う、ううっ……」
「……!」
「にい、さん?」


 光が消えると、今まで動かず冷たくなっていた兄がゆっくり起き上がった。


「俺は一体……確かバリンテン大公に撃たれて……ラファ?」
「兄さん……!」


 これは奇跡なの?
 私はラムザに視線を移したが、ラムザも良く分からないという様子で、首を横に振った。


「……兄さん!」
「うわっ!」


 私は兄に飛びついた。そして泣きじゃくった。


「兄さん、兄さん!」
「ど、どうしたんだよ。痛いよラファ……あはははは」
「だって、だって……!」


 日はまた昇った。
 私はただ兄と再び同じ朝日が見られたことだけを喜び、かつてないくらいに大声で泣き続けた。





――声が聞こえたんだ。聞いたことない声だった……正しき心を持つ者の元へ戻れ。その声はそう言っていた。


――声?


――ああ。聖石も誰が作ったものかは知らないが……使う側の問題なのかもしれないな。





「私達も妹さんを助けるのを手伝うわ」
「ラファ……」
「だってあなたは私達を救ってくれたんだもの……今度は私達があなたを助ける番」


 ラムザの他の仲間たちと合流したあと、私達はラムザに同行を申し出た。


「でも……せっかく自由になれたのに。僕は異端者、同行すれば君達も……それに今なら静かに暮らすこともできる」
「お前はオレ達の恩人だ。それにこんなことになったのはオレにも責任はある……償わせてほしい。自分の身とラファのことはオレが守る。足手まといにはならない」
「マラーク……」
「お前にも同じように妹がいるなら、せめて同じように再会して欲しいと思うのは当然だろ?」
「……分かった。ありがとう、二人とも」



 こうして私達はラムザと共にリオファネス城を出発した。
 日はすっかりのぼり、大地を強く、そしてあたたかく照らしていた。
 この先太陽の向こうには何が見えるんだろうか……まったく怖くないといえば嘘になるけど。


 そう思っていると、兄が私の手を握ってくれた。
 兄が隣にいる……だから怖くない。
 私は兄の手を引き、そして新しい土地へ向かう道へと駈け出した。





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あとがき

ラファとマラークの過去話。セリフ集読み返してみたらちょっと矛盾感あるんだけど、そこは目を瞑ってください。

バリンテン大公に色んな下心があったのは間違いないけど、それでもラファ達からすればその時の命の恩人だと感じたのは間違いではないし、ラファは優しい子なので、みんなのカタキで諸悪の根源だと分かってても、父親として慕っていた心を捨てられず、剣を向けた時に戸惑ってしまったんだと思ってる。バンテリンは「身体が恐怖を覚えているのだ」と言ってるけど。

ラファってラムザが異端者であることを知っているのに「あなたは目の前の不正を放っておけない人」とラムザの本質を見抜いてて、聖石から奇跡を引き出した数少ない人物なので、本当に純粋な女の子なんだろうと思ってる。対してマラークは、勇敢でちょっと自信家なタイプなゆえに、鈍感なんじゃないかなと思う。

 

 

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