理想と現実の狭間で

――我々の投じた小石は小さな波紋しか起こせぬかもしれんがそれは確実に大きな波となろう。たとえ、ここで朽ち果てようともな!


――ただでは死なぬ。一人でも多くの貴族を道連れに!


――ここは私がくい止める! ゴラグロス、お前はジークデン砦を目指せ!


 オレが憧れ続けた男は、こんな時でも憧れの男のままだった。
 オレはこの男のように多くの人の心を変え、貴族に一矢報いたいと思って、貧しい農村で畑を耕す両親の制止も聞かずに騎士を目指した。


 敗走、戦死――いなくなっていく同士達。
 裏切り、略奪――目先の利益に捉われ過去の自分の理想を踏みにじる仲間達。


 気づけば残っているのは、高潔な理想を掲げたまま変わろうとしない男――ウィーグラフと、オレを含めた数少ない人間だけとなっていた。
 その残っている者も、皆身体も心も追い込まれ、疲れきっていた。ジーグデン砦にはまだ仲間がいるとウィーグラフは言うが、あのミルウーダですら死んでしまったという現状で、その仲間達が生きている保証などあるわけがない。
 オレを置いてウィーグラフと共に戦いに出た女達は、ウィーグラフに心酔した信者のような人間だ。ウィーグラフが望まなくても、ウィーグラフのためなら喜んで死ぬだろう。
 だがオレは……


「こんなところで……死んでたまるか!」


 オレは軽く縛られた状態でうずくまっている少女の縄を解き、強引に立たせて、ミルウーダを倒したという小隊から先に逃げるべく風車小屋を後にした。





「……もうすぐジーグデン砦だ。ここからは徒歩で行く」


 ジーグデン砦の付近は雪道であり、白い景色にチョコボの姿は目立ってしまう。そのため走らせていたチョコボから少女を降ろした俺は、その場で倒れそうな少女の手を取って歩かせようとした。
 だが、少女は長い人質生活で完全に弱り切っており、自力で歩こうにもすぐに地面に膝を落としてしまう。


「……少しだけだ。少し休んだら無理矢理でも歩いてもらうぞ」


 オレは身を隠す場所を求めて茂みの中に少女を座らせた。


「腹が減ったろう。貴族の口にはあわないかもしれないが……」


 オレはほとんど空に近い道具袋から、乾いたパンを出し少女に差し出した。
 持っている最後の食糧だった。だが、少女は虚ろな目のまま小さく首を横に振るだけで、手を伸ばそうとする仕草ひとつもしなかった。


 この少女は、人質だ。
 人質とは言っても、オレは決してギュスタヴのように目先の金に目がくらんで誘拐したわけではない。オレはそこまで落ちぶれていないつもりだったし、犯罪者となるつもりもない。
 だが、今のオレが生き残るには、この少女を人質として連れまわす必要があった。
 何故ならこの少女はベオルブの令嬢。オレ達を追い込む北天騎士団で最も力のある名家の人間なのだ。
 一週間と少し前。ベオルブを倒せば勝てるかもしれないと思いオレはベオルブ邸を襲撃し、ダイスダーグに手傷を与えることに成功したが、北天騎士団団長のザルバッグによって阻まれ、ダイスダーグも仕留めそこない、なんとか逃げ出したがザルバッグらは執拗にオレ達を追い込もうとしている。
 だから彼女が必要なのだ。さすがに実の妹が交換条件ならば、オレのようななんでもない男ひとりくらいは逃がしてくれると思った。



 少女は心身ともに疲れきっており、最初は抵抗も見せていたがここ数日はほとんど言葉も発さず、食べ物も口にしなくなっていた。
 だが、オレもまたこの数日ロクな食事もしておらず、断られたパンを一口かじってはみるが、喉が受け付けず吐き出しそうになる。オレはなんとかパンを飲み込み、そして水の入った革袋を出してもう一度少女に言った。


「ここで死ぬつもりか。お前だって死にたくないだろ? 食欲がないのかもしれないが、せめて水くらいは」


 少女は再び首を横に振るだけだった。
 こんなにも弱り切った状態で水すら飲まないのは、明らかに自殺行為だ――オレは少女の顎を強引にあげた。


「頼むよ。飲めって……! 生きたいって……言えよ!」


 そのまま水の袋を彼女の口に押し付け、強引に水を飲ませた。しかし少女の喉に水が通ることはなく、彼女は激しく咳きこんだ。


「あ……す、すまない」


 咄嗟にオレは少女に謝罪の言葉を口にした。そして同時に、自分の心にわずかな理性が戻るのを感じた。
 オレももう限界に近い状態だったが、戻った理性は彼女に謝罪の言葉を述べていた。


「……悪いことをしたよ。本当はある程度まで逃げれば、解放してやるつもりだったのに」


 ふと、ウィーグラフに風車小屋で言われた言葉を思い出した。ジーグデン砦へ行き、他の仲間と合流し立て直す――それがウィーグラフの算段だった。そのためにこの娘は必要ない、置いて行けとも言われていた。ウィーグラフは誇り高い騎士の中の騎士であり、人質なんてギュスタヴのような卑劣な行為を嫌っていた。


(ああ、こんなことならウィーグラフの言う通り、彼女を解放すればよかったんだ)


 オレはギュスタヴ側の人間になろうとしている。生きるために憎き貴族とはいえ直接は何の罪のない少女を死なせようとしている。
 ウィーグラフの理想に賛同した、骸騎士団の誇り高き戦士を目指したオレはもうここにはいないのか。


(今からでも遅くないぞゴラグロス。彼女をここに置いていけば、ウィーグラフも北天騎士団も許してくれるかもしれない……そうだ、彼女を連れているから北天騎士団が追ってくるのかもしれないじゃないか)


 オレは自分の心にたいしてそう言い聞かせようとしたが、オレはつい、うずくまるだけの少女の額に手を置いてしまった。大分熱がある。呼吸も小さく荒い。
 空を見上げると、いつの間にか雪が舞い始めていた。


「……あと少しの辛抱だ。ジーグデン砦に着いたら休ませてやるから……だからもう少しだけ我慢してくれ」


 こんなことをしても、許されるどころか、罪を重ねてしまうだけなのに。
 オレはウィーグラフのように強くもなければ、ギュスタヴのように非情でもなかった。
 オレは少女――そういえば名前も聞いてない――を背負い、重い足取りでジーグデン砦を目指していた。




「あ……ああっ……!」


 ジーグデン砦に着いた俺は、中に入り少女を背負ったまま膝から崩れ落ちた。
 中にはウィーグラフの言う通り、多くの火薬や武器が残っていた。
 だが、そこを守っていた仲間達は、飢えと寒さに耐えきれずすでに物言わぬ死体となっていた。
 オレが力を失ったことで、支えをなくした少女の身体がオレの背からずり落ちて地面に倒れこむ。
 少女はまだ生きているようだったが、倒れたまま動かない。


 同時に、外が騒がしくなるのを感じた。
 オレは砦の中から窓を覗き込む。北天騎士団の本隊――ザルバッグの姿が見えた。


「くっ……クソ!」


 再び理性が消える。オレは瀕死の少女に手を伸ばした。





「さっさとここを立ち去るんだッ! この娘がどうなってもいいのかッ!」


 オレは少女の両手を彼女の背に回した上で掴み、彼女を盾にするようにしてザルバッグに向かって叫んだ。


「おかしなマネはするなよ! この砦の中には火薬がごまんと積まれているんだ……! おまえたち全員を吹き飛ばすだけの量はたっぷりあるんだぞッ! わかったら、さっさと行けッ!」


 包囲された現状で、もうこれしかオレが生き残る手段は残されていなかった。


「ティータ!!!」


 ザルバッグとは別の方向から、男の声がした。その声に、完全に光を失い、死の気配しか感じなかった少女の顔が上がった。


「兄さん……ディリータ兄さん!」
「……! い、妹の命が惜しいなら! さっさと去れッ!」


 水すら口にできなかった少女が下にいる一人の男に手を伸ばしたのを見てオレは一瞬戸惑ったが、オレは少女を掴む手に力を込めて叫んだ。


 だが――



 構わん、やれ――ザルバッグの言葉と共に、兵士の一人がボウガンを俺達に向けた。
 その躊躇いのない矢は、あろうことか少女の胸を貫いた。


「……なっ」


 少女の足から再び力が抜ける。涙と共に、瞳から光が消えた。紫色のドレスの胸元から赤い血がにじみ出る――近くにいたから分かった。これは致命傷だ。


「な、なんのつもりだ?」


 誇り高さを自慢する貴族が、自分の家族、しかも何の力も持たない少女を真っ先に手にかけた――オレは大きく動揺してしまった。


 その動揺の隙を突かれ、少女を撃ちぬいた男は次にオレを射抜いた。
 腹部に直撃を受けたオレはその場にうずくまり、そして倒れたまま動かない少女を見たまま砦の中へ這って逃げた。




 オレは自分の腹から血が流れ続けるのを見ながら、砦の中に積まれた火薬を見上げた。
 もう助からない。少女も、オレも――だが何故相手は少女を先に、何のためらいもなく殺したのか。


(ディリータ……あの子、そう言えば兄の事をそう呼んでいた……)


 憎き敵、ベオルブの人間の名前は良く知っている。長兄のダイスダーグ、次兄のザルバッグ、三男のラムザ――ディリータという名を、オレは知らない。


(まさかあの子は……ベオルブの人間ではなかったのか?)


 オレのそんな疑問に答えるかのように、外から何やら争う声が聞こえた。
 その声によると、ティータ――オレが連れてきた少女は、やはりベオルブの令嬢ではなかったらしい。平民出身の少女だった。
 重すぎる罪の意識に苛まれ、オレは頭を抱えた。


(ああ、オレは……オレは騎士を目指していたのに……罪もないどころか、オレ達と同じく苦しんでいた女の子を死に追いやってしまったのか……!)



 オレはなんと弱い人間なのだろう。
 ウィーグラフに憧れておきながら最後までついていくこともできず、ギュスタヴを軽蔑しておきながら彼と変わらないどころかそれ以上の罪を犯してしまっていたとは。


(ウィーグラフ……みんな……すまない)


 傍らにいるのは、すでに事切れたかつての骸騎士団の同志達。
 彼らはオレやウィーグラフが合流するのを、雪の中、食料もない中で、信じて待っていたに違いない。
 あの時ウィーグラフの言葉に従ってティータという少女を解放していれば、オレはまっすぐここへたどり着き生きた仲間と会えたかもしれない。少女も仲間達も、オレの中途半端な行動によって殺されたようなものだ――そう思うと、悔やんでも悔やみきれなかった。


(一人でも……多くの貴族を道連れに!)


 オレは砦の中に積まれた火薬に手をかけ、独学で学んだ黒魔法の詠唱を始めた。


 オレがここへ逃げ込んだのも知っているはずなのに追撃が来ない。外で何かあったのかもしれない。それならば、今のうちに逃げることも不可能ではないはずだ。
 だがオレは、詠唱をやめなかった。
 今のオレを支配しているのは、憧れ続けた男の理想だった。


(オレがここで朽ち果てようとも……オレの炎はこの砦を焼き尽くし、骸騎士団の爪痕として小さな波紋を引き起こす……!)


 ウィーグラフは今頃どうしているのだろうか。生きているのか、すでにあの世へいってしまったのか――分からなかったが、オレはウィーグラフの魂がまだ人々の心を動かせることを信じた。
 オレはウィーグラフのような力も理想もない弱い人間だが、今後焼け落ちたこの砦を見るたびに、通りがかった貴族がオレ達骸騎士団のことを思い出して震え、いつかウィーグラフのような平民が通りがかって革命の炎を抱いてくれれば。誰かの心に燃え尽きた砦の光景が永遠に焼き付かれるならば。


(ティータ……許してくれなんて言えないが……せめて君が天国に行けることを願う)


 オレ自身が放った炎により爆発した火薬は、最初にオレ自身の命を奪った。
 死の間際に振り返ったティータの身体は床の血の海の上にはなく何者かに抱きかかえられており、それはまるで天に祝福され昇って行くように見え、オレは少しだけ安心した。

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あとがき

ゴラグロスは自分達のことを「骸騎士団」と言っているので、ミルウーダと同じくウィーグラフの理想を信じた同志だったんだと思うけど、ウィーグラフのように高潔になれず、ミルウーダほど強くもなく、かと言ってギュスタヴほど開き直れない、普通の人(根は善人)だったんじゃないかなと思って書きました。ティータのことも解放できないくせに、貴族の娘なんてと暴力に走るような真似もできず、そんな彼の中途半端さがジーグデン砦に至ったんだと思います。

最期は「多くの貴族を道連れに」というウィーグラフの理想に殉じたところも含めて、ゴラグロスがどういう人か気になります。

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