忠誠のキスと、祝福のキス

 

 初めて見た時、「何て綺麗な人なんだろう」と同性ながらに思った。
 貴族の中の貴族として、騎士として、一切の隙を感じさせない堂々とした立ち振る舞いと、自信に満ち、強さと威厳を周囲に知らしめる表情。
 畏国では類稀な銀の髪は太陽にも月にも映え、特注で作らせているのだろう黒い衣装と真紅のマントが、それを一層に引き立たせていた。普段は貴族を悪く思うような卑しい平民たちも、この人が前に出れば跪きその一挙一動に見惚れているのは、同じくこの人を目で追っていたオレにはよく分かった。
 どうすればこの人、エルムドア侯爵のように皆に尊敬され美しくなれるのか――少しでも近づきたくて、オレは雑用でも何でもするからと、ガリオンヌへ赴く近衛部隊に必死で志願し、奇跡的に見習いとしての同行を許された。

「まずはこうして救出してくれたこと、感謝する」

 それから時が経ち、オレはエルムドア侯爵に呼び出され、一対一で話す機会が設けられた。
 本当なら手放しで喜びたいところだったが、その背景は決して喜んでいいものじゃなかった。エルムドア侯爵は骸旅団の賊に誘拐され、近衛騎士団はオレを除いた全員が死亡する惨事だった。一行が襲われた当時、オレは雑用係として、水の調達を命じられ川へと向かっていた。騒がしいと思い戻った頃には全てが終わっており、賊の会話によって侯爵が誘拐されたのだと知った。あのあとラムザ達が偶然通らなければ、オレもきっと殺されていたのだろう。
 エルムドア侯爵は大きな怪我もなく北天騎士団に保護されたが、長い拘束により衰弱しており、イグーロスに戻り数日した今も、用意された部屋で床に臥せっていた。「話すのに寝たままでは失礼だ」と起き上がってオレと話をしているが、元々色白いその顔色は優れない。

「……自分は何も出来ませんでした。感謝されるなど」
「君が北天騎士団に頭を下げ、そしてベオルブの者を連れて救出へ向かってくれたことはザルバッグ卿から聞いている。何よりも……たった一人でも護衛に生き残りがいてくれたことは、主としてこれ以上にない救いになる」
「……そんな」

 賊の退治にしても結局は骸旅団の仲間割れによるものでオレはほとんど何もしていなかったようなものだったが、目を細め「ありがとう」と微笑んだ侯爵に、オレの胸は高鳴った。

「正式な報奨は戻ってから与える。ご両親には良い報告をするといい」
「あ、有難き幸せ……」
「もう一週間もあればランベリーから迎えの兵が来るだろう。それまでは我慢して欲しい……大丈夫、もしも生き残った君に疑惑を与えるような者がいれば、私が君を守るよ」

 我慢――エルムドア侯爵の言葉に、オレは目を伏せた。こうしてオレも客人としての待遇を受けているが、北天騎士団の兵が侯爵を守れなかったランベリー近衛騎士のことを「所詮は田舎の兵だ」と悪く言っているのはオレ自身の耳にも入ることだった。中には長く賊に捕われていた侯爵自身を辱めるような話もあり、それが聞こえた時はさすがに殴りかかってやろうかと思ったが、隣にいたラムザ達によって止められた。おかげで、オレなんかがケンカでも売っても、侯爵の立場がさらに悪くなるだけのことだと、卑屈ではあるが冷静さを取り戻すことが出来た。
 そしてそう言った話は、侯爵の元にも届いているのだろう。

(クソッ……なんでオレはこんなに無力なんだ!)

 目の前で立った状態で拳を握るオレを、エルムドア侯爵は静かに見上げていた。その表情は少し不安そうで弱々しく見えて、それがオレの心をさらに煽った。
 民衆の前で自信と威厳に満ち、美しく立ち振る舞う憧れの人に、こんな顔をさせているのかと思うと自分が許せなくなりそうだった。見返して、認めさせたい。オレの家を見下す故郷の貴族も、身分が低いクセに集団になって家の悪口を言う平民も、憧れた人をこんな目に合わせた賊も、オレ達の騎士団を見えるところで馬鹿にする北天騎士団も、そしてオレよりもずっと辛い目にあっているのにそれでもオレを「守る」と言ってくれるこの人も。
 そんな渦巻く感情が溢れ、オレはベッドの前で膝をつき、侯爵を見上げた。

「侯爵様。どうか自分にチャンスを……ランベリーを、貴方を悪く言う北天騎士団を見返すためにも、自分に骸旅団殲滅の功をあげる許可をお与えください」
「……アルガス」
「そして自分の功績と勝利を、貴方に」

 そう言ってオレはベッドに置かれたエルムドア侯爵の右手を取る。手首に残る拘束の跡が痛々しく、それに気づかないフリをして目を閉じてから手の甲に口付けた。低めの体温が唇を通して伝わり、そのせいか、自分の身体の熱を感じた。

 顔を離しそっと目を開けると、驚いたように切れ長の目をわずかに見開かせるエルムドア侯爵と目が合い、同時にオレは自分のしたことの無礼さに気付いた。

「あっ……そ、その……す、すみません!」

 慌ててオレは侯爵から手を離し、立ち上がって身体ごと頭を下げた。本来ならば女性にするような行為を、男性の、しかも自分よりもずっと武人としても上位にある人に許可もなくやってしまった。見習い兵ごときがやっていいわけがなく、恥ずかしさも相まって冷や汗が流れた。汗は冷たく感じるのに、心臓はバクバクと熱く主張している。

「顔を上げよ、アルガス……その気持ち、素直に嬉しく受け取ろう」
「侯爵様……」
「だが無理はしないで欲しい。先程も言ったように、君がここにいることは我が救いでもあるのだから。この身が癒えた時には、共にランベリーに帰ろう」

 子供をあやすような優しい声で微笑んだ侯爵を見て、オレは思った。家のためとか自分のため以上に、この人のために功をあげたい――と。ただ綺麗な人だと憧れていた人に、子供としてではなく大人として見てもらいたい。
 初めて抱いた忠誠心は、まるで炎のようにオレの心を熱くさせた。

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 私はザルバッグ卿に案内されたイグーロス城の離れにある小部屋で、中心に置かれた一つの棺を静かに開け、小さく息をついた。

「……申し訳ございません。お借りした兵をこうして犠牲にしてしまったこと、北天騎士団の長としてお詫び申し上げます」
「……ザルバッグ殿のせいではない」

 棺の中で目を閉じたままの金髪の少年を見たまま、私は謝罪の言葉を述べるザルバッグに答えた。

「どうされますか。先日犠牲になった近衛兵同様、こちらで葬儀を手配することもできますが」
「迎えと共にランベリーに連れ帰る。悪いが、そのように手配して欲しい」

 私の言葉に、ザルバッグは少し意外そうな表情を返した。当然だろう。将軍や側近でもない雑兵の遺体を持ち帰るなど普通はしないことだ。私自身も、戦場で共に戦った兵の遺体を捨てることは何度も経験することだった。だが、ここにある少年――アルガスの遺体をそのように扱う気には、どうしてもなれなかった。

「彼はまだ子供だ。せめてご両親のもとに返すのが大人の務めだろう」
「かしこまりました。では腐敗しないための措置を手配しましょう」
「感謝する」

 私の返答に、ザルバッグは無言で敬礼し、部屋を出た。
 一人残されたのを確認し、私は棺に手をかけ、そこに眠るアルガスの顔を覗き込んだ。まだあどけなさも残る少年の顔は人形のように白く、ついこの間、真剣に功績を自分に捧げると告げた瞳は永遠に閉じられた瞼の奥にあり見ることすら叶わない。

「……無理はするなと、言ったではないか」

 ここに来る前にザルバッグから聞いた話によると、ジーグデン砦に残された骸旅団の賊によって斬られ、雪の降る中息を引き取っていたと言う。こうやって棺に入れられる前、彼がイグーロスに運ばれた時に見たその刀傷は凄惨で「彼は最期まで誇り高く戦ったのか」と尋ねた時のザルバッグの苦い表情から、あまり彼はいい死に方をしなかったようだと見て取れた。

(止めることすらできぬとは……無力なものだ)

 この少年が功を焦っていたことはあの時も十分に感じたところだった。
 彼の家柄のこともあえて本人に話すことはなかったが、知っていた。敵から逃げ出した男の息子であると閑職に追いやられ、それでも愚直に自分の責務に忠実だった男のその息子。
 確かに敵に味方を売り逃げ出そうとした彼の祖父は罪深いが、その息子、ましてや孫にあたる少年にまでその罪が及ぶべきものではなく、それでも自分の家の為に功績を求める少年の姿は痛々しくも思った。
 主として、大人として、一人の少年を追い込んだまま死なせてしまったことを、私は今になって悔やんだ。彼だけではない。私が賊に襲われる隙を作ってしまったがために、多くの者を犠牲にしてしまった。

「聖アジョラよ……どうかご加護を。我が罪を赦し、アルガス・サダルファスの肉体と魂を、この手で彼の愛する家族の元へ送り届けられますよう。そして貴方の導きにより、かの魂を至福の地へ導き給え……」

 教会ではないどころか葬儀や礼拝に用いる道具の持ち合わせも一切なかったが、私は両手を組み、目を閉じ、すべての魂を救うと言われる神の使い聖アジョラに対し、心から祈りの言葉を口にした。
 そして暫く祈った後、目を開け物言わぬ身体となってしまったアルガスに顔を近づけ、その額に触れる程度に口付けた。最後に会った時に感じた熱いくらいの体温は氷のように冷たく、この少年はもう大人になれないのだと悟り、心が痛んだ。

「この永遠の少年に、聖なる父の祝福があらんことを」

 私は再度「ファーラム」と祈り、静かに棺を閉じた。

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あとがき

アルガスが獅子戦争でデスナイトになるのについて、ひとつ彼に優しい点があるとしたら「エルムドアに認識されていた」ということだと思うので、アルガスが死んで少し悲しい侯爵様が書きたくて……ちょっとBLに片足が入ってしまいました。Twitterで、アルガスは子供体温だったらいいなってフォロワーさんが呟かれてて、私もいいなと思ったのでそういうイメージです。侯爵様は死ぬ前から体温低そう。

 2018年5月23日 pixiv投稿

 

 

 

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