道すがらの運命

 

「……ひどいな」

 目の前の光景を見て、連れてきた部下の魔道士が、不快そうにローブの胸元を握りながら呟いた。
 先を歩きながら、人間であれば当然の反応だとだけ感じた。
 空を見れば白い雪が舞い、吐く息も白い。それにもかかわらず、地は赤黒い血と煤にまみれ、あたりは死臭の混じった焦げた匂いが充満している。
 これも数日経てば北天騎士団が死体を回収し、燃えていた砦の煙も消えて、臭いも少しづつ消えるのだろう。
 だが未だ砦の煙は燻るように立つその光景は、惨劇がおさまって間もないのだと物語っている。
 私は、その光景に対して特に動揺もないまま、砦に向かって足を進めた。それを見て、魔道士が静かに声をかける。

「ヴォルマルフ様。まだ騎士団の者がいるやもしれません。どうかご慎重に」
「賊と間違われぬよう、身分を隠さず訪れようと言ったのは貴様だろう」
「もちろん。ですが、この状況で生き残っている者がいるとすれば、相当な混乱の中にあるでしょう……敵と味方の区別もつかないほどに」
「私を誰だと思っている。その時は返り討ちにすればいい……貴様こそ、着いてきたからにはその命は自分で守れ」
「承知……」

 そう答えたものの、この惨状に心落ち着かずと言う感じで辺りを見回す様子に、私は息を吐いた。

(やはりローファルに押し付けておくべきだったか……)

 何故私が部下を連れてこんな辺鄙な砦に来たのかと言うと、時は少し遡る。
 私達の目的は、骸騎士団――現骸旅団の頭領、ウィーグラフを我が神殿騎士団に迎え入れることだった。
 エルムドア侯爵の誘拐に失敗し副団長であるギュスタヴを失ったことをきっかけに、骸旅団は北天騎士団によって追い込まれていた。
 彼らが背水の陣として選んだのがこのジークデン砦で、ウィーグラフは未だ生死不明とのことだが、ガリオンヌの中心地と砦の間のどこかにいるだろうと予想された。

 そこで、ガリランドでローファルと二手に分かれることにして、そのままレナリア台地へ向かうローファルとは逆に、こちらは時空魔法を用いてジーグデン砦へ急ぎ今に至るわけだが、おそらくローファルは私が強引な手段を取るかもしれないと考え、交渉役という名の目付け役としてこの男を私に付き添わせたのだろう。
 魔法の腕は確かでガリオンヌのアカデミー出身ゆえに土地勘にも明るいが、戦争経験がほとんどない生粋の魔道士であるために場馴れしていないのが難点だ。

(まあ、これのおかげで誰にも見つかることなくここまで来れたのは事実か……)

 私の"真の目的"をすべて知っている部下はローファルとこの魔道士くらいで、脆弱な人間でも貴重な手駒だ。とは言えこれ以上この男を案じてやる時間は私達にはない。
 倒れている者のほとんどは骸旅団の雑兵のようだったが、いずれ北天騎士団が状況調査に来るだろうことは予想に難くない。
 部下には比較的安全そうなこの辺りを捜索するよう命じ、私は懐から聖石アリエスを取り出した。

「見つければ知らせろ。遺体でも構わん……目論見通りであれば、この聖石があれば甦るはずだ」
「はっ……」


 一人になり砦の下まで急いでみると、そこは道中よりも酷い状況だった。まだ煙が辺りを包み、人間のままであればこの空気の悪さにむせ返るであろう惨状だ。
 砦に大量の火薬が積まれていて誰かが点火したのだと思われるが、ただ爆破されただけでなく、その前後に争いもあったらしい。北天騎士団と思われる遺体も複数転がっていた。
 ふと足元を見ると、まだ若い金髪の男が倒れていた。雪が血に染まっており、すでに事切れていることが分かる。だが、私にとってはどうでも良かった。

(このような子供にウィーグラフが遅れを取るとは思えん……逃走したか、もしくはここに着く前に……)

 そうなればもうここは用済みだ――私は踵を返し、その場から立ち去ろうとした。
 だが、背を向けた時にわずかにガレキの動く音がして、私は立ち止まった。

「誰かいるのか」

 ウィーグラフであれば、という一抹の期待もあって振り向くと、ひとつの男の影が、瓦礫の中からむくりと現れた。
 煤と血に汚れた、"ヴォルマルフの息子"と同じくらいの歳の頃の、みずぼらしい茶髪の男だった。
 男は虚ろな瞳で近づいたが、足元がおぼつかず、縋るように私の前で両膝をついた。

「頼む……ィータを……助け……て、くれ」
「……それは貴様の抱えている"モノ"のことか?」

 私は、男が大切そうに横抱きしている煤の塊を顎で指して尋ねた。おそらく人間の遺体であろうことは何となく察したが、真っ黒に焦げて男か女かも分からないそれは、もはや人間ではなかった。
 だが、私の言葉に、男の今にも死にそうな虚ろだった瞳に一気に生気が蘇った。

「ティータはモノじゃない……! 言い直せッ……う、うぅ……」
「それは悪かった。謝ろう」

 男は痛みで少し冷静になったのか、"ティータ"と呼んだ遺体を静かに雪の上に下ろし、顔を上げて私と目を合わせた。

「……その制服、教会の人間か? 何故こんなところに……いや、今はそれどころじゃない。ティータを助けてくれ……頼む」

 どうやらこの男は少なからず教養があるらしい。よく見てみれば、みずぼらしく汚れているが、手入れの行き届いた鎧を着ており、骸旅団ではなく北天騎士団側の人間なのだろうと見て取れた。

「それは無理な相談だ。理由は貴様が一番よく分かるだろう」
「でも……ティータが、オレを助けてくれた……」
「悪いが、私は貴様の相手をしている暇などないのだ。早くイグーロスに帰るのだな」
「それはできない……オレはもう、あそこには戻らない。ティータを殺した、あいつらの元には!」

 男の瞳に、強い憎しみがにじむ。ただ大切な者を殺された憎しみだけではない、根深くすべてを焼き尽くしてしまうような――
 北天騎士団がやってくる前にこんな小僧など放って立ち去りたいところだが、私の中の何かが、この男に強い関心を示したのが分かった。
 その関心に任せて、私は『アリエス』を取り出し、男の前に転がした。

「小僧……これに貴様の願いをぶつけてみろ」
「……?」

 男は一瞬疑うような視線を私に投げかけたが、聖石を受け取り、物思いに耽るように目を閉じた。
 少しの間沈黙が流れ、私は息を吐いた。

(まあ、そう上手くいくものではないか……だが)

 男が聖石に何を願ったのか、私は所持する『レオ』を通して聞いていた。
 どうせティータとやらの復活か、この状況を作り出した者への復讐を願うのだろうと思ってたが、男が願ったことはそのような小さなものではなかった。
 この男の願いは、一人の人間の生死を越えた、果てしないもの――だから私は男に尋ねた。

「小僧。その願いを叶えるために、今までのすべてを捨てることができるか?」
「……なにを」
「単刀直入に言おう……共に来い」

 この男はティータを奪ったこの世の"流れ"そのものを憎んでいた。
 平民を差別するだけで満足する貴族も、逆らったという事実だけに満足し、知恵を振り絞ることのできない平民も、今の自分自身も。誰も知らない間に利用し、利用されるだけの、当たり前の構造――それを壊してしまいたい。それがこの男の願いだった。
 面白い――私は男からウィーグラフを越えるかもしれない"力"を感じ、手を差し伸べた。

「貴様の憎しみは生きるに値する。私と共に来るがいい……」
「……教会に?」
「そうだ。私が貴様を"悪魔"にしてやろう」
「悪魔……? 教会の人間が、オレに悪魔になれと……何故」
「神と悪魔は表裏一体。だが貴様は、神に仕える勇者ではなく、神をも憎む悪魔が相応しい……この世の全てを憎み、変えてみるがいい」
「オレに何をさせるつもりだ。オレは誰かの言いなりには……!」

 警戒心と共に立ち上がろうとした男だったが、すぐに小さくうめき声を出して崩れた。
 もともと生きて話をしていることが不思議なくらいの重傷だったのだから、戦うことなど不可能だった。

「無理をするな。私とて、瀕死で丸腰の子供を斬る趣味はない……断ってもいいぞ。ここで待っていれば、騎士団の者が助けにきてくれよう」
「くっ……」

 男は膝をついたまま、歯がゆそうに両拳を握った。同時に男の中の活力が潰えたのか、頭を下げて苦しそうにティータの遺体に視線を落とし、黙り込む。
 転がしたままの『アリエス』は変わらず反応がない。
 だが、背後から気配を感じ、私は口元を緩めて振り返った。連れてきた魔道士の部下が、若干急いだ様子で駆け寄ってくる。

「ヴォルマルフ様、近くに北天騎士団の小隊が……」
「ちょうどいいところに来た。この小僧を連れてミュロンドに帰れ」
「……は?」

 突然言われ、部下が困惑した様子で男に顔を向けた。

「彼は……?」
「見て分からないか? 拾い物だ……そうだ、まだ名前も聞いていなかったな?」
「オレはディリータ。ディリータ・ハイラル……」
「ディリータよ、良かったな。私がこれを連れていなければ、貴様が生まれ変わり、その願いが世に出る前に、貴様自身がティータと共に逝くところだった……」

 私の言葉を聞いて、部下のほうは何をすべきかおおよそを察したらしい。ディリータの前でかがんで、手をかざした。白魔法の光が、傷ついた男を包み込む。

「オレはまだお前たちに与するなんて……それよりも妹を」
「その者はすでに肉体の死を迎えている……彼女を愛しく思うのなら、聖なる父のもとに旅立てるよう手放すのも、優しさというものだ」
「……う」

 部下の優しいようで冷たい言葉を聞き、ようやくディリータは"ティータの死"を悟ったらしい。一筋の涙を流し、目を閉じた。

「ティー……タ……」

 そのまま、ディリータは眠るように倒れた。

「……死んだのか?」
「おそらく、傷が多少癒えたことで張りつめていた心が緩んだのでしょう」
「そうか。ならばこのままお前に任せるとしよう」
「それは構いませんが……」

 部下がディリータの身体を両手で抱き留めながら、私を見上げて尋ねた。

「何故彼を?」
「分からない……だが、良い拾い物をした。この男は悪魔となりこの世を血で満たし、全てを思いのままにしてしまうやもしれん」
「それはあなたの計画の障害になるかもしれません」
「……私の中で、ヴォルマルフの血が騒いだのだ。かつて戦争の世を憎み、世界の理を変革したいと神殿騎士を志したあの時の……」
「ヴォルマルフ様の……?」

 若く戦場を知らないこの部下は知らないのかもしれないが、五十年戦争の中期から後期にかけての畏国は今以上に醜い惨状だった。
 国を守るという大義は多くの者から良心を奪い、殺人、強奪、強姦――戦争で勝つためならば、それらの小さな蛮行は許されていた。
 それを知った若きヴォルマルフはこの世に"絶望"し、その末にたどり着いたのが信仰の世界だった。

(もっとも、ヴォルマルフは信仰にも裏切られ、悲憤だけを聖石に遺してしまったがな……)

 かつてのヴォルマルフのことを思い出しながら、私は天を仰いだ。
 変わらず小雪が舞い、来たばかりの頃は何も思わなかったが、今はまるでこの惨状を天が嘆いているように見えた。
 ディリータを支えるのは信仰ではないのかもしれないが、それでも、私の中のヴォルマルフは、この男にかつての自分を見たのだろう――そう感じた。

「この男の行く末は、さらなる絶望か、それとも……」
「ヴォルマルフ様?」
「世の絶望を知らぬお前には関係のないことだ……」

 私は再び、部下の腕の中で眠るディリータに視線を向け、部下に命じた。

「とりあえず連れて治療しろ……もちろんミュロンドで暴れるようなら、野に捨てて構わん」
「北天騎士団は十時の方向から来ています……立ち去られるのでしたら、騒ぎにならぬうちに」
「そうしよう。あとは私とローファルに任せるのだな」
「……かしこまりました。どうぞお気をつけて」

 ディリータを抱えたまま時空魔法を唱えて姿を消した部下を見送り、私は残された『アリエス』を拾った。

「安心しろ……もうすぐ始まる"戦争"で、貴様も"良い肉体"と出会うことができよう。今回は諦めるのだな」

 あの男は、我ら神の使徒ではなく、悪魔そのものに自ら生まれ変わる――私は心の中でそう付け加え、惨状が燻るままの砦を後にした。

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あとがき

Twitterのお題箱で「野心を抱くディリータに目をつけたヴォルマルフ」といただき、書かせていただきました。
自力で王にまでなったディリータなら、あのタイミングで聖石目の前にしても、奇跡を願おうと思わなかったイメージです。投函ありがとうございます!

2019年11月25日 pixiv投稿

 

 

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