路地裏のオセロ

 

「あいつ……よくも」

 貿易都市ドーターの路地裏で、クレティアンは座り込んだまま傷む腕を抑えながら舌打ちした。
 何故ここにいるのかと言うと、ローファルがイグーロス城で"取引"をするまでの敵対する異端者一行の足止めと、ランベリーへ行くと告げてミュロンドを飛び出したメリアドールを止めるためだった。
 もっとも、メリアドールは親譲りの行動力で止める前にランベリー城へたどり着いてしまい、真実を見てしまったようだが。

 そしてその結果、裏切ったメリアドールから渾身の剛剣技を受けて、この様だ。

「ああ……本当に腹が立つ」

 しかもあの戦いで魔力を消耗してしまい、何とかその場から逃げることはできたが、自分にケアルもかけられない状況だ。腕だけでなく足もやられており、少しでも体力を消耗しないよう、逃げる際に重い防具は外してきた。この状況で異端者一行に鉢合わせるのは危険だ。特にあの容赦ないメリアドールに会ったら、今度こそ死ぬかもしれない――そう考えると飛行移動で逃げることもできず、彼らがドーターからいなくなる頃まで身を隠している状態だ。
 アカデミーでも主席、神殿騎士団でも一目置かれている自分が、なんでこんな小汚いところに隠れなければならないのか。やはりこの肉体では、為すべき使命を果たせないのか。考えれば考えるほど、苛立ちが抑えられない。

「よう、クレティアン様」
「……!」
「助けに来てやったぜ」

 上からかけられた声に驚いて顔を上げると、一番会いたくない顔が屋根の上からニヤついているのが見えて、クレティアンは相手にも分かるくらいに眉間を寄せて口を強く結んだ。

(よりにもよってこの状況で……!)

 バルク――元機工士で、同じ神殿騎士団幹部。銃を中心とした道具の使い方に長け、テロリスト時代で磨かれた戦術眼に優れた、団長であるヴォルマルフが個人でスカウトした男だ。
 つまり仲間なのだが、クレティアンはこのバルクという男が心から嫌いだった。信仰のかけらもなく、ただ貴族を蹴落として自分が支配する側に立ちたいだけの低俗でクズな男――というのが、クレティアンから見たバルクの印象だった。魔法を道具の一部としか捉えていないことも、育ちの悪さを現すような言葉遣いや仕草なども、全てが合わないと感じていた。

 少しして屋根から下りてこちらに来たバルクに、クレティアンは自分が消耗していることを知られないよう、だが立ち上がることはできず、座ったまま冷静を装って尋ねた。

「何故貴様がここに」
「死んだはずじゃ、ってか?」

 そう。バルクは死んだはずだった。ベッド砂漠で北天騎士団の陣営にモスフングスを散布し、そのあとで異端者一行に見つかり、逃げずに返り討ちにしようとして倒されたのだ。
 だが、そのあと神殿騎士団長であり、聖石の力を得たヴォルマルフがバルクを甦らせた。「戦闘できる駒はあったほうがいい」というのがヴォルマルフの考えで、特にクレティアンも反対などしなかったが、内心面白くないとも思った。

「それは私も知っている……よかったな、死ななくて」
「ローファルがお前のこと心配してたから来てやったんだ。お前こそ死ななくてよかったな」
「……そうか。エーテルはあるか?」

 こんなクズに助けられるなど、というプライドもあったが、それ以上にこの男と長話したくない気持ちが勝り、クレティアンはバルクから視線を反らし、今一番必要としているものを要求した。

「悪い。別の所に身を隠してたお前の部下に配りきっちまった」
「……」
「お前なら得意の魔法で回復できると踏んだんだが……まあこっぴどくやられたもんだな。ローファルが怒ってたぜ、異端者の元に向かうなんて無謀だってな」

 その言葉に自分を心配ながら怒るローファルの顔が頭をよぎり、クレティアンは俯いた。同時に装っている冷静さが少しずつ剥がれていく。

「まあ、一回負けたくらいで落ち込むなって……ああ、そうだ。オレ特製の調合薬ならあるぜ?」

 バルクの言葉に顔を上げると、バルクは道具袋から小瓶を取り出した。見た目はポーションに近いが、明らかに色が違う――クレティアンは訝し気に眉間に皺を寄せた。

「安心しろよ。試作だが毒じゃない」
「……信用できない」
「だがその様子じゃ、まともに立つのもキツいんだろ」

 見下ろされながら図星を刺され、そんなことはないと立ち上がろうとしたが、体重をかけた瞬間に足に痛みが走り、うめき声と共に再び腰を下ろす羽目になる。対するバルクはというとどこか楽しげだ。
 普段からバルクのそういう態度は気に入らないが、今は無性に腹が立った。

「強がらずに飲んでおけよ。それとも、このままオレに担がれてお持ち帰りが望みか?」
「私を愚弄するのか!」
「だったらここで野垂れ死ぬんだな……と言いたいが」
「な、何……」

 不意に目の前で屈んだバルクに片手で顎を持ち上げられ、クレティアンは身体を固くさせた。顔を近づけたバルクがふっと笑って、クレティアンの耳元でいつもとは違う撫でるような声色で囁いた。

「目、閉じな」
「あっ……ま……」

 顎を持ち上げているバルクの指にわずかな力が入る。抵抗したい心とは裏腹に、まるで覚悟したように固く目を閉じたクレティアンだったが、その間にバルクは片手で器用に調合薬の入った小瓶を開け、クレティアンの口に流し込んだ。

「……ぐっ……う……んん!」

 突然口の中に入れられたことと味の要素がほとんどないポーション類とは違う強い苦みにクレティアンは目を開けて、反射的に液体を戻そうとするが、その前にバルクの手によって口元を塞がれ、抗議の声すら上げられないまま強引に飲み込まされる。そしてクレティアンの喉が動いたのを見て、バルクが満足げに手を離した。

「っ……かはっ……」
「はい、いっちょあがり」
「……に、苦……貴様……!」
「信仰深いお坊ちゃんには色々刺激が強かったか?」

 バルクの茶化す言葉に反論しようとしたが、今度は急に寒気が襲ってくる。

「ぅ……く……」

 元々体調は悪くなかった。となれば原因はひとつ――クレティアンは両手で自分の身体を抱きかかえて自身の悪寒に耐えながらバルクを睨んだ。

「本当に……毒じゃないんだろうな……?」
「寒いか? それは好転反応ってやつだ。ポーションやエーテルみたいな即効性もないが、そのぶん効果は保証するぜ」

 確かにバルクの言う通り、激しい寒気と共に内側から体力や魔力が沸いてくる感じがする。だが、同時に何が悲しくて小娘ごときに斬られた上で、よりにもよって死ぬほど嫌いな最底辺のクズ人間にこうも弄ばれなければならないのか――屈辱と悔しさがこみ上げてきて腕に力がこもる。
 それを知ってか知らずか、バルクが「それにしても」とニヤついた顔で追い打ちをかけてきた。

「素直に目閉じるなんて、クソ野郎にしては可愛いところもあるじゃねえか。ローファルに普段からそうやってされてるのか?」
「ろっ……ローファルに下衆な妄想を抱くな!」
「へえ。そういう関係なのは否定しないんだな」
「……くっ」

 反論する言葉を詰まらせたクレティアンに、バルクは楽しそうに見下ろすばかりだ。
 こんな男に。悔しい、悔しい、悔しい――湧き上がった感情をぶつけることもできず、行き先を求めるかのように涙が落ちた。

「お、おいお前……何泣いて……」
「泣いて……など……っ!」

 バルクの困惑した様子が、さらに悔しさを加速させる。泣いても目の前の男にさらにバカにされるのは目に見えているのに、一度崩れた感情が処理できない。

「なんで……なんで貴様なんかに……! クズのくせに……クソ……クソッ……ううっ……」

 ついには涙と共に嗚咽までこみ上げてきて、身体を抱えたままその場にうずくまる。
 それを見たバルクは手を伸ばして何か言おうと口を開けたが、頭に触れる一歩前で手を止め、息を吐いてその手を引き、クレティアンから背を向けた。
 



「……最悪だ」

 五分くらい経って、魔力と共に冷静さを取り戻したクレティアンは、自分にケアルを施しながら、先程自分が感情を乱したことを激しく後悔していた。冷静になってみると、何故あの程度でいい大人が、よりにもよって嫌いな男の前で泣き出すことになったのか自分でも分からない。メリアドールのせいで、自分が思っていた以上に肉体的に限界だったのかもしれない。

「あーその……さすがに泣くほどやるつもりは」
「忘れろ」
「……はいはい。で、もう落ち着いたか?」
「ああ……さっさとこんな場所、脱出しなければ」

 味と飲まされ方は最悪だったが、本人が自信ありげに言うだけあって、体力も魔力も十分に回復している。これならバルクも巻き込んでかなり遠くまでテレポで移動することも可能だろう――クレティアンは立ち上がってバルクに背を向け、長距離移動用の魔法を組み始めた。

「ったく、有難うの一言くらい言えないのかよ。お前ほんと可愛くないな」
「来てくれたことには感謝する……が、そのぶんはテレポで返す。貴様なんかに借りを作ってたまるか」
「お貴族様だねえ」
「私をあんな周りの目を伺ってばかりのゴミどもと一緒にするな」
「……ふーん」

 乱れた髪を整えながら冷たく言い放ったクレティアンは、今度は自分のローブに視線を落とした。白いローブが埃と自分の血で台無しだ。

「おろしたばかりなのに……本当に最悪だ」
「そういえば、お前なんでヴォルマルフから"力"を貰ってないんだ?」
「何故それを聞くんだ?」

 他人のことには興味なさそうなバルクの質問が少し意外に感じ、クレティアンは衣服の埃を払いながら聞き返した。

「だってそうだろ? お前の実力なら、"力"さえあればメリアドール程度にそこまで大負けしないはずだぜ」

 バルクの言っていることは"正論"だとクレティアンも分かっていた。クレティアンにとって崇める神である聖天使と、その僕のルカヴィの力――それは人の努力や才能では到底たどり着けない、人智を超えた力。自他ともに認める天才のクレティアンでも、アルテマデーモンと言うルカヴィの下僕の悪魔の作法から、闇魔法を再現することが限界だった。
 そしてクレティアンは、悪魔の力を得たローファルが言っていたことを思い出しながら、バルクに答えた。

「ローファルと約束した。私は人の身を、ローファルは人の心は捨てないと。私が人をやめれば、ローファルはローファルでいられなくなってしまう」

 ローファルは言っていた。悪魔の力は、自分に大いなる知識と永遠の命を与え、その代償に人としての幸せと心を捧げるのだと。そう告白された時、クレティアンは答えた。
 ならば自分の人としての全てを代わりに捧げるから、ローファルはそのままでいて欲しい、と。
 それを聞いたバルクの反応はというと、呆れた様子だ。「なんだそれ」と眉をひそめた。

「よく分かんねえな……あんな無愛想野郎のどこがいいんだ?」
「貴様のような、誰も愛せないクズには分からないだろうな」

 バルクは前々から自分とローファルがただの仲間ではないことを勘付いていたようにクレティアンは感じていたが、同時に、彼にそういう偏見はないらしいとも思った。グレパドス教では"背徳"と言えるべき関係だが、信仰心など微塵もないバルクの価値観の中ではおそらくどうでもいいことなのだろう。
 だからなのか、バルクは背を向けたまま話すクレティアンの前にまわり、最初の馬鹿にしたような口調ではなく、真面目な表情で言った。
 
「だったら無理して戦場に出るな。こっちはそのローファルにパシらされてるんだぜ。巻き込むんじゃねえよ」
「……私だって戦える」
「お嬢様ごときに大負けして悔し泣きする奴がよく言うぜ。はっきり言うが、お前の虚弱っぷりと魔法の知識は、前線よりも支援向きなんだよ」

 先程とは違って忠告するような言い方のバルクに、クレティアンは気まずくなり、視線だけを落として答えた。

「分かっては……いる。だが貴様のようなクズがヴォルマルフ様の駒として、ローファルと共に戦うのだと思うと……」
「嫉妬かよ。みっともねえな」
「……馬鹿馬鹿しいだろう? 力を得なかったのは自分なのに、今更クズ相手に嫉妬するなんて」
「っていうか何回オレのことクズ扱いする気だ」
「違うのか?」
「ほんとに可愛くねえクソ野郎だな。もう一回泣かすぞ」

 吐き捨てたバルクだったが、すぐにため息をついて「まあいいか」と頭を掻いた。

「いいか? オレにとって聖天使だの愛だの、そういうのはどうでもいい。だがお前が死んだら絶対めんどくせえ。か弱い自覚があるなら黙って守られろ、箱入りクソ魔道士」

 気にしていることを正面から言われて心から腹が立ったが、先程とは違って魔力も十分に満たされているからか、余裕のある表情でクレティアンは言い返した。

「ならば貴様は我々の崇高な目的の駒といったところか」
「オレは"人間"の頂点に立ち貴族のゴミどもから搾取する。そのためならヴォルマルフの駒になってお前一人くらい、守ってやるって言ってるんだよ」

 バルクの手が伸びクレティアンの胸ぐらを掴む。そのまま路地裏の建物の壁に身体を押し付けられた。
 視線が絡み、バルクはニヤリと口元だけで笑った。

「どうした……今なら万全だろ? 抵抗するならしていいんだぜ」

 服から手を離したバルクは、そのままクレティアンの顔の背後にある壁に手を置いてクレティアンの目を覗き込みながら笑った。
 バルクの言う通り、力で敵わなくても今なら抵抗くらいはできるのに、何故かバルクから視線を外すことすらできない。だが同時に、魔性を帯びた何かが心に絡みつくのを感じ、クレティアンは納得した。そうだ、この絡みつくものはローファルと同じだ。

「……お前は自分を失うかもしれないことに恐怖はないのか?」
「どういう意味だ?」

 おそらく本人はまだ何も自覚していないだろう、いつも通りの調子でバルクは聞き返す。だが、ローファルを知るクレティアンは察した。彼はもう人のまま人ではないものに変わってしまったのだと。

「……バルク。お前の得たその力。その先にあるのは地獄かもしれない」
「心配してくれるのか?」

 意外そうに少し目元を開いたバルクに手を伸ばし、指先で首筋に触れた。

「何だよ」

 バルクは若干眉間に皺を寄せたが、特に振り払おうとはしない。
 指先から伝わるのは、一度死んだとは思えない、ごく普通の人間の体温。ここに来る前に銃を弄ったのか、わずかに油のにおいがする。弱っている相手をからかう意地の悪さも、人を蹴落として搾取しようとする信仰のないクズさも、何も変わってはいない。ここにいるのは確かにバルク・フェンゾルという人間なのに、彼の背後にはバルクではない何かが潜んでいる。
 だが、まだ彼は自分自身のそれに気づいていない――クレティアンはバルクから手を放し、目を伏せた。

「誰が……貴様のようなクズの心配などするものか」
「まあ、自分の価値観で人を見下すお前のそういうクソ野郎っぷり、割と好きだぜ。作られた価値観に踊らされる貴族のゴミよりずっといい」
「私は貴様のことが大嫌いだった……いや、今もこれからもずっと」
「それでいい。"人間"っていうのはそういうもんだ。個人的に嫌いあってるほうが、気兼ねなく利用して搾取できる……そうだろ?」

 行こうぜ、とバルクが壁から手を放し、ようやく解放されたクレティアンは息を吐いた。
 戻ったらおそらくローファルに心配交じりの説教をされるのだろうが、これ以上この男と話していたらまた調子が狂いそうだ。一刻も早くローファルの元に帰りたい気持ちが勝る。

(バルクのようにいつかローファルも……やはり我々は急がなければ)

 転移するための準備はとっくに整っている。クレティアンは手早くテレポを唱え、バルクと共にその場から消えた。

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あとがき

バルクとクレティアンがBLするなら、きっと経験豊富なバルクおじさんが、会の箱入り男のクレティアン君にセクハラするに違いないと思いながら書きました。どっちも別に想ってないけど、色も誕生日も機械&魔法っていう武器も、なにもかもが真逆なので、それゆえにどこかで気が合うような気がする。

2018年12月6日 pixiv投稿

 

 

 

 

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