「どうしたの?」

 木陰で年の近い女の子が座って泣いていた。それを見た幼い時の私が女の子に声をかける。
 女の子は、「さみしいの」と答えた。

「泣かないで」

 私は女の子の前に座って、女の子の両手を取った。

「ほら、立って」
「……?」

 小首を傾けた女の子の手を取ったまま、私は両手をぐっと横に広げた。私と女の子、ふたりぶんの腕が輪になる。私は右にステップをふんで、女の子の手を引っ張り、一緒にその場で輪になって廻った。

「こうやって輪になってまわるとね、おたがいがわかりあえるんだって。この前おとうさまから教えてもらったの」
「アルマ……」
「泣かないで、オヴェリアさま。さみしい時はこうやっていっしょにまわりましょう」
「あの……アルマ。お願いがあるの」

 私と友達になってくれる?
 こんなことを女の子――オヴェリアが遠慮がちに言うから、私は思わず笑ってしまった。

「もうとっくに友達でしょ?」
「ありがとう」

 オヴェリアは笑顔で頷いて、そして私達は両手を繋いだままふたりで右にステップを踏んで、しばらく二人で廻り続けた。


輪になろう

 

 
「ラムザ兄さん。私ね、夢を見たの」
「夢?」

 あれから随分の時間が経った。
 私はオヴェリアよりも先に修道院を出てベオルブ家で暮らすようになって、それからたくさんのことがあった。
 たくさんのことがありすぎたけど、今はラムザ兄さんと二人で、畏国の外で暮らしている。畏国では私はとっくに死んだことになっていて、ラムザ兄さんは"異端者"として今も賞金首になったままだった。それでも私達は生きている――生きて、今はささやかでのんびりとした時間を過ごしている。
 私は夢の話を、朝ごはんを食べながらラムザ兄さんに話した。

「あぁーそういえばアルマって、その遊び大好きだったよね」
「そうだっけ?」
「ティータとよくやっていたじゃないか」

 ラムザ兄さんの言葉を聞いて、私は「あっ」と声をあげた。

(あれ……? あの時泣いていたのって……ティータだっけ?)

 ベオルブ家に戻って少し経った頃。私は木陰でティータが泣いているのを見た。
 ザルバッグ兄さんから「彼女は父上が拾ってきた孤児なんだ」と聞いてはいたけど、私とそんなに変わらない貴族の服を着ているティータはすごく寂しそうで。
 私は「どうしたの?」と声をかけて――

「……違う、夢で見たのはオヴェリアだったわ」
「じゃあオヴェリア様とも修道院でそうやって遊んでいたんだ」
「ううん。お父様からその遊びを教えてもらったのは……ベオルブ家に戻ってきてからで……」

 私にその遊びを教えてくれたのは、父だった。修道院でシモン先生やオヴェリアと静かに暮らしていて、来るのは女性の騎士や僧侶ばかりの修道院。そこから出て、いきなりたくさんの兄や男性の騎士に囲まれて不安だった私の両手をとって、父は「こうやって手を繋げば、どんなに離れていても私とアルマの心は繋がっていられるんだよ」と教えてくれた。

「でも懐かしいな。僕やディリータもよく巻き込まれていたっけ」
「うん……」
「ごめん……ティータのこと思い出すの、やっぱり辛いよね」

 私の反応を見て、ラムザ兄さんが申し訳なさそうに俯いた。私も辛かったけど、それ以上に辛い思いをしたのは、その場にいたラムザ兄さんとディリータだ。ふたりはあのあと、大きく自分の人生を変えて、畏国の大きな波に逆らうように飛び込むことになる。
 私は兄さんに「違うの」と答えた。

「大丈夫。ティータのことは……仕方なかったのよ。もうあの日に戻ることはできないわ」
「そうだね……」
「あ、そういえば今日って金牛の月の二十二日目ね」
「そうだけど、それがどうしたんだ?」
「オヴェリアの誕生日よ。だからオヴェリアの夢を見たのね」

 私は席を立って、窓から空を見上げた。
 とても晴れていて、日差しが優しく差し込み、この日をまるで祝福しているように感じた。

「……オヴェリアとディリータ、元気かな」
「ディリータならきっと大丈夫さ」
「そうよね……」

 ディリータは、大人しいけどすごく賢くて、そして優しい目をしていて。ティータの自慢のお兄さん。
 ラムザ兄さんの話だと、ディリータは南天騎士団と教会を利用して、そのままオヴェリアと結婚して、畏国の王様になってしまったそうだ。
 その話を聞いた時は色々信じられなかったけど、きっとオヴェリアとドラマチックな恋におちたのだろう。見てみたかったな――そんな好奇心が、ふたりの初々しくて、でも激しく熱い馴れ初めを頭の中で想像させていく。
 それなのになぜか胸騒ぎがする。

「兄さん。ヴァルゴ、借りていい?」
「どうしたの?」
「いつもの場所でお祈り。大丈夫。あれにはもう、聖天使の力なんて残っていないわ」
「分かった。夕方までに戻るんだよ」

 私はラムザ兄さんからヴァルゴを受け取り、朝食を片付けて外へと出かけた。



 家を出た私は、近くの丘の上へと登った。
 地平線に畏国の一部が見える、小高い丘――私は遠い畏国を眺める。見渡す限り澄んだ空をしていて、きっと畏国もこんな晴れの日だと感じ、その近くに立てた十字架の前にヴァルゴを置いてお祈りをした。

「神さま。今日を清き日にしてくださったことに感謝します。どうかディリータが作ってくれた畏国の平穏が続きますように。私達を見守って下さい……ファーラム」

 祈ることは誰かを愛し、自分の中で愛が生み出される行為だ――修道院で私はシモン先生からそう聞いた。
 神殿騎士団によってラムザ兄さんから引き離されたあと、私はしばらくミュロンドで軟禁されていた。彼らは特に暴力を振るうことなく、客人として私を大切に扱っていた。だからラムザ兄さんに会えないことを寂しく感じながらも、それ以外は今までとそう変わらない、戦争と遠い場所で日々を送っていた。
 彼らは私達が畏国で信じてきたグレパドス教には偽りがたくさんあって、それを正すためにヴァルゴに宿る聖天使を復活させようとしていたそうだ。そんなことを私を軟禁していた神殿騎士のひとりが言っていたことがあった。その上で私に、味方になって欲しいと。
 でも、私にとって信仰する教会が偽りかどうかなんて、どうでもよかった。神様が何者だったとしても、祈っている私達がみんなを愛することができるようになるなら。みんなで手を繋いで生きられる世界になるなら――だから軟禁されている間も私は、グレパドス教の言葉を使って十字架に向かい、祈ることを忘れなかった。今も――この祈りが、オヴェリアのもとに少しでも届くなら。

 そんなことを思いながら私はヴァルゴにそっと触れて、語り掛けてみた。

「ヴァルゴ……私と聖天使を結び付けた聖石。そして、オヴェリアと私を結び付けた聖石」

 ヴァルゴは元々、オヴェリアが修道院に預けられるときに王家の証として贈られたものだったそうだ。
 私にたくさんの出会いを与えてくれる聖なる石――そんなヴァルゴの光の向こう側にオヴェリアがいるような気がして、私はオヴェリアに語り掛けるようにして続けた。

「私は元気にしているわ、オヴェリア。女王様なんて大変だと思うけど、ディリータならきっとあなたを幸せにしてくれるわ……だから」

 そんな時だった。
 突然ヴァルゴが強く輝き、私を包み込む。

「え……?」

 気が付くと、私は白い光の中にいた。
 どう見ても現実じゃない世界――でもなぜか心が安らぐ場所。

「……ルマ、アルマ」
「オヴェリア?」

 光の向こうから、オヴェリアの姿が見えた。でも私の知っている幼いオヴェリアじゃなくて、ずっと大人になって、綺麗になったオヴェリア。
 でも少し疲れた目をしていて、昔から華奢だった身体は、あの時よりずっと痩せているような気がした。
 そんなオヴェリアの瞳から、涙が流れる。

「……泣いているの、オヴェリア?」
「アルマ、とても綺麗になったのね。でも相変わらず優しくて元気そう。あなたが近くにいてくれれば、こんなことにはならなかったのかしら……」
「何があったの?」
「私ね、ディリータと分かり合いたかった……それなのに……私は」
「オヴェリア……?」

 私は思わずオヴェリアの両手をとった。
 すると、これもヴァルゴの力なのだろうか、オヴェリアの記憶が私の頭の中に、まるでその場にいるように浮かび上がる――そこにいたのは、教会でナイフを握りしめながら虚ろな目で涙を零すオヴェリアだった。
 その後ろから来たのは、大きな花束を持ったディリータ。ディリータは昔と変わらない優しい目をしていて、オヴェリアの誕生日を祝おうと、近づいて花束を差し出す。
 だがオヴェリアはディリータの目を見ることなく、振り向くのと同時にナイフを花束の下、ディリータの身体に突き立てた。
 花束が大きすぎて、オヴェリアからはそれまでのディリータの表情は見えなかった。

――こうやって全てを利用して!
――私もラムザのように、いつか見殺しにするのね……!

 落ちた花束の奥にあったディリータの優しい目が曇る。ディリータの心から、ラムザ兄さんとオヴェリア、そしてティータの姿が消えていく。

 そして――
 ディリータはオヴェリアからナイフを奪い、そのままオヴェリアの心臓を刺した。

「……あ、ああっ……」

 私は言葉を失い、オヴェリアの手を取っていた自分の手の力が抜けそうになる。

「ごめんねアルマ……私、死んでしまったわ」
「オヴェリア……」
「私を殺したのはディリータよ。ごめんね。あなたがお祈りしてくれていたのに、幸せになれなくて」

 微笑んだオヴェリアの目から、再び涙が落ちる。ただ泣いていられればもっと楽になれるのに、生まれながらに王女だったオヴェリアにはそれができなかった。
 限界まで耐えて微笑んで、そしてこの日、ついに限界が訪れてしまったのだ――アルマはオヴェリアの微笑みの奥にある悲しみを感じ、再びオヴェリアの手を力強く握った。

「大丈夫、だいじょうぶよオヴェリア」
「アルマ……」

 そして私は、オヴェリアの手ごと両腕を横に大きく広げて、輪を作った。
 子供のころ、貴族の中に馴染めなかったティータにやったように。夢で見たのと同じように。

「知ってる? こうやって輪になるとね……分かり合えるんだって」
「本当?」
「うん。それが例えこの世とあの世でも……そうでしょう、ティータ」

 私の声に反応するように、光の先からティータの姿が現れる。あの時と変わらない、少女の顔のままのティータ――でも、私達に近づくにつれて少しだけ背丈が伸びて、一気に大人びた姿になる。
 この世で見られなかった大人になったティータは素朴だけどとても綺麗で、でも昔のまま、おっとりとした表情で微笑んだ。

「よく分かったね、アルマ。私がここにいるって」
「夢を見て、ヴァルゴにお祈りしたらここに来たのだもの。これは私の心の中なんでしょう?」

 私の問いかけに、ティータは静かにうなずいた。

「だから今いる私は、アルマが想像した大人の私。……この方は?」
「オヴェリアっていうの。私の修道院の時のお友達」
「ティータ・ハイラルです。よろしくお願いします、オヴェリアさん」
「ハイラル……? じゃあ、あなたがディリータの」
「妹です。兄を知っているのですか?」
「オヴェリアはディリータの恋人だったのよ」
「すごい。兄さんったら、こんな綺麗な人と付き合っていたの?」
「そ、そんな……ええと、よろしく、ティータさん……」

 感嘆するティータの言葉に、オヴェリアが顔を赤らめてはにかんだ。
 それを見て、ティータも嬉しそうに微笑みを返す。

「ねえ、私も混ぜてくれるんでしょう、アルマ」
「混ざって欲しくて呼んだのよ」

 私は片方の手をオヴェリアから離して、代わりにティータの片手をとった。そして、会ったばかりのオヴェリアとティータが、少し遠慮がちに手をつないだ。
 それを見て、私は右にステップを刻もうとする。手を引かれたふたりが私にあわせる。輪が廻る。私は嬉しくて、笑顔になった。
 現実では出会えなかった二人が、私の中で新しく繋がっていく――そんな幸せを感じていたら、オヴェリアが立ち止まって、ティータに小さい声で話を切り出した。

「ねえ、ティータさん……私」
「オヴェリアさん。あなたの悲しみと幸せ、どちらもこの手に伝わってくるわ……だから聞いてもいいですか?」
「ええ……」
「オヴェリアさん、ディリータ兄さんのこと……愛していたんですか?」

 ティータとオヴェリアが手をつないだまま目を合わせる。オヴェリアは再び瞳を涙で濡らした。

「愛していたわ……! そして分かったの。崩れ落ちる私を見下ろすディリータの顔……ディリータも私を愛していたのね。ごめんなさい、ごめんなさいティータさん……!」
「兄さんが馬鹿なのよ。こんな綺麗な人を泣かして。でも大丈夫よ、オヴェリアさん。私はあなたの手を離さない……アルマが私を受け入れてくれたように、私はあなたと友達になりたい」
「許して、くれるの……?」
「許すなんて。私怒っていないわ。だからもう悲しい顔をしないで……ね?」
「ティータさん……」
「ティータ、オヴェリア。私……そろそろ戻らなきゃ」

 見つめあったまま涙ぐんで微笑んだ二人をみて、私はそっと二人から手を離した。

「私生きなきゃ、二人の分も」

 そうだ、これは私の願い。
 私の知らない場所で、ひとりぼっちで死を迎えたティータとオヴェリア。
 ふたりが例えそれが現実でなくても幸せを手に入れて、また誰かと分かり合えるようになれれば。

「ねえ、ティータ、オヴェリア。お願いがあるの。もしも私がいつか現実で死を迎えた時に……また三人でこうやって輪になってまわってくれる?」

 私の言葉に、二人は手を繋いだまま笑顔で頷いた。

「もちろんよ、アルマ。どんなに離れていても、私達はずっと友達だわ……」
「それまではラムザ様と幸せに過ごしてね」

 再び光が私を包み込んで、ティータとオヴェリアの笑顔が光の中に消えていった。

(アジョラはたくさんの人を救おうとしてひとりで絶望を抱えてしまったけれど、私は大丈夫。私にはラムザ兄さんがいて、そして心の中にいつでもあなた達がいる……)



 そして気が付いたら、目の前にはラムザ兄さんがいた。起き上がるとそこには、さっきまでいた丘の上――現実が広がっていた。
  
「どうして兄さんがここに?」
「心配だから来たんだ。そしたらアルマがここで寝ていて……な、なにかあったの?」
「それは……うん、内緒!」
「えぇ!?」
「……ふふっありがとう、兄さん」

 私の言葉に分かりやすく戸惑うラムザ兄さんに微笑んで、私は十字架の前に置いたままのヴァルゴを拾った。
 ヴァルゴは私にしか分からないくらいに淡く輝き、そして畏国の方角から風が吹く。その風はとても柔らかくて、誰かが私に語り掛けてくれているようだった。

 

 

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あとがき

Twitterのお題箱に、「アルマとオヴェリアとティータが輪になってまわる」というお題をいただいて書いたものです。どうしても本編では出会うことのない三人ですが、こうやって魂の中で笑顔になって欲しいです。

2019年1月26日 pixiv投稿

 

 

 

 

 

 

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