――親父のくれた、このコインで決めよう


 静かになった砂漠の城の屋上で。
 兄は懐から出した一枚のコインを満月の光にかざした。


――表が出たら、お前の勝ち。裏が出たら俺の勝ち。恨みっこなしだろう?
――兄貴、それって……


 弟も同じコインを宝物として大事にしていた。だから、弟は微笑む兄の顔を、動揺した眼差しで見つめた。
 なぜならそのコインは……


――いくぜ。そーらっ……


 月に同化するように投げ出されたコインは。
 弟に自由を与えた。

 

 



両表のコイン -Edger & Mashu-




「エドガー様、どうかされましたか?」


 何不自由なく生まれ育った砂漠の城で、兄は若き王として王座に腰掛けていた。
 大臣に声をかけられ、我に返ったようにそちらを振り向く。


「いや、何でもない」


 愛想の良い笑顔で答える。昔から笑顔には自信があったが、王となってからはさらに、笑顔という仮面が板についていることは、本人にも分かっていることだった。


「……少し美しいレディのことを考えていただけだよ。ところで……何か用があったのではないのか?」
「あ、はい。来週のナルシェとの会談の件ですが……」
「ああ」


 彼は大臣の話を聞き、自らの意見を取り入れて、決断を下した。

 

 


「ふう……」


 ようやく仕事から解放されて戻った寝室で、彼は大きく息をついた。
 そして、ふと視界に一枚の写真が入った。
 自分と瓜二つの、でも自分よりもずっと純粋な瞳をした弟と撮った写真だ……。


 ふと、あの満月の夜……弟は静かに城から出て行ったことを思い出す。
 その翌日、城はひっくり返ったように大騒ぎとなったが、


――騒ぐな! 父がいなくなったところで皆が動揺しては、国民達の混乱を招くだけだ! 王には元々長男である私がなる。弟については今日より、王族の権利を剥奪する。異議のある者がいれば、この場で私の前に出るがいい!


 この一言で、今まで世継ぎ問題に揺れていた者も、そして若い王に取り入って自らの地位を上げようとした者も、彼のカリスマに従うしかできなかった。
 前王である父以上に政治的手腕に長けており、その後も彼は、一国の王として毎日国を守り続ける努力をしていた。
 しかし、本当の彼は、まだ十代の少年だった。


「エドガー様……。やはりまだマッシュ様のことを……」
「ばあや。見ていたのか」
「声をかけず立ち入ったことをお許しください」


 自分達が小さい頃から世話を焼いてくれた乳母に、彼は「構わない」と微笑んだ。
 そして、弟との写真を手にとった。


「あれから6ヶ月。マッシュの消息については全く不明。……あの時きっと城中の者が、何て冷たい兄だと思っただろう。実際、私が弟を追い出したのだと思う者さえいる」
「……それはエドガー様達を良く知らない者が言ったことでございます。本当に近くにいる者は皆、純粋で優しいマッシュ様のためを思い、一人で王としての責務を果たされようとしていることを存じております」
「そこまで買いかぶられても困るな。私はただの、女好きの駄目な貴族だよ」


 乳母は誰よりもマッシュ自身のことを心配していた。そういえば弟は、しょっちゅう風邪を引いてはばあやを困らせていたな、と思わず笑みがこぼれた。


「大丈夫だよばあや。彼は私と違って、外の世界で生きていける。それに思うんだ、私が本当に立ち止まった時……弟は必ず私の前に戻ってくる、ってね」
「エドガー様……」
「だから私は、弟がいつ帰ってきても懐かしいと思えるよう、親父や国の名に恥じぬ王としてフィガロを守り続けることに決めたんだ」


 弟との写真を元の場所に置いて、兄は愛想笑いではなく、心の底から微笑んだ。





 一方弟はその頃、高名な格闘家である、ダンカンのもとを訪れていた。
 ダンカンはフィガロの領土の外れあたりで修行を行っており、父とも親交があった。だから彼もその噂は耳にしていたのだ。


「お願いします! 俺を……弟子にしてください!」
「うーむ……しかしなぁ……」
「確かに俺は格闘はおろか、これといった運動もしたことがありません! でも、だからこそ、俺は強くなりたいんです!」


 ダンカンの家の前で、膝をついて土下座しながら懇願する。朝からずっとこの調子で、彼は何度も頭を下げていた。
 そしてそれをダンカンは、困った表情で見つめていた。
 何せ相手は、フィガロの王子なのである。その顔は世間ではあまり知られてはいなかったが、ダンカンは小さい頃から彼のことを知っていたのである。


「とりあえず顔を上げなさい。兄が城を継いだという話は聞いておったが……何故お主は城から出て、ワシのところへ来たのだ?」
「……それは、今の俺が兄のために何もできないからです」


 手と膝は地につけたまま顔だけを上げて、真っ直ぐダンカンを見つめ、そして続けた。


「兄は二人で自由になろうと言った俺を制止し、そして俺だけを自由にしてくれました。でも、その時俺は自分の愚かさに気付いたんです。自分のことばっかりで、兄のように国の事を思うことができず……そしてそんな兄を尊敬するだけで、何も兄の力になれない自分に! 兄が国を支えるのならば、俺はそんな兄を支えたい。でも兄には心配ばかりかけて、逆に支えられているだけだった。だから俺は強くなって、兄が自由に動けない分は俺が代わりに走り、兄が危険に晒されればその身をもって守りたいのです!」


 そして、もう一度「お願いします!」と頭を下げた。
 そこには、王族としてのプライドも、貴族としてのおごりもなく、純粋に強くなりたいという気持ちしかなかった。


「……そうか。つまりお主は強くなるまで城には戻らぬと」
「はい。それが兄に対する、俺なりのけじめのつけ方です」
「言っておくが、ワシの修行は厳しいぞ? お主が何者であろうとその内容に変わりはないし、当然新入りとして、家事なども一切やってもらう」
「それも修行のひとつであると覚悟しております。経験はありませんが、その分人の倍、いや3倍努力します!」

 彼が顔を上げると、しっかり視線が合った。しかし彼は視線を逸らさなかった。


「ふふっ。ワシは今まで多くの人間と出会ってきたが……ここまで純粋で真っ直ぐな瞳を、ワシは見た事がない。お主の兄は、良い弟を持ったものだ」
「いえ。俺がそのように見えるのならば、それは今まで俺を王族のしがらみや規律から遠ざけ、一人でその責務を背負おうとした兄のおかげです」
「いいだろう。お主を新たな弟子とする。その想いに背を向けることなく、精進せよ」
「……はい! ありがとうございます!」


 もう一度頭を下げ、弟はダンカンのもとに弟子入りした。
 いつか兄が自分を必要としてくれたとき、それに応えることのできる日が来ることを信じて……。


 



 そして、それから月日がたち、彼らは再会した。
 しかし彼らは「久しぶりだ」と抱き合うことはなかった。


 なぜなら、彼らはまさに、両表のコイン。


 決して顔を合わせなくても、常に互いの事を思い、一心同体として暮らしてきたのだから……。

 

 

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あとがき

エドガーとマッシュ。コインを投げた時、王になると覚悟を決めたエドガーと、そんなエドガーの覚悟に気付いてそれを支えるために強くなったマッシュの双子愛って素敵だと思うし、城を出た後のマッシュの努力っぷりを思うと涙すら出る。

 

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